証拠法|証拠法・総説|証拠法の意義と基本原則|自由心証主義
2025年11月19日
『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8
(1) 法318条は、「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」と定める。近代刑事裁判の基本原則である「自由心証主義」を表現した条項である。
有罪とするには自白を必要とする旨法定されていた前近代の法定証拠主義を廃し、形成された。わが国では、前記〔2(1)*〕のとおり1876(明治9年にフランス法の影響下で導入され,事実認定者による証拠の価値や信用性評価の基本指針として現行法の規定に引き継がれた。
事実の認定を責務とする裁判員(裁判員法6条1項)についても、同旨の規定が設けられている(裁判員法 62条「裁判員の関与する判断に関しては、証拠の証明力は、それぞれの裁判官及び裁判員の自由な判断にゆだねる」。
(2)「証明力」とは、証拠が一定の事実の存否について判断者に心証を形成させ証明することのできる力(証拠価値)をいう。証拠と証明すべき事実との間の論理的関係(「関連性(relevancy)」)の程度(狭義の「証明力(probative value)」)と、その証拠がどの程度信用できるかという「信用性(credibility)」との二側面を有する。いずれも程度があり、その評価を法定することなく、専ら事実認定者の自由な評価・判断に委ねるのが、自由心証主義である。
*狭義の証明力、すなわち(論理的)関連性を全く有しないか、またはその程度が著しく低いものは、性質上証拠とすることができないと考えられる。事実認定の資料にするのが無意味だからである。
** 憲法38条3項及び法319条2項の「自白」に関する規律(いわゆる「補強法則」)は、自白のみで有罪としてはならぬとし、必ず他の証拠を必要とする旨法定する点で、自白の証明力・倉用性の評価に直接制約を加えているから、自由心証主義の例外と位置付けられる〔第4章〕。
(3)「自由な判断」とは、「合理的」であり、事後的に検証可能な判断過程であることを当然の前提としている。証拠の証明力評価を総合した誤りない事実の認定こそが、刑罰権発動の可否を決する重大な判断であることから,事実認定者の知識・経験・常識を踏まえた,「論理法則・経験法則」に反することのない「合理的」判断であることが要請されるのである。なお。事実認定者は、特別の知識・経験を必要とする事項については、専門家に「鑑定」を命ずることにより、自己の判断力を補充することができる(法 165条以下)〔第3編公判手続第4章Ⅳ 1〕。
現行法の当事者追行主義の審理方式は、起訴状一本主義による予断防止(法256条6項),証拠調べの方法,事者による証拠の証明力を手う機会の付与(法 308条、規則 204条)等を通じて証明力評価の合理性を担保している。また、判決における理由の記載(法335条1項)は、当事者による事後的検証の素材となり〔第5編裁判第1章II),さらに、上級審による事実認定過程の事後審査の途が設けられている(法 378条4号・382条・397条・411条3号等)〔第6編上訴〕。いずれも、証明力評価の合理性確保と正確な事実の認定に向けられた手続である。
*第1審の事実認定に対する上級審の審査は、新たに事実認定をやり直すものではない。第1審の証拠評価が論理法則・経験法則に反する不合理なものでないかを、「事後審査」するものである。公判で直接証拠に接していない以上、上級審に第1審同様の立場で証拠の評価ができるはずはないからである。
最高裁判所は、控訴審による第1審の事実認定の審査の在り方について、次のような判断を示している(最判平成24・2・13刑集66巻4号482頁)。結論として、裁判員裁判による第1審の無罪判決を破棄自判した控訴審の有罪判決を、法 382条の解釈適用を誤った違法があるとして破棄したものであるが、この説示内容は、第1審が裁判員裁判であるかどうかにかかわらず、「事後審査審」である控訴審や上告審による事実認定の審査一般に当てはまるというべきである。
「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており、控訴審は、第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく、当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし、これに事後的な審査を加えるべきものである。第1審において、直接主義・口頭主義の原則が採られ、争点に関する証人を直接調べ、その際の証言態度等も踏まえて供述の有用性が判断され、それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると、控訴審における事実誤認の審査は、第1審判決が行った証拠の借用性評価や証拠の総合判断が論理則、経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって、刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。このことは、裁判員制度の導入を契機として、第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては、より強く妥当する」〔第6編上訴I4*参照〕
有罪とするには自白を必要とする旨法定されていた前近代の法定証拠主義を廃し、形成された。わが国では、前記〔2(1)*〕のとおり1876(明治9年にフランス法の影響下で導入され,事実認定者による証拠の価値や信用性評価の基本指針として現行法の規定に引き継がれた。
事実の認定を責務とする裁判員(裁判員法6条1項)についても、同旨の規定が設けられている(裁判員法 62条「裁判員の関与する判断に関しては、証拠の証明力は、それぞれの裁判官及び裁判員の自由な判断にゆだねる」。
(2)「証明力」とは、証拠が一定の事実の存否について判断者に心証を形成させ証明することのできる力(証拠価値)をいう。証拠と証明すべき事実との間の論理的関係(「関連性(relevancy)」)の程度(狭義の「証明力(probative value)」)と、その証拠がどの程度信用できるかという「信用性(credibility)」との二側面を有する。いずれも程度があり、その評価を法定することなく、専ら事実認定者の自由な評価・判断に委ねるのが、自由心証主義である。
*狭義の証明力、すなわち(論理的)関連性を全く有しないか、またはその程度が著しく低いものは、性質上証拠とすることができないと考えられる。事実認定の資料にするのが無意味だからである。
** 憲法38条3項及び法319条2項の「自白」に関する規律(いわゆる「補強法則」)は、自白のみで有罪としてはならぬとし、必ず他の証拠を必要とする旨法定する点で、自白の証明力・倉用性の評価に直接制約を加えているから、自由心証主義の例外と位置付けられる〔第4章〕。
(3)「自由な判断」とは、「合理的」であり、事後的に検証可能な判断過程であることを当然の前提としている。証拠の証明力評価を総合した誤りない事実の認定こそが、刑罰権発動の可否を決する重大な判断であることから,事実認定者の知識・経験・常識を踏まえた,「論理法則・経験法則」に反することのない「合理的」判断であることが要請されるのである。なお。事実認定者は、特別の知識・経験を必要とする事項については、専門家に「鑑定」を命ずることにより、自己の判断力を補充することができる(法 165条以下)〔第3編公判手続第4章Ⅳ 1〕。
現行法の当事者追行主義の審理方式は、起訴状一本主義による予断防止(法256条6項),証拠調べの方法,事者による証拠の証明力を手う機会の付与(法 308条、規則 204条)等を通じて証明力評価の合理性を担保している。また、判決における理由の記載(法335条1項)は、当事者による事後的検証の素材となり〔第5編裁判第1章II),さらに、上級審による事実認定過程の事後審査の途が設けられている(法 378条4号・382条・397条・411条3号等)〔第6編上訴〕。いずれも、証明力評価の合理性確保と正確な事実の認定に向けられた手続である。
*第1審の事実認定に対する上級審の審査は、新たに事実認定をやり直すものではない。第1審の証拠評価が論理法則・経験法則に反する不合理なものでないかを、「事後審査」するものである。公判で直接証拠に接していない以上、上級審に第1審同様の立場で証拠の評価ができるはずはないからである。
最高裁判所は、控訴審による第1審の事実認定の審査の在り方について、次のような判断を示している(最判平成24・2・13刑集66巻4号482頁)。結論として、裁判員裁判による第1審の無罪判決を破棄自判した控訴審の有罪判決を、法 382条の解釈適用を誤った違法があるとして破棄したものであるが、この説示内容は、第1審が裁判員裁判であるかどうかにかかわらず、「事後審査審」である控訴審や上告審による事実認定の審査一般に当てはまるというべきである。
「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており、控訴審は、第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく、当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし、これに事後的な審査を加えるべきものである。第1審において、直接主義・口頭主義の原則が採られ、争点に関する証人を直接調べ、その際の証言態度等も踏まえて供述の有用性が判断され、それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると、控訴審における事実誤認の審査は、第1審判決が行った証拠の借用性評価や証拠の総合判断が論理則、経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって、刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。このことは、裁判員制度の導入を契機として、第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては、より強く妥当する」〔第6編上訴I4*参照〕