その他の捜査手段|体液の採取|強制採尿の許容性と法形式
2025年11月19日
『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日
ISBNISBN978-4-641-13968-8
1) 最高裁判所は、人の膀胱内に貯留されている尿をカテーテルを用いて強制的に採取する捜査手段(いわゆる「強制採尿」)の適否と法形式について判断を示している(最決昭和55・10・23刑集34巻5号300頁)。この問題は、実務的には最高裁の説示した方式で解決したとされているが、人格的法益を侵害する態様の強制処分の限界や、法解釈の限界を考察する素材として有用であるのみならず、最高裁判例のない尿以外の体液採取や人の身体内部に及ぶ捜査手段について判例の射程を画定しておくことは重要である。
問題は二つ。第一、許容性。対象者の羞恥感情を著しく侵害し屈辱感等の精神的打撃を与える強制処分はそもそも許されるか。第二、法形式。仮に許される場合があるとして、カテーテルを尿道から膀胱に挿入して尿を採取する捜査手段を強制的に実行する場合、いかなる状によるべきか。この問題は,覚醒剤自己使用罪を立証するため被疑者の尿を採取し鑑定をすることが必要不可欠な捜査手段であることから生じた。しかし、捜査の必要性がそれだけで手段を正当化するわけでないのは、当然である。
(2)判例の原審は、「本件におけるように、尿の提出を拒否して抵抗する被疑者の身体を数人の響察官が実力をもって押えつけ、カテーテルを用いてその陰茎から尿を採取するがごときことは、それが、裁判官の発る・・・・・状に基づき、直接的には、医師の手によって行われたものであったとしても、被疑者の人格の尊厳を著しく害し、その状の執行手続として許される限度を越え、違法であるといわざるを得ない」と述べ、人格的法益の著しい侵害を理由にこのような態様の処分の許容性を否定していた(名古屋高判昭和54・2・14判時939号 128頁)。
これに対して最高裁は、次のように説示して、原審の判断を戻けている。
「尿を任意に提出しない被疑者に対し、強制力を用いてその身体から尿を採取することは、身体に対する侵入行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるが、右採尿につき通常用いられるカテーテルを尿道に挿入して尿を採取する方法は、被採取者に対しある程度の肉体的不快感ないし抵抗感を与えるとはいえ、医師等これに習熱した技能者によって適切に行われる限り、身体上ないし健康上格別の障害をもたらす危険性は比較的乏しく、仮に障害を起こすことがあっても軽微なものにすぎないと考えられるし,また、右強制採尿が被疑者に与える屈辱感等の精神的打撃は、検証の方法としての身体検査においても同程度の場合がありうるのであるから、被疑者に対する右のような方法による強制採尿が捜査手続上の強制処分として絶対に許されないとすべき理由はな[い]」。
(3) 人の身体内部に及ぶ強制処分が、身体・健康上の障害をもたらす危険の乏しい行為でなければならないのは当然の前提である。前記のとおり、医療技術として安全性が確立した措置であっても、医療目的ではなく犯罪捜査目的で、これを対象者の意に反し抵抗を制圧して実施することに伴う危険が問題であるう。また,屈辱感等の精神的打撃に対する評価は、人格的法益に対する感受性の問題である。最高裁が同程度の場合があり得るとして言及する「検証の方法としての身体検査」とは、対象者の抵抗を制圧しつつ下半身を露出させて肛門や膣内を調べる行為を想定したものと思われるが、身体内部に侵襲し人為的に排尿を操作する行為はこれを超えるとの感性もあり得よう。原審の法的感受性には十分な理由があったように思われる。適式な強制処分の個別事案における適用が個人の尊厳という人格的法益(憲法13条)の著しい侵害をもたらす場合、司法権には、基本的な正義の観念(悪法31条)を用いて、これを阻止すべき責務があるというべきである。
(4) 最高裁は、強制採尿が許容される具体的要件について、次のように説示する。
「被疑事件の重大性、嫌疑の存在,当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在等の事情に照らし、狙罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合には、最終的手段として,適切な法律上の手続を経てこれを行うことも許されてしかるべきであり、ただ、その実施にあたっては、被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮が施されるべきものと解するのが相当である」。
この要件は、文面上、通常の強制処分(一般の捜索や検証)より厳格な限定を叙述しているように読める。将来、同様の法益侵害が想定される処分の許否を検討する指針となろう(もっとも、覚醒剤自己使用の罪が「重大」事犯であるかには、様々な評価があり得る。法定刑だけが指標ではないだろう)。「真にやむをえない・・・・・・・最終的手段」「被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮」
が要請されていることから、この趣意を令状裁判官が処分の実行に関する「条件」に組み込み、例えば、採尿の方法として、直接強制に先立ちまず捜査機関が被疑者に対し自然排尿による尿の任意提出を求めなければならない旨を令状に記載して、強制採尿の実行を「真にやむをえない・・・・・・最終的手段」とするよう指示することもできるであろう。
もっとも、この判例が、対象者に尿の任意提出をする機会があり、かつ明示的にこれを拒絶していることを強制採尿の不可の要件としているとまでは解されないので、対象者に自然排尿と任意提出の意思を確認することができない場合であっても、強制採尿実施が可能との帰結になろう!(錯乱状態に陥っていて
尿の任意提出が期待できない状況にあった被疑者からの強制採尿を適法とした判例として、最決平成3・7・16刑集45巻6号201頁)。
* 採尿状請求に先立って察官が被告人に対して任意の説得をしたなどの事情はなく、同令状発付の時点において、任意の尿の提出が期待できない状況にあり適当な代替手段が存在しなかったとはいえないから、同令状は、強制採尿を実施することが「犯罪の捜査上真にやむを得ない」場合とは認められないのに発付されたもので、その発付は違法であり、同令状に基づいて強制採尿を実施した行為も違法とした判例として、最判和4・4・28刑集76巻4号380頁がある。
(5) 昭和55年判例の事案では、採尿は身体検査状と鑑定処分許可状の併用により実施されており、この方式がそれまでの実務の大勢であった。ところが最高裁は、強制採尿の法形式について、従前とは全く異なったのような方式を示した。現在の実務はこれに従っている。しかし、その法解釈手法には疑問がある。
「適切な法律上の手続について考えるのに、体内に存在する尿を犯罪の証拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものとみるべきであるから、捜査機関がこれを実施するには捜索差押状を必要とすると解すべきである。ただし、右行為は人権の侵害にわたるおそれがある点では、一般の捜索・差押と異なり、検証の方法としての身体検査と共通の性質を有しているので、身体検査令状に関する刑訴法 218条5項[現6項]が右捜索差押状に準用されるべきであって、令状の記載要件として強制採尿は医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない旨の条件の記載が不可父であると解さなければならない」。
この法解釈は、もっぱら強制採尿行為の目的の観点からその法的性質を「捜素・差押」であると決定し、他方,対象者の被る法益侵害の性質とその保護の必要性という実質に即して、既存の法技術である身体検査に関する「条件の附加」を柔軟に活用しようとするものである。反面、従前、実定刑事手続法規について、処分の目的のみならず、法的実行主体、法が各処分に明示的に記述しまたは記述していない手続や処分自体の性質等の多角的側面に考慮した解釈論が形成されてきたことを軽視している。
(6) 第一、法218条1項の定める一般の「捜索」について、令状裁判官が適当と認める条件を附加することができる旨の明文規定は存在しない。それ故に、条件の附加を要するような人の衣服を取り去って裸にしたり、身体内部に侵襲する処分を「捜索」として行うことは許されないと解されてきた。最高裁の判断は、処分の目的が証拠物の探索である限り、人の身体の内外を問わず「捜素」(本件においては臓器である膀胱内の「捜索」)が可能であるとした点で不当である。人の臓器はポケットや机の引出ではない。明文のない条件の附加を、処分の性質と対象者の法益保護の観点から準用することは、それが対象者の被る法益侵害を減縮する方向に作用する点で、令状主義の基本精神にかなった妥当な帰結であるとしても、明文規定の解釈論の限度を超えるであろう。むしろ、明文で条件の附加が認められている検証としての身体検査及び医師が実施主体となる鑑定処分としての身体検査の法的枠組に包摂して事案処理をするのが適切であったように思われる。
第二、カテーテルを用いた採尿は、専門家である医師でなければ安全に実施し得ない泌尿器科の医療技術である。その実質に即した最も適合的な法形式が、鑑定処分としての身体検査であることは論を俟たない。捜査機関が法的実行主体となって処分を強制する捜索差押状を基軸に用いるのは、現行法の定める基本的な処分の区分枠組を無視するものである。判例は、明文を無視して検証としての身体検査令状に係る特別規定を捜索・差押えに「準用」し、そのうえ記載が不可欠と指示する条件の内容として、専門家である医師を処分の実施主体とした。こうして最高裁は、証拠物の捜索差押え状,検証としての身体検査令状,専門家を主体とする鑑定処分許可状の各令状を部分的に合成した新たな「強制採尿令状」を創出したとみられる。しかし,そのような実質的立法権限が最高裁判所に委ねられているとは思われない。
仮に強制採尿を許容すべき場合があり得るとすれば、その法形式は、専門家たる医師を主体として実施する鑑定処分としての身体検査、すなわち鑑定処分許可状を基軸とすべきであり、さらに仮に直接強制を許容するとすれば、採尿は医師をして医学的に相当な方法で行わせなければならない旨の条件を附加した身体検査令状を併用する従前の実務の扱いが最も適合的であったように思われる。前記のとおり、現行法は「捜索」が人の身体内部に及ぶことを想定していないと解されるので、捜索状は不適である。採取された尿は差押により取得・保全できよう。
問題は二つ。第一、許容性。対象者の羞恥感情を著しく侵害し屈辱感等の精神的打撃を与える強制処分はそもそも許されるか。第二、法形式。仮に許される場合があるとして、カテーテルを尿道から膀胱に挿入して尿を採取する捜査手段を強制的に実行する場合、いかなる状によるべきか。この問題は,覚醒剤自己使用罪を立証するため被疑者の尿を採取し鑑定をすることが必要不可欠な捜査手段であることから生じた。しかし、捜査の必要性がそれだけで手段を正当化するわけでないのは、当然である。
(2)判例の原審は、「本件におけるように、尿の提出を拒否して抵抗する被疑者の身体を数人の響察官が実力をもって押えつけ、カテーテルを用いてその陰茎から尿を採取するがごときことは、それが、裁判官の発る・・・・・状に基づき、直接的には、医師の手によって行われたものであったとしても、被疑者の人格の尊厳を著しく害し、その状の執行手続として許される限度を越え、違法であるといわざるを得ない」と述べ、人格的法益の著しい侵害を理由にこのような態様の処分の許容性を否定していた(名古屋高判昭和54・2・14判時939号 128頁)。
これに対して最高裁は、次のように説示して、原審の判断を戻けている。
「尿を任意に提出しない被疑者に対し、強制力を用いてその身体から尿を採取することは、身体に対する侵入行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるが、右採尿につき通常用いられるカテーテルを尿道に挿入して尿を採取する方法は、被採取者に対しある程度の肉体的不快感ないし抵抗感を与えるとはいえ、医師等これに習熱した技能者によって適切に行われる限り、身体上ないし健康上格別の障害をもたらす危険性は比較的乏しく、仮に障害を起こすことがあっても軽微なものにすぎないと考えられるし,また、右強制採尿が被疑者に与える屈辱感等の精神的打撃は、検証の方法としての身体検査においても同程度の場合がありうるのであるから、被疑者に対する右のような方法による強制採尿が捜査手続上の強制処分として絶対に許されないとすべき理由はな[い]」。
(3) 人の身体内部に及ぶ強制処分が、身体・健康上の障害をもたらす危険の乏しい行為でなければならないのは当然の前提である。前記のとおり、医療技術として安全性が確立した措置であっても、医療目的ではなく犯罪捜査目的で、これを対象者の意に反し抵抗を制圧して実施することに伴う危険が問題であるう。また,屈辱感等の精神的打撃に対する評価は、人格的法益に対する感受性の問題である。最高裁が同程度の場合があり得るとして言及する「検証の方法としての身体検査」とは、対象者の抵抗を制圧しつつ下半身を露出させて肛門や膣内を調べる行為を想定したものと思われるが、身体内部に侵襲し人為的に排尿を操作する行為はこれを超えるとの感性もあり得よう。原審の法的感受性には十分な理由があったように思われる。適式な強制処分の個別事案における適用が個人の尊厳という人格的法益(憲法13条)の著しい侵害をもたらす場合、司法権には、基本的な正義の観念(悪法31条)を用いて、これを阻止すべき責務があるというべきである。
(4) 最高裁は、強制採尿が許容される具体的要件について、次のように説示する。
「被疑事件の重大性、嫌疑の存在,当該証拠の重要性とその取得の必要性、適当な代替手段の不存在等の事情に照らし、狙罪の捜査上真にやむをえないと認められる場合には、最終的手段として,適切な法律上の手続を経てこれを行うことも許されてしかるべきであり、ただ、その実施にあたっては、被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮が施されるべきものと解するのが相当である」。
この要件は、文面上、通常の強制処分(一般の捜索や検証)より厳格な限定を叙述しているように読める。将来、同様の法益侵害が想定される処分の許否を検討する指針となろう(もっとも、覚醒剤自己使用の罪が「重大」事犯であるかには、様々な評価があり得る。法定刑だけが指標ではないだろう)。「真にやむをえない・・・・・・・最終的手段」「被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮」
が要請されていることから、この趣意を令状裁判官が処分の実行に関する「条件」に組み込み、例えば、採尿の方法として、直接強制に先立ちまず捜査機関が被疑者に対し自然排尿による尿の任意提出を求めなければならない旨を令状に記載して、強制採尿の実行を「真にやむをえない・・・・・・最終的手段」とするよう指示することもできるであろう。
もっとも、この判例が、対象者に尿の任意提出をする機会があり、かつ明示的にこれを拒絶していることを強制採尿の不可の要件としているとまでは解されないので、対象者に自然排尿と任意提出の意思を確認することができない場合であっても、強制採尿実施が可能との帰結になろう!(錯乱状態に陥っていて
尿の任意提出が期待できない状況にあった被疑者からの強制採尿を適法とした判例として、最決平成3・7・16刑集45巻6号201頁)。
* 採尿状請求に先立って察官が被告人に対して任意の説得をしたなどの事情はなく、同令状発付の時点において、任意の尿の提出が期待できない状況にあり適当な代替手段が存在しなかったとはいえないから、同令状は、強制採尿を実施することが「犯罪の捜査上真にやむを得ない」場合とは認められないのに発付されたもので、その発付は違法であり、同令状に基づいて強制採尿を実施した行為も違法とした判例として、最判和4・4・28刑集76巻4号380頁がある。
(5) 昭和55年判例の事案では、採尿は身体検査状と鑑定処分許可状の併用により実施されており、この方式がそれまでの実務の大勢であった。ところが最高裁は、強制採尿の法形式について、従前とは全く異なったのような方式を示した。現在の実務はこれに従っている。しかし、その法解釈手法には疑問がある。
「適切な法律上の手続について考えるのに、体内に存在する尿を犯罪の証拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものとみるべきであるから、捜査機関がこれを実施するには捜索差押状を必要とすると解すべきである。ただし、右行為は人権の侵害にわたるおそれがある点では、一般の捜索・差押と異なり、検証の方法としての身体検査と共通の性質を有しているので、身体検査令状に関する刑訴法 218条5項[現6項]が右捜索差押状に準用されるべきであって、令状の記載要件として強制採尿は医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない旨の条件の記載が不可父であると解さなければならない」。
この法解釈は、もっぱら強制採尿行為の目的の観点からその法的性質を「捜素・差押」であると決定し、他方,対象者の被る法益侵害の性質とその保護の必要性という実質に即して、既存の法技術である身体検査に関する「条件の附加」を柔軟に活用しようとするものである。反面、従前、実定刑事手続法規について、処分の目的のみならず、法的実行主体、法が各処分に明示的に記述しまたは記述していない手続や処分自体の性質等の多角的側面に考慮した解釈論が形成されてきたことを軽視している。
(6) 第一、法218条1項の定める一般の「捜索」について、令状裁判官が適当と認める条件を附加することができる旨の明文規定は存在しない。それ故に、条件の附加を要するような人の衣服を取り去って裸にしたり、身体内部に侵襲する処分を「捜索」として行うことは許されないと解されてきた。最高裁の判断は、処分の目的が証拠物の探索である限り、人の身体の内外を問わず「捜素」(本件においては臓器である膀胱内の「捜索」)が可能であるとした点で不当である。人の臓器はポケットや机の引出ではない。明文のない条件の附加を、処分の性質と対象者の法益保護の観点から準用することは、それが対象者の被る法益侵害を減縮する方向に作用する点で、令状主義の基本精神にかなった妥当な帰結であるとしても、明文規定の解釈論の限度を超えるであろう。むしろ、明文で条件の附加が認められている検証としての身体検査及び医師が実施主体となる鑑定処分としての身体検査の法的枠組に包摂して事案処理をするのが適切であったように思われる。
第二、カテーテルを用いた採尿は、専門家である医師でなければ安全に実施し得ない泌尿器科の医療技術である。その実質に即した最も適合的な法形式が、鑑定処分としての身体検査であることは論を俟たない。捜査機関が法的実行主体となって処分を強制する捜索差押状を基軸に用いるのは、現行法の定める基本的な処分の区分枠組を無視するものである。判例は、明文を無視して検証としての身体検査令状に係る特別規定を捜索・差押えに「準用」し、そのうえ記載が不可欠と指示する条件の内容として、専門家である医師を処分の実施主体とした。こうして最高裁は、証拠物の捜索差押え状,検証としての身体検査令状,専門家を主体とする鑑定処分許可状の各令状を部分的に合成した新たな「強制採尿令状」を創出したとみられる。しかし,そのような実質的立法権限が最高裁判所に委ねられているとは思われない。
仮に強制採尿を許容すべき場合があり得るとすれば、その法形式は、専門家たる医師を主体として実施する鑑定処分としての身体検査、すなわち鑑定処分許可状を基軸とすべきであり、さらに仮に直接強制を許容するとすれば、採尿は医師をして医学的に相当な方法で行わせなければならない旨の条件を附加した身体検査令状を併用する従前の実務の扱いが最も適合的であったように思われる。前記のとおり、現行法は「捜索」が人の身体内部に及ぶことを想定していないと解されるので、捜索状は不適である。採取された尿は差押により取得・保全できよう。