第十章 追憶のボーナス
2025年11月19日
探偵はここにいる
森 秀治
「僕は、浮気はしていませんでした」って報告するのが一番嬉しいんですよ」
小暮は、愛想のいい顔をさらに崩しながら、きっぱりと言い切った。
彼の指定で、東武東上線坂戸駅の改札で待ち合わせた。駅前には大きな桜の木があり、あと一、二日で満開を迎えるという、どこか浮き足立つような陽気だったが、駅の北口にある広々としたバスロータリーには、人の気配がほとんどなかった。周囲には弁当屋やドーナツ店、コンビニ、大手のチェーンの居酒屋が寂しそうに佇んでいる。かつては郊外のベッドタウンとして賑わったが、現在は人口減少が進んでいるのだろうか。昔の面影を残しながら朽ちていくベッドタウンの典型のような街だった。
午後三時過ぎ、小暮はジャケットにチノパンという、いわゆる探偵らしい服装で現れた。それは背は高くないが、彫りの深い顔、キリッとした眉毛、引き締まった体形が印象的なダンディな男だった。ダンディではあるが、幼さも残っている。第一印象では三〇代後半くらいかと思ったが、年齢を聞いてみると一九七二年生まれの四七歳だった(取材当時、二〇一九年三月)。
小暮は探偵歴二四年のベテランだ。人生の約半分を探偵業に捧げてきたことになる。それほどの時間を費やした小暮が現在たどり着いている境地が冒頭の言葉である。その言葉だけでも小暮の人柄のよさが感じられる。
真面目に実直に探偵業に従事してきた、まるで職人のような探偵、それが小暮哲という男である。
小暮は現在、自分を含めて従業員三人の小さな探偵社を経営しているが、彼の探偵人生は業界では知らない人がいない、大手探偵社からのスタートだった。
探偵になる前はテニスのコーチをしていた。というのも、小暮は中学生のときからテニスに情熱を傾けてきた。中学校では軟式テニス部に所属し、高校から硬式テニスを始めた。多くの中学校のテニス部は軟式だ。最近では硬式テニス部があるところも増えてきたが、一昔前の中学校では軟式テニスが主流だった。
小暮は中学時代に、すでにテニスの魅力に取りつかれていた。県内で上位に入る実力で、高校は私のテニス強豪校へ進学したほどだった。硬式テニスは、軟式テニスとの共通点も多いが、グリップの握り方が違うなど、相違点も多い。一番の違いはバックハンド。軟式テニスはフォアハンドもバックハンドも同じラケット面でボールを打つのだが、硬式テニスでは反対の面で打つ。多くの軟式テニス経験者は、このバックハンドに苦戦する。
小暮も最初、軟式と硬式の違いに苦戦したが、誰もが通る道だった。高校時代の小暮は、県でベスト16に残るほどの選手だった。ベスト16に残ると、全国大会の予選出場もできるのだが、そこで敗退してしまい、残念ながら全国には届かなかった。
「やっぱりテニスプレーヤーになりたかったですか?」私は聞いた。
「なりたかったですね。なりたかったですけど、現実は厳しかったです。それでテニスに携わる仕事がしたかったです」
高校を卒業した小暮は、スポーツ指導者を育成する専門学校に通うことにした。小暮が専攻したテニス学科では、座学と実習を通じて、テニスの指導だけでなくフィジカルトレーニングやスクールマネジメントも学べる。テニス学科に二年間通えば、日本スポーツ協会が公認するテニスコーチの資格試験を受けることができるのだ。その専門学校には、テニス学科の他に、ゴルフ学科と一般スポーツ学科があった。一般スポーツ学科はスポーツクラブのインストラクターを目指す人のためのコースである。
小暮は試験に合格してテニスコーチの資格を取得する。卒業後、全日本の監督経験者が経営するテニスクラブに就職した。「そういう人の下で働いていたら、チャンスが来るかなってのが頭にありました」と、打算的な動機があったことを正直に話してくれた。チャンスとは、ジュニアの子どもたちを教えること。小暮はジュニア選手の指導に惹かれていたのだ。
「僕はプロのテニスプレーヤーになりたい思いが強かったので、同じ夢を持っているジュニアのお手伝いを、したかったんです」
当時は、ジュニア専門のコーチはほとんどおらず、松岡修造のような有名人でないと親は子どもを預けてくれない。いくら指導がうまくても、全日本優勝などのわかりやすい実績がないと信頼してもらえないのだ。
「当時は理不尽に感じていましたけど、僕には息子がいて、テニスをやっているんですけど、全日本ジュニアで優勝した人がコーチなんですよ。親の立場になってみると、やっぱり肩書きって大事なんだなと実感しました」
小暮は自身の指導力不足を自覚していた。教えている子がある程度うまくなったら有力なコーチに紹介する。そういう架け橋になりたかった。
ジュニアの選手を教えたくても、チャンスは簡単に訪れない。新米コーチである小暮が受け持ったのは、一般のクラスだった。都会のクラブであれば、仕事帰りの会社員やOLといった若い人も多いが、小暮が勤めていた郊外のクラブは地域密着型の経営戦略もあり、年配の人ばかりである。おじいさま、おばあさま相手にテニスを教える日々が続いた。
まだ二〇歳そこそこの青年にとって、お客様である生徒はみな年上である。若くても三〇代で、多くが五〇代だった。年配の人に教えることほど難しいものはない。特に小暮は、年配の人からは教えてもらうもの、という感覚しか持っていなかったのだ。
テニスクラブのクラスは基本的に二人のコーチが受け持つ。メインのコーチが主に指導し、もう一人がアシスタントコーチとしてサポートする。コーチに成り立ての小暮はアシスタントコーチからスタート。最初は、年配の人たちが可愛いがった。テニスの上手な若い子と見られているうちは、何の問題もなかった。
私の世代でテニスコーチといえば、高橋留美子のマンガ『めぞん一刻』に出てくる三鷹瞬である。
メインコーチを任されるようになると、年配の生徒たちの視線に疑念が混じるようになった。「なんでこの人がメインコーチなの?」「若造なのに、生意気なの」といった無言のメッセージが小暮の胸に突き刺さる。金を払っているので、ベテランのコーチに教わりたいのか、それとも若い人に教えを請うのが嫌だったのか。どちらにしても、小暮はその雰囲気に耐えられなくなり、一年半々でテニスクラブを辞めてしまった。
辞める前、一度、キッズを教える機会があった。キッズとは、ジュニアの前の段階で、小学校低学年くらいである。ジュニアを指導したかった小暮にとっては願ってもない機会だった。先輩コーチからは「絶対に甘い顔をするなよ」と忠告されていた。
しかし、子どもたちに教えられる喜びも、最初だけだった。
「最初はいうことを聞くんですよ。でも、だんだん『この人、大丈夫?』って慣れてくると、いうことを聞かなくなるんです」
サーブの練習をしようとしても、子どもたちは遊び始めて、いうことを聞かない。なめられてしまったのだ。二〇歳の小暮は、子どもを怒ることもできなければ、子どもを乗せることもできなかった。苦肉の策で、「サーブのちゃんと入ったらジュースをおごってあげる」と約束して、サーブ練習をさせた。
「それを上のコーチにいたら、ものすごく怒られましたね。そんなことやっちゃダメだ、モノで釣っちゃいけないってきつく言われました。そのとき、子どもを教える大変さを知りました。趣味を仕事にはできないんですね」
小暮にとって、テニスコーチを辞めたことは挫折だった。高校を卒業したのは一九九〇年で、世の中はバブル真っただ中だった。高校の教師からは「今、就職しないでどうするんだ。どこでも就職できるし、ダメでも簡単に公務員になれるから」といわれていた。小暮は一般企業に就職することに興味がなく、周囲の反対を押し切ってテニスコーチの道に進んだのだ。決して軽い気持ちで飛び込んだわけではないが、早々に諦めてしまったことが、小暮の心に〝挫折〟という形として残り続けることになる。
実家暮らしではあったが、働かないわけにもいかず、遊ぶ金はほしくもあって、居酒屋でアルバイトを始めた。居酒屋で働き始めたのには理由がある。
「居酒屋で夜の仕事なんですよ。テニスに未練があったんですね。コーチは辞めてしまったけど、プレーヤーとしてもう一度勝負したいと思ったんです」
挫折を払拭するには、それを乗り越える何かを得ないといけない。小暮は昼間に練習をして、プロのテニスプレーヤーを目指そうと考えた。だから夜の仕事を選んだのだった。
日本テニス協会に申請すれば、誰でもプロになれる。ゴルフのようにプロテストや試験などはなく、トーナメント・プロフェッショナルだと日本のランキングが一〇〇位以内に入らないと駄目だが、レジスタード・プロフェッショナルであればランキングに関係なく、研修と登録料(年間一万円)でプロになれるのだ。両者の違いはそれほどない、そうだ。
とはいっても、プロとしてテニス一本で生活できるかは別問題。国内のツアーに出場するだけでは到底食べていけず、賞金額の大きな海外ツアーに参加しなければならない。錦織圭選手のような強化選手になれば、協会が全面的にバックアップしてくれるが、一般選手は自費である。
海外のトーナメントには、誰でも自費で出場できる大会があるのだ。コーチをつけたければ、それも自費。金がなければ、海外のツアーを回れないし、優秀なコーチの指導を受けることもできない。
「最初は、プロとして国内のトーナメントに出場したいと考えていたんです。それで夜の仕事を選んだわけですけど……」
まだ若かった小暮は、同年代のバイト仲間と遊ぶのが楽しかった。大きな夢や目標を持っていたとしても、目先の快楽を優先してしまう。特に若い時期は、自分を厳しく律することもできなければ、まだ時間猶予があるようにも感じてしまう。日々の努力が大事なことはわかっていても、つい誘惑に負けてしまう。「あのとき、もっと頑張っておけばよかった」と思うのは、後で振り返ってからである。脇目も振らずに一つの目標に邁進することは難しいものはない。
小暮は、朝方にバイトが終わると、みんなで飲みに行ったりカラオケに行ったりした。そんな生活をしていると、昼間は寝るしかなく、当然のようにテニスのラケットを握らなくなった。プロのテニスプレーヤーになるという目標は、いつの間にか夢物語に変わり、小暮にとって優先事項ではなくなった。テニスコーチに対する挫折感もあったが、テニスで見返したいという気持ちは徐々にしぼんでいった。
その居酒屋では、各社の新聞をとっていた。わずかに空が白んでくる頃、新聞配達員がバイクの音を響かせて朝刊を届けに来る。その新聞に、毎週のように挟み込まれているチラシがあった。大手の探偵社の求人チラシである。月給二五万円という小暮たちからすれば高給待遇だったこともあり、仲間内でにわかに話題になった。
仲間同士で「お前、探偵になったら?」「でも、探偵ってなんか怪しいよね」などと話しながらも、探偵社で働こうとする者はいなかった。なぜ、小暮は探偵社の求人に応募したのか。本人も、そのところは曖昧だ。「なんでなんでしょうね……」と言葉を探していた。明確な理由はなかったようだが、興味はあったのではないか。
「テニスコーチも居酒屋も結局は客商売というか……、あまり人と接したくないというか……、調査の仕事であれば誰とも接しないんじゃないか……と思ったのかもしれません」
テニスコーチ時代の生徒との関係は、それほどつらい経験だったのだろう。居酒屋の仲間と遊ぶのが楽しかったのも、その反動だった可能性がある。ただ、探偵にかっこいいイメージもあったという。
「探偵の仕事にも興味を惹かれたんだと思います。小さいときからシャーロック・ホームズは好きでしたから」
かっこいい探偵になって、まわりから認められたい。テニスは諦めてしまったが、別の場所で活躍したい。そういう思いがあったのだろう。
探偵社に面接に行くと、怖そうな人が現れた。常務だと名乗ったが、やくざのような風貌で、ドスの利いた低い声はしゃがれていた。小暮は反射的に背筋が伸びたのを覚えている。「交通違反をしたことがあるか?」と聞かれ、正直に「最近、駐禁とスピード違反を取られました」と答えると、きつく叱られた。それだけ探偵にとって運転免許は重要なのだ。「怒られただけで面接が終わった気がします」という小暮は、絶対に落ちた、と思った。
後日、合格の連絡をするというわけなのだが、その連絡手段は、なぜか電報だった。生まれて初めて受け取った電報には、カタカナで次のように書かれていた。
「ジョシュツサレタシ」
探偵の道を歩み始めた小暮は、三日間の研修を受けた。研修は座学で、探偵業界の話、尾行術、探偵の定義などだった。その研修で、コード番号というものを教えられた。コード番号とは、その探偵社独自の隠語や略称で、コード1=張り込み、コード2=尾行……など、よく使用する言葉にコード番号が振られていた。当時、コードは15まであったそうだ。無線を傍受されたり、盗聴されていても、「この前コードしてたから、2そして3になった」と会話していれば、内容が漏れることはない。
研修を受けた次の日、小暮は現場に送り込まれた。対象者が乗った車を尾行する任務だったが、車を張り込みをしただけで終わる。自宅に止められている車が動くことはなかったのだ。依頼者の妻によると、その日が怪しいとのことだったが、愛人に会に行く様子はなく、動きがなかったのである。
張り込みで待機している間、先輩の探偵は小暮を指導した。「コード番号は覚えたか? コード4は何?」と聞いてくる。その探偵社では、現場の待ち時間に先輩から後輩に実践的なことを教育するスタンスだった。
初日は優しい先輩と組んだが、二日目は怖い先輩にあたった。三日目は恐ろしい先輩で、怒鳴られてばかりだった。小暮の心には、すでに辞めたい気持ちが芽生え始めていた。四日目、小暮は会社に電話して「ちょっと具合が悪いので休みます」と伝えた。電話に出たのは面接をしてくれた常務で、「お前、もしかして辞めたいとか思ってるんじゃないのか」と凄まれた。小暮は怖くて「違います。本当に体調が悪かったんです」と答えるしかなかった。その日は休んでしまったが、次の日に出社したのは、常務が怖かっただけでない。
「テニスコーチで世の中に挫折感があったので、自分が『辞める』といったときに、『辞めないでくれ』といってもらえる存在になりたかったんです。『お前がいなきゃダメなんだ』って。そういう存在になるまで辞めないと思って頑張りました」
今度こそ歯を食いしばって一人前になろうと決意を新たに出社したのだった。
探偵の仕事は、基本的に対象者の行動を調査する。ただ、対象者が朝の八時に起きるなら、探偵は朝五時には張り込んでいなければならない。そのためには、場所によって朝四時に起きる必要がある。「対象者の倍起きていないといけないんです」と小暮はいう。実際、研修はないような、そのくらい睡眠時間が少ないのがつらかった。面接では「二勤一体(二日働いて一日休み)」といわれていたが、守られたことなどなかった。
当時の探偵社は、どこも同じような勤務形態だったそうだ。夜中に帰ってもシャワーを浴びる間もなく出社することも多く、探偵はまるで使い捨ての駒でしかなかった。小暮が入社した探偵社で一番のベテラン探偵は、入社して四年しか経っていなかった。ほとんどが一年未満で辞めていく。四年もやっている先輩探偵は、「あいつ、四年やってるなんて、おかしいんじゃない」とまわりから囁かれていたくらいである。
「大胆というのは、仕事よりも楽しみにかまけるよりも、神経がやられますからね」
シャーロック・ホームズ
『緋色の研究』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著 日暮雅通訳 より
それでも小暮は、二〇年以上、その探偵社に在籍した(先ほどの四年も働いていた先輩も残っていたそうだ)。
「相当バカじゃないと残れないって、みんな言ってたんですけど、僕の後ぐらいから長く続く人が増えてきたんですよ。徐々に会社も変わっていったのではないでしょうか」
大手探偵社だけあって、有名人の調査依頼も多かった。ほとんどはパートナーの浮気調査だが、あるミュージシャンの熱烈なファンからの依頼という変わり種もあった。今ではストーカー規制法に触れるので調査はできないが、小暮が探偵として働き始めた二〇年以上前は可能だったのだ(ストーカー規制法が施行されたのは二〇〇〇年一一月二四日)。
ソープ嬢の家を知りたいという調査もあった。対象者であるソープ嬢の源氏名はわかっていたが、顔はわからなかったので、まずは客として顔を確認する。その後、出てきた対象者を尾行して自宅を割り出すのだ。
小暮が店に入る担当になった。対象者をチェックし、トイレに行くフリをして通用口を確認した。一連のサービスを受けてから外で張り込んでいると、店の裏から女性の悲鳴が聞こえてきた。小暮が声のほうに駆けつけると、対象者が男に拉致されそうになっていたのだ。幸い、その近くにいたホストたちに助けられて、対象者は事なきを得た。ホストたちは、仕事を終えたソープ嬢に声をかけるために待ち構えていたのだ。ソープ嬢が出入りする裏口を、ホストは熟知していたのだろう。
拉致しようとした男も、その様子から裏口の場所を推測していたのかもしれない。
小暮は内偵までしたのに、店の裏口に気付けなかった。その店ではストーカー対策で、客の目には触れない裏口があり、そこから外に出られるようになっていたのだ。危うく小暮は対象者を見落とすところだった。客を装っておもしろい思いをしたのに、見失ってしまっては目も当てられない。
「対象者を拉致しようとしていたのは、依頼者だったのでしょうか?」私は聞いてみた。
「そうかもしれないんですけど、僕には依頼者かどうかわからないんですよ」
小暮は依頼者がどういう人物かを知らなかった。調査員である小暮は、依頼者と会うことも、写真などで顔を確認することもない。それどころか、小暮の探偵社は、内勤の相談員と現場の調査員の会話すら禁止されている、とても閉鎖的なところだったのだ。
だが、調査内容によっては、依頼者に会う場面が出てくる。盗聴器の調査では、自宅を訪問するため、依頼者の立ち会いが必要だ。中には、「毎日、家の中に入ってきて天井に潜んでいるんですよ」「昨日なんか、私、毛を剃られちゃったのよ」など、被害妄想の激しい依頼者も多かった。他の探偵も同じことをいっていたので、想像以上に妄想に取りつかれた依頼者は多いのかもしれない。
「不法侵入者がいるという依頼でカメラを仕掛けに行ったら、だいたい一〇件に八件か九件は、そういう依頼者でした。話を聞いただけでも妄想とわかるのですが、頭ごなしに否定はできません。なので、侵入者はいないという証拠を取るために、カメラで撮影していました」
「どんなことでも確認しておいたほうがよいからです。調査はむだではありませんでした」
シャーロック・ホームズ
『ライゲイトの謎』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著 日暮雅通訳 より
不法侵入者がいないという客観的な証拠を取っても、納得しない依頼者は多い。依頼者本人は、「侵入者がいる」と確信しているのだ。クレームになってしまうことも多く、最近はそういった依頼は引き受けないようにしている。
「僕の友だちに心理カウンセラーがいるんですけど、そいつに話したら、『そういう患者さん、探偵に行っちゃうのか』と嘆いていました。『俺らって競合他社だったんだ』って。まるで笑い話ですね」
怪文書が自宅ポストに入れられるという案件もあれば、玄関に排泄物が置かれているという変わった案件もあった。どちらも嫌がらせがエスカレートしたもので、依頼者の知り合いによる犯行だった。恨みや妬みといった負の感情は相手を攻撃するだけでなく、必ず自分にも跳ね返ってくる。
小暮は下着泥棒を捕まえたことが何度かある。その中で印象的だった案件について話してくれた。
二〇代後半の女性からの依頼だった。一人暮らしをしている依頼者のアパートは一階にあり、ベランダに干してある下着がよく盗まれるという。ベランダ沿いの道は大通りに通じる抜け道になっていて、夜間には多くの車とサラリーマンが往来する。一方、夜中になると街灯が少ないため、人通りはほとんどない。
小暮は、ベランダに二四時間態勢で録画できるように隠しカメラを設置した。依頼者から下着が盗まれたという報告を受けて映像を確かめると、不審な男が依頼者の下着を取っていく姿が写っていた。
後日、カメラのモニターで監視しながら、小暮ら探偵は依頼者の部屋で待機。下着を取った男をその場で取り押さえようと考えた。映像を証拠に、警察に突き出すこともできる。
小暮が予想していたよりも、調査は長期に及んだ。というのも、不審な男がベランダを覗きにくるのだが、下着に手を伸ばさないのである。
数日後、ついにある男が下着に手を伸ばした。潜んでいた小暮は咄嗟にその男を捕まえた。ところが、その男は下着を盗んでいない。男を焦った小暮は、男が下着を取る直前に動いてしまったのである。しかも、その男は以前にカメラに写っていた下着泥棒とは別の男だった。下着泥棒は他にもいるのではないか、という疑念が過ぎり、その後も調査を続けることになった。
調査をしていると、確かに不審な男は現れる。しかし、下着を吟味するだけだった。小暮らは仮説を立てた。「新しい下着は盗まない」のではないか、と。調査に依頼者の下着を利するわけにはいかないので、買ってきた新品の下着をベランダに干していたのである。
依頼者の了承を得て、本人の下着を干してみた。すると、これまで手を出さなかった男が下着を取ったのである。小暮ら探偵は男を取り押さえることに成功。そのまま警察に引き渡すことになった。「下着泥棒にも趣向性があり、使用されていない下着は盗まないというこだわりがあったのだろう」
これで一件落着かと思われたのだが、話はもっと複雑だった。この男も、最初の映像の男ではなかったのだ。最初にカメラに写っていた男、間違えて捕まえてしまった男、実際に逮捕された男……。他にもいたかもしれないが、少なくとも下着泥棒は三人いたのである。
後で調べたところによると、下着泥棒には「対場」と呼ばれる場所があり、同じ性癖を持つ者たちは、インターネットの掲示板で対場の情報を共有していたのである。盗みが成功したところ、盗みやすいところが対場になるそうだ。コインランドリーも対場の定番である。依頼者のベランダは、「下着泥棒」にとって盗みやすい条件が揃っていたようで、犯罪者たちが夜な夜な下着を物色に来ていたのである。
「危険が身近に迫っているのに、それを省みないのはけっして勇者じゃない、愚鈍というものだ」
シャーロック・ホームズ
『最後の事件』(シャーロック・ホームズの思い出) 新潮文庫 コナン・ドイル著 延原謙訳 より
三〇歳のとき、小暮は結婚をした。相手は同じ探偵社に勤める事務員だった。先に述べたとおり、小暮が勤めていた探偵社では、探偵と内勤の事務員は会話をすることすら禁止されている。社内恋愛などもっての他だった。
「どうやって付き合うことになったんですか?」私は聞いた。
「先輩から手紙を渡されたんです。その手紙にメールアドレスが書かれていて、連絡くださいってありました」
爽やかさと優しさが滲み出ている小暮の顔を見ると、女性のほうから声をかけたくなるのも頷ける。だが、「好きということは、すでに離婚している、ということだ」。
「彼女のことが好きだったんですか?」
「う~ん、かわいいなとは思っていましたけど、会話もしたことがなかったので」
外で会うようになった二人は、共通の話題も多く、会話が弾んだ。小暮は調査や上司の話をした。相手からは内勤や依頼者の話などを聞いた。これまでできなかった会話に花が咲き、互いに惹かれるようになっていく。秘密の付き合いが始まるのは自然の成り行きだった。
付き合い始めて一年が過ぎた頃、彼女に新しい命が宿った。二人は結婚を決めたが、保険などのこともあるので、会社に報告しなければいけない。「ものすごく怒られましたね」と小暮は当時を懐かしんで笑っていた。
長女と長男を授かったが、結婚生活は五年ほどで終止符を打った。
「離婚の原因は何だったんですか?」
「お金でしょうね。子どもの教育論の食い違いもありましたけど、一番はお金です」
その頃、小暮は独立していた。二〇年勤めて幹部になっていたが、小暮は会社を退社。その探偵社から業務委託を受けるための事務所を立ち上げていた。
「独立といったらあれですけど、正社員から外れて、下請けになったということです」
有能だった小暮には、安定的に仕事が回ってきた。独立して給与の不安はなかった。ところが、仲が良かった元上司との折り合いが悪くなり、仕事が激減してしまう。一社に依存する下請けのつらいところである。
小暮は、他の探偵社からも仕事を受けようと考え、営業をかけた。すると、その情報が元いた探偵社に伝わってしまい、完全に仕事を失った。守秘義務という名の下、業務委託契約書には他の探偵社からの業務を受けることは禁止である旨が記載されていたのだが、小暮はバレるとは思っていなかった。探偵業界は思っていたよりも狭い世界だった。
離婚話になったのは、ちょうどその頃である。
元請けを失った小暮は、大手の探偵社から小さなところまで、あらゆるところに営業に回った。
企業調査を専門にしている事務所とも連結したが、駄目元で帝国データバンクにも営業をかけた。
足を使って歩き回ったが、仕事は得られなかった。
仕事がないなかで金だけが飛ぶように膨らむと、家庭の調和にも亀裂が入るようになった。家の中にイライラが充満、些細なことで口がつくと、喧嘩という大爆発が起こる。家族の明るい未来を想像することができなくなった。
ようやく、ある大手探偵社から定期的な仕事をもらえるようになり、金銭的な不安が少なくなったのだが、夫婦の関係は後戻りできないところまできていた。三五歳のとき、小暮は離婚した。
離婚して二〇年以上経つが、今も元妻と子どもたちは小暮の近くに住んでいて、頻繁に会っている。中学二年生になる長男のテニスの練習には、父親である小暮が付き添っている。
「お子さんは、お父さんの職業をご存知なんですか?」
「知っています。友だちにも話しているみたいで、興味を持たれているそうです」
長男が小さい頃、小暮は子連れで調査に出かけたこともある。父親のことが大好きだった長男は、小暮から離れると泣き叫ぶため、一人で行える簡単な調査のときに、何度か連れていった。
「聞き込みとかだったら、自分のペースでできるので、子連れでもできるんですよ。さすがに尾行は無理ですけど、一回だけ夜の張り込みに連れていったことがありました。でも、夜中に車の中で待たせるのがかわいそうで……。『まだ来ないね』なんていいながら、健気に待っているんですよ」
子連れ探偵の顔は優しい父親の顔に変わっていた。
小暮は、その後も業務委託で探偵を続けてきた。自社で依頼を受けることもあるが、基本は外注だった。探偵業界は、ほとんどの依頼が大手に行く流れになっている。昔は電話帳での広告がメインだったが、現在はネット広告が主流だ。どちらも広告にかけられる金額がモノをいう。潤沢な広告費を持った大手に零細探偵社はかなわない。中には、探偵のいない大手探偵社もあるという。仕事を取るマーケティング力はあっても探偵がいないので、小さな探偵社に仕事を外注することになる。
それはどの業界も同じかもしれない。私が長く携わっている出版業界にも編集者のいない出版社があり、編集を外注することは珍しくない(営業がいない出版社もある)。そもそも最初に勤めた会社は、編集を外注することに決め、編集部のほとんどが解雇になった。内部に編集者がいたとしても、外注に頼り切っているところも多い。
「うちに直接依頼してくれると、安く済むんですけどね。でも僕は、調査はできるんですけど、その他のことが不得意なんです。依頼者と面会したり、追加料金を請求したりするのが苦手なんです。直接依頼してくるのって、友だちのつてとかが多いんですけど、『この金額じゃ、めちゃくちゃ安いなあ』と思っても、『友だちだったら「まあ、いいいか」って請けてしまうんです』
小暮は依頼者とのやり取りも、電話ではなくメールを好む。尾行中に電話に出られないという表向きの理由もあるが、実際は依頼者と話すのが苦手だからである。取材をした限り、友好的で話し好きの印象しかなかったので、意外だった。
「探偵の仕事は好きですか?」私が聞いた。
「まさかここまで続けるとは思っていなかったんですけど、好きというよりは合っているのかもしれないです。でも僕、一度探偵を辞めていた時期があるんですよ」
小暮が探偵を辞めるきっかけになる案件があった。ある大手探偵社からの業務委託で、対象者の浮気相手を尾行するという調査だった。名前はわかっていたが、写真もなく、外見の特徴しか情報がない。妻の依頼で対象者である夫を調査したところ、浮気相手の女性が特定でき、一度調査報告書も提出されていた。ところが、調査中にわかったことだが、もう一人、女性の影があったのだ。
第二の浮気の証拠を取るため、さらなる調査をすることになり、小暮に仕事が回ってきた。
彼女の勤務先の駅前を張り込むのだが、特徴だけでは対象者を特定することができない。「唇が長くて少しパーマをかけている。眉毛が太く、目はキリッとしている。背は高くも低くもなく、どちらかというと細いほう」といわれても、イメージは人によって異なる。
小暮は「写真がなかったので、わかりませんでした」で済ませようと思っていた。これだけの情報で相手を特定しろというのは無理がある。とりあえず特徴と一致する女性が出てきたので、「この人で、まあいいか」と尾行を開始した。三〇歳くらいの若い女性だった。
東京メトロ東西線に乗り込んだ女性は、西葛西駅で下車し、近くのドラッグストアに入っていった。追いかけていた女性が本人か対象者の確信を持てないまま、小暮は彼女の後を追い、要所要所で写真を撮影していた。調査報告書には「何時に西葛西のドラッグストアに入った」という文字情報と一緒に、証拠となる写真が必要だからである。
対象者の写真を撮るという行為には、発覚する危険がはらんでいる。特に顔を撮影することは、対象者と向き合うため、相手に気付かれる代表格といってもいい。
小暮は、尾行を格闘ゲームのライフゲージのようなものだと考えている。最初は一〇〇%のライフを持って尾行を開始する。対象者と接近するとライフが減る。顔写真を撮影するときは、多くのライフを消費する。一緒にエレベーターに乗ると、半分くらいのライフが一気に減る。ライフが〇%になったら、ゲームオーバー(発見)である。一連の尾行の中で、ライフをどこで使うか、それが探偵の腕の見せどころだ。
小暮はドラッグストアに近寄り、一眼レフで撮影していた。すると、店の外にいた年配の女性に訝しがられ、「あんた、何やってんの?」と注意された。小暮は気にせず、撮影を続けていたのだが、その人が店員に知らせに行ってしまった。尾行していた女性は、たまたま店員の横にいて、怪しい人物の存在を知って驚く。おそらく、それ以前にも小暮の姿が目に入っていたのだろう。彼女の驚いた顔は「あっ、あの男、さっきもいたような気がする」という心情が表れていた。小暮はライフゲージがほぼ〇%になったことを確信した。
最大限の警戒をしている人物を尾行することは難しいものはない。女性は、駅前に戻ってスマホをいじったり、誰かに電話したりして、自宅に帰ろうとしない。行ったかと思えば、また戻ってきたり、警戒心を緩めることがない。完全にバレているのを知りながらも、小暮は尾行を遂行するしかなかった。
その後、女性はレンタルビデオ店に入っていった。小暮も住所をメモしてから、入店するつもりだった。しかしながら、メモを取っている間に、彼女は外に出てきた。小暮はメモ帳をサッとカバンに放り込み、何事もなかったように店に入っていった。ビデオを選んでいるフリをしながら店の外に女性を観察していると、彼女は店の出入り口に立ち止まっている。小暮を見張っているかのように女性の観察は「これは絶対に警察が来る」と瞬時に察知。裏口から逃げる暇もなく、警察官がやってきた。おそらく駅前で警察に通報していたのだろう。
小暮はとにかく店の奥に逃げ込んだ。警察官と女性は奥にやってくる。「この人です」と指され、小暮はベルトの後ろをつかまれた。小暮は「違うんですよ! 違うんですよ!」と訴えるが、警察官に「違うじゃない!」と一喝される。そこは、ピンク色に染まったアダルトビデオのコーナーだった。
「もはや手遅れ、取り戻すどころか追跡すら不可能です。手のほどこしようがありません」
シャーロック・ホームズ
『緋色の研究』(シャーロック・ホームズの帰還) 角川文庫 コナン・ドイル著 駒月雅子訳 より
警察署に連行された小暮は、「探偵だということはいわないでほしい」と懇願したが、すでにおまかせのような状況ではなく、女性をつけた回った事情を詳細に説明しなければいけなかった。女性から「誰かに頼まれたの?」と詰め寄ったが、小暮は「それだけはいえません。本当にすみません」と謝るだけだった。それでも女性は食い下がってきたが、警察官が仲裁に入ってくれた。
「この人も仕事でやっているんですから、もういいじゃないですか、〇〇さん」
警察官が呼んだ女性の名前は、まさに対象者の名前だった。適当に「この人でいいか」と疑いながら尾行をしていたわけだが、まさに浮気相手の女性だったのである。
「うわあ、ビンゴだったんだって驚きました。ビンゴだったんですけど、家もつかめなかったし、証拠も取れなかったし、バレてしまったんで結果は最悪でした。いっそ、違う人だったほうがよかったくらいです」
撮影した画像をすべて消すということで示談になったが、警察から「厳重注意」が言い渡された。厳重注意は、「今度、同じようなことをしたら逮捕するぞ」ということ。前科はつかないが、警察のデータベースには登録される。
実は小暮は、その何ヶ月ほど前にも警察官に連行されたことがあった。
住宅街の張り込みで、しきりに職務質問をされたのだが、「探偵なんです。こういう事情で張り込んでいるんです」と答えた。すると、その三〇分後にまた職務質問を受けた。別の警察官だったが、一度目ということもあり、小暮は思わず「また来たの?」と横柄な態度を取ってしまった。すると、その警察官は怒り出し、「なんか悪いもの、持ってんじゃないだろうな」と荷物検査までしてきた。小暮は「探偵なんで悪いものなんて持ってないですよ」といったが、カバンの中からハサミが出てきた。車にGPSを付けるときに黒いビニールテープで貼るのだが、そのときに使用するためのハサミだった。
「なんだ、このハサミは?」と凄む警察官。
「テープを切るのに使うんです」と弁解する小暮。
「凶器じゃないのか?」
「違いますよ。ビニールテープを切るためのものです」
「人を刺すこともできるんじゃないか?」
「人を刺すような顔に見えますか?」
「わかんねえじゃないか!」
結局、ハサミを持っていたために連行されてしまった。一回目に職務質問をしてきたのは所轄の警察官で、二回目は警視庁の警察官だったのだ。そのため、情報が共有されていなかったのである。
一日に一〇時間以上も張り込んでいると、通報されることも多い。怪しい車が長時間止まっていたら、近隣住民が不審に思うのは当たり前だ。以前、マンションの前で五時間ほど張り込んでいたとき、とある警察官から驚くような注意をされたことがあるという。
「あなたがた探偵なのですか? そこに張り込みをされていると、我々国際警察がマークしている外国人が警戒して出てこない。すぐに立ち退いてほしい」
国際警察という言葉に面食らいながらも、小暮は移動したそうである。それはさておき、多くの警察官は「仕事だから大変ですね」と理解を示してくれる。
「探偵協会主催の講習で、大阪府警の偉い人が話をしていくことがあるんですけど、その人がいうには、探偵って元は警察の部署だったみたいです。警察の中に探偵って部署があって、そこから探偵が一般名称になってたって話されていましたね。正式名称ではなく、あだ名みたいなものだったようですけど」
だから多くの警察官は、探偵に寛容だという。小暮も、先輩探偵から「探偵は、警察がやってくれないようなことをする仕事だ」と教わってきた。家出人の捜索でも、事件性がなければ警察は動かない。警察の代わりに、探偵が動く。小暮は、警察官と探偵は互いに協力するものだと思い込んでいた。警察官は探偵に協力的で当然、という態度が、反感を買ったのかもしれない。すべての警察官が探偵に協力的ではないことも、また事実なのである。
「先入観にとらわれるべからずという貴重な教訓になったよ」
シャーロック・ホームズ
『ソア橋の謎』(シャーロック・ホームズの事件簿) 角川文庫 コナン・ドイル著 駒月雅子訳 より
一カ月に二回も警察に連行されたことが、厳重注意の理由だった。今後、こういうことがあったら、いかなる処分も受けます」といった書面を書かされた小暮は、仕事に対する信念が揺らいでしまい、探偵を辞める決意をしたという。
その頃は、まだ離婚前だったこともあり、すぐに他の職を探す必要があった。小暮が見つけたのは、生活協同組合(生協)の配達員だった。契約社員としての採用だったが、正社員登用の道も開いていた。生協に正社員になれなければ、別の職を探すつもりだった。家族を養うためには、正社員にならなければいけない。そういう思い込みは、男性ならば理解できるだろう。
結果からいうと、小暮は正社員にはなれなかった。その原因は、「コミュニケーション能力の低さだった」と本人はいう。配達員の仕事は、トラックを運転して食品や日用品を届けるだけで、苦手な「お客さんである生協の組合員(その大半が主婦)との適度な会話」が求められる。会話が苦手な小暮には苦痛だった。
それも、探偵業から離れた期間は無駄な時間ではなく、探偵について考えるいい機会になった。探偵という職業への向き合い方と意義、依頼者への思いと対象者への配慮、そして自分自身の将来について、小暮は考えを巡らした。何度考えても、自分が得意なこと、自信を持ってできる職業は探偵しかなかった。対象者の行動に左右されるとはいえ、探偵の仕事は一人で行うことができる。人付き合いが苦手な小暮は、自分に合っている職業だと再認識することができたのだ。小暮が探偵に復帰するまでに、それほど時間はかからなかった。
探偵という職業を嫌気が差したこともあったが、これは長く続けられたのは、テニスコーチでの挫折を払拭するように頑張ってきたことだけではない。苦い経験もあれば、つらい依頼もあった。心がくじけるような案件もあった。それでも探偵道に邁進してこれたのは、支えとなるべき芯を見つけたからである。小暮は、年齢と経験を重ねるうちに、独自の探偵哲学を築き上げていったのだ。
それは、「探偵は見たこと、調べたことを報告するだけで、他人の人生に入ってはいけない」というもの。探偵社の中には、“別れさせ屋”や“くっつけ屋”のような違法行為を行うところもある。
探偵になって二四年。小暮を紹介してくれた人物は「小暮さんに仕事を頼めば間違いありません。調査においてはプロ中のプロですね」といっていた。仮に小暮が「探偵を辞めます」といえば、多くの取引先から「辞めないでほしい」と懇願されるだろう。小暮は、技術も経験も兼ね備えた一流の探偵になったのである。
だが、小暮は「それは探偵の仕事ではない」と断言する。調査報告書を見て(事実を知って)、人生が変わるのも仕方ないが、自分たちが何かを仕掛けて、依頼者や対象者の人生を変えることは絶対にしないと誓っている。
「だから、僕はしっかりと調査をして事実を報告するだけです」
シニカルな哲学ではあるが、余分なものが削ぎ落とされた結果であるだけに、深みと重みを感じさせる。他人の人生に関与してきたがゆえの結論であり、他人の人生と真剣に向き合ってきたからこそ導き出された答えなのである。
静岡県にある工務店の社長から「嫁が二〇〇〇万円持ち逃げしたので探してほしい」という依頼があった。対象者である妻は都内に潜伏しているという。小暮は対象者の写真を持って、滞在しそうなビジネスホテルを一つひとつ聞き込み、対象者の宿泊先を突き止めた。依頼者に報告をして、自らもそのビジネスホテルに部屋を取り、相棒と交代しながら対象者の動向を監視していた。
対象者の部屋の明かりが消えたのを確認して、小暮たちも就寝。日中、歩き回っていた疲労もあって、ほとんど一瞬で深い眠りに落ちていった。
深夜三時過ぎ、フロア中に「ぎゃー!!!」という悲鳴が響いた。大きな声で口論も続く。熟睡していた小暮でも目が覚めるほど大きな声だった。もしやと思って部屋を飛び出し、声が聞こえるほうに駆け寄ってみると、依頼者と対象者が殴り合っていた。他の宿泊客も何事かと集まってきている。小暮はホテルの従業員を呼びに走った。
小暮から報告を受けた依頼者が深夜にビジネスホテルにやってきたのである。
「命に関わるようなことでしたら、さすがに動きますけど、基本的には何も手を出してはいけないので、僕は従業員を呼んで、喧嘩を止めてもらうしかできなかったですね」
小暮の流儀として、結果は二次的だ。きちんと調査をした結果、依頼者が望むような結果が出なくても、それが事実なのである。一週間の調査を依頼されたら、その一週間の出来事を調査して報告する。そこに嘘も偽りもなければ、誇張も推測もない。あるのは、ただただ事実のみ。調査期間が短ければ、たまたま何もなかっただけの可能性もある。調査の延長を打診することも可能だが、その分調査費用は膨らみ、依頼者の負担は大きくなる。「何もなければ、それに越したことがない」というのが小暮の本音である。
取材後、私たちは来た道を坂戸駅に向かっていた。
「今日も、この後、調査なんですよね?」私は歩きながら聞いた。
「都内にある大手ドラッグストアの店長を調査する予定です。奥さんからの浮気調査の依頼で今日は三日目なんですけど、特に怪しいところはないですね。見た限りでは真面目そうな人です。スマホもほとんど見ないですし……。ほら、浮気をしている人って、スマホをよく見るじゃないですか。そういう怪しい動きもないんで、僕はシロだと思っています。僕は依頼された期間、しっかりと調査をして、きちんと事実を報告するだけです。『愛人らしき女性と会った事実はありませんでした』と報告できれば、それが一番いいですよね。依頼者も安心するんじゃないでしょうか」
「真実がどうあれ、疑っているよりはましですからね」
シャーロック・ホームズ
『黄色い顔』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著、日暮雅通訳 より
坂戸駅で小暮と別れた。桜の花びらがどこからともなく舞い込んできた。満開を間近に控えた駅前の桜の木から飛んできたのだろうか、桜吹雪になるにはまだ少し早かった。改札口に消えていく小暮の背中に、温かい風が吹いているように感じられた。
小暮は、愛想のいい顔をさらに崩しながら、きっぱりと言い切った。
彼の指定で、東武東上線坂戸駅の改札で待ち合わせた。駅前には大きな桜の木があり、あと一、二日で満開を迎えるという、どこか浮き足立つような陽気だったが、駅の北口にある広々としたバスロータリーには、人の気配がほとんどなかった。周囲には弁当屋やドーナツ店、コンビニ、大手のチェーンの居酒屋が寂しそうに佇んでいる。かつては郊外のベッドタウンとして賑わったが、現在は人口減少が進んでいるのだろうか。昔の面影を残しながら朽ちていくベッドタウンの典型のような街だった。
午後三時過ぎ、小暮はジャケットにチノパンという、いわゆる探偵らしい服装で現れた。それは背は高くないが、彫りの深い顔、キリッとした眉毛、引き締まった体形が印象的なダンディな男だった。ダンディではあるが、幼さも残っている。第一印象では三〇代後半くらいかと思ったが、年齢を聞いてみると一九七二年生まれの四七歳だった(取材当時、二〇一九年三月)。
小暮は探偵歴二四年のベテランだ。人生の約半分を探偵業に捧げてきたことになる。それほどの時間を費やした小暮が現在たどり着いている境地が冒頭の言葉である。その言葉だけでも小暮の人柄のよさが感じられる。
真面目に実直に探偵業に従事してきた、まるで職人のような探偵、それが小暮哲という男である。
小暮は現在、自分を含めて従業員三人の小さな探偵社を経営しているが、彼の探偵人生は業界では知らない人がいない、大手探偵社からのスタートだった。
探偵になる前はテニスのコーチをしていた。というのも、小暮は中学生のときからテニスに情熱を傾けてきた。中学校では軟式テニス部に所属し、高校から硬式テニスを始めた。多くの中学校のテニス部は軟式だ。最近では硬式テニス部があるところも増えてきたが、一昔前の中学校では軟式テニスが主流だった。
小暮は中学時代に、すでにテニスの魅力に取りつかれていた。県内で上位に入る実力で、高校は私のテニス強豪校へ進学したほどだった。硬式テニスは、軟式テニスとの共通点も多いが、グリップの握り方が違うなど、相違点も多い。一番の違いはバックハンド。軟式テニスはフォアハンドもバックハンドも同じラケット面でボールを打つのだが、硬式テニスでは反対の面で打つ。多くの軟式テニス経験者は、このバックハンドに苦戦する。
小暮も最初、軟式と硬式の違いに苦戦したが、誰もが通る道だった。高校時代の小暮は、県でベスト16に残るほどの選手だった。ベスト16に残ると、全国大会の予選出場もできるのだが、そこで敗退してしまい、残念ながら全国には届かなかった。
「やっぱりテニスプレーヤーになりたかったですか?」私は聞いた。
「なりたかったですね。なりたかったですけど、現実は厳しかったです。それでテニスに携わる仕事がしたかったです」
高校を卒業した小暮は、スポーツ指導者を育成する専門学校に通うことにした。小暮が専攻したテニス学科では、座学と実習を通じて、テニスの指導だけでなくフィジカルトレーニングやスクールマネジメントも学べる。テニス学科に二年間通えば、日本スポーツ協会が公認するテニスコーチの資格試験を受けることができるのだ。その専門学校には、テニス学科の他に、ゴルフ学科と一般スポーツ学科があった。一般スポーツ学科はスポーツクラブのインストラクターを目指す人のためのコースである。
小暮は試験に合格してテニスコーチの資格を取得する。卒業後、全日本の監督経験者が経営するテニスクラブに就職した。「そういう人の下で働いていたら、チャンスが来るかなってのが頭にありました」と、打算的な動機があったことを正直に話してくれた。チャンスとは、ジュニアの子どもたちを教えること。小暮はジュニア選手の指導に惹かれていたのだ。
「僕はプロのテニスプレーヤーになりたい思いが強かったので、同じ夢を持っているジュニアのお手伝いを、したかったんです」
当時は、ジュニア専門のコーチはほとんどおらず、松岡修造のような有名人でないと親は子どもを預けてくれない。いくら指導がうまくても、全日本優勝などのわかりやすい実績がないと信頼してもらえないのだ。
「当時は理不尽に感じていましたけど、僕には息子がいて、テニスをやっているんですけど、全日本ジュニアで優勝した人がコーチなんですよ。親の立場になってみると、やっぱり肩書きって大事なんだなと実感しました」
小暮は自身の指導力不足を自覚していた。教えている子がある程度うまくなったら有力なコーチに紹介する。そういう架け橋になりたかった。
ジュニアの選手を教えたくても、チャンスは簡単に訪れない。新米コーチである小暮が受け持ったのは、一般のクラスだった。都会のクラブであれば、仕事帰りの会社員やOLといった若い人も多いが、小暮が勤めていた郊外のクラブは地域密着型の経営戦略もあり、年配の人ばかりである。おじいさま、おばあさま相手にテニスを教える日々が続いた。
まだ二〇歳そこそこの青年にとって、お客様である生徒はみな年上である。若くても三〇代で、多くが五〇代だった。年配の人に教えることほど難しいものはない。特に小暮は、年配の人からは教えてもらうもの、という感覚しか持っていなかったのだ。
テニスクラブのクラスは基本的に二人のコーチが受け持つ。メインのコーチが主に指導し、もう一人がアシスタントコーチとしてサポートする。コーチに成り立ての小暮はアシスタントコーチからスタート。最初は、年配の人たちが可愛いがった。テニスの上手な若い子と見られているうちは、何の問題もなかった。
私の世代でテニスコーチといえば、高橋留美子のマンガ『めぞん一刻』に出てくる三鷹瞬である。
メインコーチを任されるようになると、年配の生徒たちの視線に疑念が混じるようになった。「なんでこの人がメインコーチなの?」「若造なのに、生意気なの」といった無言のメッセージが小暮の胸に突き刺さる。金を払っているので、ベテランのコーチに教わりたいのか、それとも若い人に教えを請うのが嫌だったのか。どちらにしても、小暮はその雰囲気に耐えられなくなり、一年半々でテニスクラブを辞めてしまった。
辞める前、一度、キッズを教える機会があった。キッズとは、ジュニアの前の段階で、小学校低学年くらいである。ジュニアを指導したかった小暮にとっては願ってもない機会だった。先輩コーチからは「絶対に甘い顔をするなよ」と忠告されていた。
しかし、子どもたちに教えられる喜びも、最初だけだった。
「最初はいうことを聞くんですよ。でも、だんだん『この人、大丈夫?』って慣れてくると、いうことを聞かなくなるんです」
サーブの練習をしようとしても、子どもたちは遊び始めて、いうことを聞かない。なめられてしまったのだ。二〇歳の小暮は、子どもを怒ることもできなければ、子どもを乗せることもできなかった。苦肉の策で、「サーブのちゃんと入ったらジュースをおごってあげる」と約束して、サーブ練習をさせた。
「それを上のコーチにいたら、ものすごく怒られましたね。そんなことやっちゃダメだ、モノで釣っちゃいけないってきつく言われました。そのとき、子どもを教える大変さを知りました。趣味を仕事にはできないんですね」
小暮にとって、テニスコーチを辞めたことは挫折だった。高校を卒業したのは一九九〇年で、世の中はバブル真っただ中だった。高校の教師からは「今、就職しないでどうするんだ。どこでも就職できるし、ダメでも簡単に公務員になれるから」といわれていた。小暮は一般企業に就職することに興味がなく、周囲の反対を押し切ってテニスコーチの道に進んだのだ。決して軽い気持ちで飛び込んだわけではないが、早々に諦めてしまったことが、小暮の心に〝挫折〟という形として残り続けることになる。
実家暮らしではあったが、働かないわけにもいかず、遊ぶ金はほしくもあって、居酒屋でアルバイトを始めた。居酒屋で働き始めたのには理由がある。
「居酒屋で夜の仕事なんですよ。テニスに未練があったんですね。コーチは辞めてしまったけど、プレーヤーとしてもう一度勝負したいと思ったんです」
挫折を払拭するには、それを乗り越える何かを得ないといけない。小暮は昼間に練習をして、プロのテニスプレーヤーを目指そうと考えた。だから夜の仕事を選んだのだった。
日本テニス協会に申請すれば、誰でもプロになれる。ゴルフのようにプロテストや試験などはなく、トーナメント・プロフェッショナルだと日本のランキングが一〇〇位以内に入らないと駄目だが、レジスタード・プロフェッショナルであればランキングに関係なく、研修と登録料(年間一万円)でプロになれるのだ。両者の違いはそれほどない、そうだ。
とはいっても、プロとしてテニス一本で生活できるかは別問題。国内のツアーに出場するだけでは到底食べていけず、賞金額の大きな海外ツアーに参加しなければならない。錦織圭選手のような強化選手になれば、協会が全面的にバックアップしてくれるが、一般選手は自費である。
海外のトーナメントには、誰でも自費で出場できる大会があるのだ。コーチをつけたければ、それも自費。金がなければ、海外のツアーを回れないし、優秀なコーチの指導を受けることもできない。
「最初は、プロとして国内のトーナメントに出場したいと考えていたんです。それで夜の仕事を選んだわけですけど……」
まだ若かった小暮は、同年代のバイト仲間と遊ぶのが楽しかった。大きな夢や目標を持っていたとしても、目先の快楽を優先してしまう。特に若い時期は、自分を厳しく律することもできなければ、まだ時間猶予があるようにも感じてしまう。日々の努力が大事なことはわかっていても、つい誘惑に負けてしまう。「あのとき、もっと頑張っておけばよかった」と思うのは、後で振り返ってからである。脇目も振らずに一つの目標に邁進することは難しいものはない。
小暮は、朝方にバイトが終わると、みんなで飲みに行ったりカラオケに行ったりした。そんな生活をしていると、昼間は寝るしかなく、当然のようにテニスのラケットを握らなくなった。プロのテニスプレーヤーになるという目標は、いつの間にか夢物語に変わり、小暮にとって優先事項ではなくなった。テニスコーチに対する挫折感もあったが、テニスで見返したいという気持ちは徐々にしぼんでいった。
その居酒屋では、各社の新聞をとっていた。わずかに空が白んでくる頃、新聞配達員がバイクの音を響かせて朝刊を届けに来る。その新聞に、毎週のように挟み込まれているチラシがあった。大手の探偵社の求人チラシである。月給二五万円という小暮たちからすれば高給待遇だったこともあり、仲間内でにわかに話題になった。
仲間同士で「お前、探偵になったら?」「でも、探偵ってなんか怪しいよね」などと話しながらも、探偵社で働こうとする者はいなかった。なぜ、小暮は探偵社の求人に応募したのか。本人も、そのところは曖昧だ。「なんでなんでしょうね……」と言葉を探していた。明確な理由はなかったようだが、興味はあったのではないか。
「テニスコーチも居酒屋も結局は客商売というか……、あまり人と接したくないというか……、調査の仕事であれば誰とも接しないんじゃないか……と思ったのかもしれません」
テニスコーチ時代の生徒との関係は、それほどつらい経験だったのだろう。居酒屋の仲間と遊ぶのが楽しかったのも、その反動だった可能性がある。ただ、探偵にかっこいいイメージもあったという。
「探偵の仕事にも興味を惹かれたんだと思います。小さいときからシャーロック・ホームズは好きでしたから」
かっこいい探偵になって、まわりから認められたい。テニスは諦めてしまったが、別の場所で活躍したい。そういう思いがあったのだろう。
探偵社に面接に行くと、怖そうな人が現れた。常務だと名乗ったが、やくざのような風貌で、ドスの利いた低い声はしゃがれていた。小暮は反射的に背筋が伸びたのを覚えている。「交通違反をしたことがあるか?」と聞かれ、正直に「最近、駐禁とスピード違反を取られました」と答えると、きつく叱られた。それだけ探偵にとって運転免許は重要なのだ。「怒られただけで面接が終わった気がします」という小暮は、絶対に落ちた、と思った。
後日、合格の連絡をするというわけなのだが、その連絡手段は、なぜか電報だった。生まれて初めて受け取った電報には、カタカナで次のように書かれていた。
「ジョシュツサレタシ」
探偵の道を歩み始めた小暮は、三日間の研修を受けた。研修は座学で、探偵業界の話、尾行術、探偵の定義などだった。その研修で、コード番号というものを教えられた。コード番号とは、その探偵社独自の隠語や略称で、コード1=張り込み、コード2=尾行……など、よく使用する言葉にコード番号が振られていた。当時、コードは15まであったそうだ。無線を傍受されたり、盗聴されていても、「この前コードしてたから、2そして3になった」と会話していれば、内容が漏れることはない。
研修を受けた次の日、小暮は現場に送り込まれた。対象者が乗った車を尾行する任務だったが、車を張り込みをしただけで終わる。自宅に止められている車が動くことはなかったのだ。依頼者の妻によると、その日が怪しいとのことだったが、愛人に会に行く様子はなく、動きがなかったのである。
張り込みで待機している間、先輩の探偵は小暮を指導した。「コード番号は覚えたか? コード4は何?」と聞いてくる。その探偵社では、現場の待ち時間に先輩から後輩に実践的なことを教育するスタンスだった。
初日は優しい先輩と組んだが、二日目は怖い先輩にあたった。三日目は恐ろしい先輩で、怒鳴られてばかりだった。小暮の心には、すでに辞めたい気持ちが芽生え始めていた。四日目、小暮は会社に電話して「ちょっと具合が悪いので休みます」と伝えた。電話に出たのは面接をしてくれた常務で、「お前、もしかして辞めたいとか思ってるんじゃないのか」と凄まれた。小暮は怖くて「違います。本当に体調が悪かったんです」と答えるしかなかった。その日は休んでしまったが、次の日に出社したのは、常務が怖かっただけでない。
「テニスコーチで世の中に挫折感があったので、自分が『辞める』といったときに、『辞めないでくれ』といってもらえる存在になりたかったんです。『お前がいなきゃダメなんだ』って。そういう存在になるまで辞めないと思って頑張りました」
今度こそ歯を食いしばって一人前になろうと決意を新たに出社したのだった。
探偵の仕事は、基本的に対象者の行動を調査する。ただ、対象者が朝の八時に起きるなら、探偵は朝五時には張り込んでいなければならない。そのためには、場所によって朝四時に起きる必要がある。「対象者の倍起きていないといけないんです」と小暮はいう。実際、研修はないような、そのくらい睡眠時間が少ないのがつらかった。面接では「二勤一体(二日働いて一日休み)」といわれていたが、守られたことなどなかった。
当時の探偵社は、どこも同じような勤務形態だったそうだ。夜中に帰ってもシャワーを浴びる間もなく出社することも多く、探偵はまるで使い捨ての駒でしかなかった。小暮が入社した探偵社で一番のベテラン探偵は、入社して四年しか経っていなかった。ほとんどが一年未満で辞めていく。四年もやっている先輩探偵は、「あいつ、四年やってるなんて、おかしいんじゃない」とまわりから囁かれていたくらいである。
「大胆というのは、仕事よりも楽しみにかまけるよりも、神経がやられますからね」
シャーロック・ホームズ
『緋色の研究』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著 日暮雅通訳 より
それでも小暮は、二〇年以上、その探偵社に在籍した(先ほどの四年も働いていた先輩も残っていたそうだ)。
「相当バカじゃないと残れないって、みんな言ってたんですけど、僕の後ぐらいから長く続く人が増えてきたんですよ。徐々に会社も変わっていったのではないでしょうか」
大手探偵社だけあって、有名人の調査依頼も多かった。ほとんどはパートナーの浮気調査だが、あるミュージシャンの熱烈なファンからの依頼という変わり種もあった。今ではストーカー規制法に触れるので調査はできないが、小暮が探偵として働き始めた二〇年以上前は可能だったのだ(ストーカー規制法が施行されたのは二〇〇〇年一一月二四日)。
ソープ嬢の家を知りたいという調査もあった。対象者であるソープ嬢の源氏名はわかっていたが、顔はわからなかったので、まずは客として顔を確認する。その後、出てきた対象者を尾行して自宅を割り出すのだ。
小暮が店に入る担当になった。対象者をチェックし、トイレに行くフリをして通用口を確認した。一連のサービスを受けてから外で張り込んでいると、店の裏から女性の悲鳴が聞こえてきた。小暮が声のほうに駆けつけると、対象者が男に拉致されそうになっていたのだ。幸い、その近くにいたホストたちに助けられて、対象者は事なきを得た。ホストたちは、仕事を終えたソープ嬢に声をかけるために待ち構えていたのだ。ソープ嬢が出入りする裏口を、ホストは熟知していたのだろう。
拉致しようとした男も、その様子から裏口の場所を推測していたのかもしれない。
小暮は内偵までしたのに、店の裏口に気付けなかった。その店ではストーカー対策で、客の目には触れない裏口があり、そこから外に出られるようになっていたのだ。危うく小暮は対象者を見落とすところだった。客を装っておもしろい思いをしたのに、見失ってしまっては目も当てられない。
「対象者を拉致しようとしていたのは、依頼者だったのでしょうか?」私は聞いてみた。
「そうかもしれないんですけど、僕には依頼者かどうかわからないんですよ」
小暮は依頼者がどういう人物かを知らなかった。調査員である小暮は、依頼者と会うことも、写真などで顔を確認することもない。それどころか、小暮の探偵社は、内勤の相談員と現場の調査員の会話すら禁止されている、とても閉鎖的なところだったのだ。
だが、調査内容によっては、依頼者に会う場面が出てくる。盗聴器の調査では、自宅を訪問するため、依頼者の立ち会いが必要だ。中には、「毎日、家の中に入ってきて天井に潜んでいるんですよ」「昨日なんか、私、毛を剃られちゃったのよ」など、被害妄想の激しい依頼者も多かった。他の探偵も同じことをいっていたので、想像以上に妄想に取りつかれた依頼者は多いのかもしれない。
「不法侵入者がいるという依頼でカメラを仕掛けに行ったら、だいたい一〇件に八件か九件は、そういう依頼者でした。話を聞いただけでも妄想とわかるのですが、頭ごなしに否定はできません。なので、侵入者はいないという証拠を取るために、カメラで撮影していました」
「どんなことでも確認しておいたほうがよいからです。調査はむだではありませんでした」
シャーロック・ホームズ
『ライゲイトの謎』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著 日暮雅通訳 より
不法侵入者がいないという客観的な証拠を取っても、納得しない依頼者は多い。依頼者本人は、「侵入者がいる」と確信しているのだ。クレームになってしまうことも多く、最近はそういった依頼は引き受けないようにしている。
「僕の友だちに心理カウンセラーがいるんですけど、そいつに話したら、『そういう患者さん、探偵に行っちゃうのか』と嘆いていました。『俺らって競合他社だったんだ』って。まるで笑い話ですね」
怪文書が自宅ポストに入れられるという案件もあれば、玄関に排泄物が置かれているという変わった案件もあった。どちらも嫌がらせがエスカレートしたもので、依頼者の知り合いによる犯行だった。恨みや妬みといった負の感情は相手を攻撃するだけでなく、必ず自分にも跳ね返ってくる。
小暮は下着泥棒を捕まえたことが何度かある。その中で印象的だった案件について話してくれた。
二〇代後半の女性からの依頼だった。一人暮らしをしている依頼者のアパートは一階にあり、ベランダに干してある下着がよく盗まれるという。ベランダ沿いの道は大通りに通じる抜け道になっていて、夜間には多くの車とサラリーマンが往来する。一方、夜中になると街灯が少ないため、人通りはほとんどない。
小暮は、ベランダに二四時間態勢で録画できるように隠しカメラを設置した。依頼者から下着が盗まれたという報告を受けて映像を確かめると、不審な男が依頼者の下着を取っていく姿が写っていた。
後日、カメラのモニターで監視しながら、小暮ら探偵は依頼者の部屋で待機。下着を取った男をその場で取り押さえようと考えた。映像を証拠に、警察に突き出すこともできる。
小暮が予想していたよりも、調査は長期に及んだ。というのも、不審な男がベランダを覗きにくるのだが、下着に手を伸ばさないのである。
数日後、ついにある男が下着に手を伸ばした。潜んでいた小暮は咄嗟にその男を捕まえた。ところが、その男は下着を盗んでいない。男を焦った小暮は、男が下着を取る直前に動いてしまったのである。しかも、その男は以前にカメラに写っていた下着泥棒とは別の男だった。下着泥棒は他にもいるのではないか、という疑念が過ぎり、その後も調査を続けることになった。
調査をしていると、確かに不審な男は現れる。しかし、下着を吟味するだけだった。小暮らは仮説を立てた。「新しい下着は盗まない」のではないか、と。調査に依頼者の下着を利するわけにはいかないので、買ってきた新品の下着をベランダに干していたのである。
依頼者の了承を得て、本人の下着を干してみた。すると、これまで手を出さなかった男が下着を取ったのである。小暮ら探偵は男を取り押さえることに成功。そのまま警察に引き渡すことになった。「下着泥棒にも趣向性があり、使用されていない下着は盗まないというこだわりがあったのだろう」
これで一件落着かと思われたのだが、話はもっと複雑だった。この男も、最初の映像の男ではなかったのだ。最初にカメラに写っていた男、間違えて捕まえてしまった男、実際に逮捕された男……。他にもいたかもしれないが、少なくとも下着泥棒は三人いたのである。
後で調べたところによると、下着泥棒には「対場」と呼ばれる場所があり、同じ性癖を持つ者たちは、インターネットの掲示板で対場の情報を共有していたのである。盗みが成功したところ、盗みやすいところが対場になるそうだ。コインランドリーも対場の定番である。依頼者のベランダは、「下着泥棒」にとって盗みやすい条件が揃っていたようで、犯罪者たちが夜な夜な下着を物色に来ていたのである。
「危険が身近に迫っているのに、それを省みないのはけっして勇者じゃない、愚鈍というものだ」
シャーロック・ホームズ
『最後の事件』(シャーロック・ホームズの思い出) 新潮文庫 コナン・ドイル著 延原謙訳 より
三〇歳のとき、小暮は結婚をした。相手は同じ探偵社に勤める事務員だった。先に述べたとおり、小暮が勤めていた探偵社では、探偵と内勤の事務員は会話をすることすら禁止されている。社内恋愛などもっての他だった。
「どうやって付き合うことになったんですか?」私は聞いた。
「先輩から手紙を渡されたんです。その手紙にメールアドレスが書かれていて、連絡くださいってありました」
爽やかさと優しさが滲み出ている小暮の顔を見ると、女性のほうから声をかけたくなるのも頷ける。だが、「好きということは、すでに離婚している、ということだ」。
「彼女のことが好きだったんですか?」
「う~ん、かわいいなとは思っていましたけど、会話もしたことがなかったので」
外で会うようになった二人は、共通の話題も多く、会話が弾んだ。小暮は調査や上司の話をした。相手からは内勤や依頼者の話などを聞いた。これまでできなかった会話に花が咲き、互いに惹かれるようになっていく。秘密の付き合いが始まるのは自然の成り行きだった。
付き合い始めて一年が過ぎた頃、彼女に新しい命が宿った。二人は結婚を決めたが、保険などのこともあるので、会社に報告しなければいけない。「ものすごく怒られましたね」と小暮は当時を懐かしんで笑っていた。
長女と長男を授かったが、結婚生活は五年ほどで終止符を打った。
「離婚の原因は何だったんですか?」
「お金でしょうね。子どもの教育論の食い違いもありましたけど、一番はお金です」
その頃、小暮は独立していた。二〇年勤めて幹部になっていたが、小暮は会社を退社。その探偵社から業務委託を受けるための事務所を立ち上げていた。
「独立といったらあれですけど、正社員から外れて、下請けになったということです」
有能だった小暮には、安定的に仕事が回ってきた。独立して給与の不安はなかった。ところが、仲が良かった元上司との折り合いが悪くなり、仕事が激減してしまう。一社に依存する下請けのつらいところである。
小暮は、他の探偵社からも仕事を受けようと考え、営業をかけた。すると、その情報が元いた探偵社に伝わってしまい、完全に仕事を失った。守秘義務という名の下、業務委託契約書には他の探偵社からの業務を受けることは禁止である旨が記載されていたのだが、小暮はバレるとは思っていなかった。探偵業界は思っていたよりも狭い世界だった。
離婚話になったのは、ちょうどその頃である。
元請けを失った小暮は、大手の探偵社から小さなところまで、あらゆるところに営業に回った。
企業調査を専門にしている事務所とも連結したが、駄目元で帝国データバンクにも営業をかけた。
足を使って歩き回ったが、仕事は得られなかった。
仕事がないなかで金だけが飛ぶように膨らむと、家庭の調和にも亀裂が入るようになった。家の中にイライラが充満、些細なことで口がつくと、喧嘩という大爆発が起こる。家族の明るい未来を想像することができなくなった。
ようやく、ある大手探偵社から定期的な仕事をもらえるようになり、金銭的な不安が少なくなったのだが、夫婦の関係は後戻りできないところまできていた。三五歳のとき、小暮は離婚した。
離婚して二〇年以上経つが、今も元妻と子どもたちは小暮の近くに住んでいて、頻繁に会っている。中学二年生になる長男のテニスの練習には、父親である小暮が付き添っている。
「お子さんは、お父さんの職業をご存知なんですか?」
「知っています。友だちにも話しているみたいで、興味を持たれているそうです」
長男が小さい頃、小暮は子連れで調査に出かけたこともある。父親のことが大好きだった長男は、小暮から離れると泣き叫ぶため、一人で行える簡単な調査のときに、何度か連れていった。
「聞き込みとかだったら、自分のペースでできるので、子連れでもできるんですよ。さすがに尾行は無理ですけど、一回だけ夜の張り込みに連れていったことがありました。でも、夜中に車の中で待たせるのがかわいそうで……。『まだ来ないね』なんていいながら、健気に待っているんですよ」
子連れ探偵の顔は優しい父親の顔に変わっていた。
小暮は、その後も業務委託で探偵を続けてきた。自社で依頼を受けることもあるが、基本は外注だった。探偵業界は、ほとんどの依頼が大手に行く流れになっている。昔は電話帳での広告がメインだったが、現在はネット広告が主流だ。どちらも広告にかけられる金額がモノをいう。潤沢な広告費を持った大手に零細探偵社はかなわない。中には、探偵のいない大手探偵社もあるという。仕事を取るマーケティング力はあっても探偵がいないので、小さな探偵社に仕事を外注することになる。
それはどの業界も同じかもしれない。私が長く携わっている出版業界にも編集者のいない出版社があり、編集を外注することは珍しくない(営業がいない出版社もある)。そもそも最初に勤めた会社は、編集を外注することに決め、編集部のほとんどが解雇になった。内部に編集者がいたとしても、外注に頼り切っているところも多い。
「うちに直接依頼してくれると、安く済むんですけどね。でも僕は、調査はできるんですけど、その他のことが不得意なんです。依頼者と面会したり、追加料金を請求したりするのが苦手なんです。直接依頼してくるのって、友だちのつてとかが多いんですけど、『この金額じゃ、めちゃくちゃ安いなあ』と思っても、『友だちだったら「まあ、いいいか」って請けてしまうんです』
小暮は依頼者とのやり取りも、電話ではなくメールを好む。尾行中に電話に出られないという表向きの理由もあるが、実際は依頼者と話すのが苦手だからである。取材をした限り、友好的で話し好きの印象しかなかったので、意外だった。
「探偵の仕事は好きですか?」私が聞いた。
「まさかここまで続けるとは思っていなかったんですけど、好きというよりは合っているのかもしれないです。でも僕、一度探偵を辞めていた時期があるんですよ」
小暮が探偵を辞めるきっかけになる案件があった。ある大手探偵社からの業務委託で、対象者の浮気相手を尾行するという調査だった。名前はわかっていたが、写真もなく、外見の特徴しか情報がない。妻の依頼で対象者である夫を調査したところ、浮気相手の女性が特定でき、一度調査報告書も提出されていた。ところが、調査中にわかったことだが、もう一人、女性の影があったのだ。
第二の浮気の証拠を取るため、さらなる調査をすることになり、小暮に仕事が回ってきた。
彼女の勤務先の駅前を張り込むのだが、特徴だけでは対象者を特定することができない。「唇が長くて少しパーマをかけている。眉毛が太く、目はキリッとしている。背は高くも低くもなく、どちらかというと細いほう」といわれても、イメージは人によって異なる。
小暮は「写真がなかったので、わかりませんでした」で済ませようと思っていた。これだけの情報で相手を特定しろというのは無理がある。とりあえず特徴と一致する女性が出てきたので、「この人で、まあいいか」と尾行を開始した。三〇歳くらいの若い女性だった。
東京メトロ東西線に乗り込んだ女性は、西葛西駅で下車し、近くのドラッグストアに入っていった。追いかけていた女性が本人か対象者の確信を持てないまま、小暮は彼女の後を追い、要所要所で写真を撮影していた。調査報告書には「何時に西葛西のドラッグストアに入った」という文字情報と一緒に、証拠となる写真が必要だからである。
対象者の写真を撮るという行為には、発覚する危険がはらんでいる。特に顔を撮影することは、対象者と向き合うため、相手に気付かれる代表格といってもいい。
小暮は、尾行を格闘ゲームのライフゲージのようなものだと考えている。最初は一〇〇%のライフを持って尾行を開始する。対象者と接近するとライフが減る。顔写真を撮影するときは、多くのライフを消費する。一緒にエレベーターに乗ると、半分くらいのライフが一気に減る。ライフが〇%になったら、ゲームオーバー(発見)である。一連の尾行の中で、ライフをどこで使うか、それが探偵の腕の見せどころだ。
小暮はドラッグストアに近寄り、一眼レフで撮影していた。すると、店の外にいた年配の女性に訝しがられ、「あんた、何やってんの?」と注意された。小暮は気にせず、撮影を続けていたのだが、その人が店員に知らせに行ってしまった。尾行していた女性は、たまたま店員の横にいて、怪しい人物の存在を知って驚く。おそらく、それ以前にも小暮の姿が目に入っていたのだろう。彼女の驚いた顔は「あっ、あの男、さっきもいたような気がする」という心情が表れていた。小暮はライフゲージがほぼ〇%になったことを確信した。
最大限の警戒をしている人物を尾行することは難しいものはない。女性は、駅前に戻ってスマホをいじったり、誰かに電話したりして、自宅に帰ろうとしない。行ったかと思えば、また戻ってきたり、警戒心を緩めることがない。完全にバレているのを知りながらも、小暮は尾行を遂行するしかなかった。
その後、女性はレンタルビデオ店に入っていった。小暮も住所をメモしてから、入店するつもりだった。しかしながら、メモを取っている間に、彼女は外に出てきた。小暮はメモ帳をサッとカバンに放り込み、何事もなかったように店に入っていった。ビデオを選んでいるフリをしながら店の外に女性を観察していると、彼女は店の出入り口に立ち止まっている。小暮を見張っているかのように女性の観察は「これは絶対に警察が来る」と瞬時に察知。裏口から逃げる暇もなく、警察官がやってきた。おそらく駅前で警察に通報していたのだろう。
小暮はとにかく店の奥に逃げ込んだ。警察官と女性は奥にやってくる。「この人です」と指され、小暮はベルトの後ろをつかまれた。小暮は「違うんですよ! 違うんですよ!」と訴えるが、警察官に「違うじゃない!」と一喝される。そこは、ピンク色に染まったアダルトビデオのコーナーだった。
「もはや手遅れ、取り戻すどころか追跡すら不可能です。手のほどこしようがありません」
シャーロック・ホームズ
『緋色の研究』(シャーロック・ホームズの帰還) 角川文庫 コナン・ドイル著 駒月雅子訳 より
警察署に連行された小暮は、「探偵だということはいわないでほしい」と懇願したが、すでにおまかせのような状況ではなく、女性をつけた回った事情を詳細に説明しなければいけなかった。女性から「誰かに頼まれたの?」と詰め寄ったが、小暮は「それだけはいえません。本当にすみません」と謝るだけだった。それでも女性は食い下がってきたが、警察官が仲裁に入ってくれた。
「この人も仕事でやっているんですから、もういいじゃないですか、〇〇さん」
警察官が呼んだ女性の名前は、まさに対象者の名前だった。適当に「この人でいいか」と疑いながら尾行をしていたわけだが、まさに浮気相手の女性だったのである。
「うわあ、ビンゴだったんだって驚きました。ビンゴだったんですけど、家もつかめなかったし、証拠も取れなかったし、バレてしまったんで結果は最悪でした。いっそ、違う人だったほうがよかったくらいです」
撮影した画像をすべて消すということで示談になったが、警察から「厳重注意」が言い渡された。厳重注意は、「今度、同じようなことをしたら逮捕するぞ」ということ。前科はつかないが、警察のデータベースには登録される。
実は小暮は、その何ヶ月ほど前にも警察官に連行されたことがあった。
住宅街の張り込みで、しきりに職務質問をされたのだが、「探偵なんです。こういう事情で張り込んでいるんです」と答えた。すると、その三〇分後にまた職務質問を受けた。別の警察官だったが、一度目ということもあり、小暮は思わず「また来たの?」と横柄な態度を取ってしまった。すると、その警察官は怒り出し、「なんか悪いもの、持ってんじゃないだろうな」と荷物検査までしてきた。小暮は「探偵なんで悪いものなんて持ってないですよ」といったが、カバンの中からハサミが出てきた。車にGPSを付けるときに黒いビニールテープで貼るのだが、そのときに使用するためのハサミだった。
「なんだ、このハサミは?」と凄む警察官。
「テープを切るのに使うんです」と弁解する小暮。
「凶器じゃないのか?」
「違いますよ。ビニールテープを切るためのものです」
「人を刺すこともできるんじゃないか?」
「人を刺すような顔に見えますか?」
「わかんねえじゃないか!」
結局、ハサミを持っていたために連行されてしまった。一回目に職務質問をしてきたのは所轄の警察官で、二回目は警視庁の警察官だったのだ。そのため、情報が共有されていなかったのである。
一日に一〇時間以上も張り込んでいると、通報されることも多い。怪しい車が長時間止まっていたら、近隣住民が不審に思うのは当たり前だ。以前、マンションの前で五時間ほど張り込んでいたとき、とある警察官から驚くような注意をされたことがあるという。
「あなたがた探偵なのですか? そこに張り込みをされていると、我々国際警察がマークしている外国人が警戒して出てこない。すぐに立ち退いてほしい」
国際警察という言葉に面食らいながらも、小暮は移動したそうである。それはさておき、多くの警察官は「仕事だから大変ですね」と理解を示してくれる。
「探偵協会主催の講習で、大阪府警の偉い人が話をしていくことがあるんですけど、その人がいうには、探偵って元は警察の部署だったみたいです。警察の中に探偵って部署があって、そこから探偵が一般名称になってたって話されていましたね。正式名称ではなく、あだ名みたいなものだったようですけど」
だから多くの警察官は、探偵に寛容だという。小暮も、先輩探偵から「探偵は、警察がやってくれないようなことをする仕事だ」と教わってきた。家出人の捜索でも、事件性がなければ警察は動かない。警察の代わりに、探偵が動く。小暮は、警察官と探偵は互いに協力するものだと思い込んでいた。警察官は探偵に協力的で当然、という態度が、反感を買ったのかもしれない。すべての警察官が探偵に協力的ではないことも、また事実なのである。
「先入観にとらわれるべからずという貴重な教訓になったよ」
シャーロック・ホームズ
『ソア橋の謎』(シャーロック・ホームズの事件簿) 角川文庫 コナン・ドイル著 駒月雅子訳 より
一カ月に二回も警察に連行されたことが、厳重注意の理由だった。今後、こういうことがあったら、いかなる処分も受けます」といった書面を書かされた小暮は、仕事に対する信念が揺らいでしまい、探偵を辞める決意をしたという。
その頃は、まだ離婚前だったこともあり、すぐに他の職を探す必要があった。小暮が見つけたのは、生活協同組合(生協)の配達員だった。契約社員としての採用だったが、正社員登用の道も開いていた。生協に正社員になれなければ、別の職を探すつもりだった。家族を養うためには、正社員にならなければいけない。そういう思い込みは、男性ならば理解できるだろう。
結果からいうと、小暮は正社員にはなれなかった。その原因は、「コミュニケーション能力の低さだった」と本人はいう。配達員の仕事は、トラックを運転して食品や日用品を届けるだけで、苦手な「お客さんである生協の組合員(その大半が主婦)との適度な会話」が求められる。会話が苦手な小暮には苦痛だった。
それも、探偵業から離れた期間は無駄な時間ではなく、探偵について考えるいい機会になった。探偵という職業への向き合い方と意義、依頼者への思いと対象者への配慮、そして自分自身の将来について、小暮は考えを巡らした。何度考えても、自分が得意なこと、自信を持ってできる職業は探偵しかなかった。対象者の行動に左右されるとはいえ、探偵の仕事は一人で行うことができる。人付き合いが苦手な小暮は、自分に合っている職業だと再認識することができたのだ。小暮が探偵に復帰するまでに、それほど時間はかからなかった。
探偵という職業を嫌気が差したこともあったが、これは長く続けられたのは、テニスコーチでの挫折を払拭するように頑張ってきたことだけではない。苦い経験もあれば、つらい依頼もあった。心がくじけるような案件もあった。それでも探偵道に邁進してこれたのは、支えとなるべき芯を見つけたからである。小暮は、年齢と経験を重ねるうちに、独自の探偵哲学を築き上げていったのだ。
それは、「探偵は見たこと、調べたことを報告するだけで、他人の人生に入ってはいけない」というもの。探偵社の中には、“別れさせ屋”や“くっつけ屋”のような違法行為を行うところもある。
探偵になって二四年。小暮を紹介してくれた人物は「小暮さんに仕事を頼めば間違いありません。調査においてはプロ中のプロですね」といっていた。仮に小暮が「探偵を辞めます」といえば、多くの取引先から「辞めないでほしい」と懇願されるだろう。小暮は、技術も経験も兼ね備えた一流の探偵になったのである。
だが、小暮は「それは探偵の仕事ではない」と断言する。調査報告書を見て(事実を知って)、人生が変わるのも仕方ないが、自分たちが何かを仕掛けて、依頼者や対象者の人生を変えることは絶対にしないと誓っている。
「だから、僕はしっかりと調査をして事実を報告するだけです」
シニカルな哲学ではあるが、余分なものが削ぎ落とされた結果であるだけに、深みと重みを感じさせる。他人の人生に関与してきたがゆえの結論であり、他人の人生と真剣に向き合ってきたからこそ導き出された答えなのである。
静岡県にある工務店の社長から「嫁が二〇〇〇万円持ち逃げしたので探してほしい」という依頼があった。対象者である妻は都内に潜伏しているという。小暮は対象者の写真を持って、滞在しそうなビジネスホテルを一つひとつ聞き込み、対象者の宿泊先を突き止めた。依頼者に報告をして、自らもそのビジネスホテルに部屋を取り、相棒と交代しながら対象者の動向を監視していた。
対象者の部屋の明かりが消えたのを確認して、小暮たちも就寝。日中、歩き回っていた疲労もあって、ほとんど一瞬で深い眠りに落ちていった。
深夜三時過ぎ、フロア中に「ぎゃー!!!」という悲鳴が響いた。大きな声で口論も続く。熟睡していた小暮でも目が覚めるほど大きな声だった。もしやと思って部屋を飛び出し、声が聞こえるほうに駆け寄ってみると、依頼者と対象者が殴り合っていた。他の宿泊客も何事かと集まってきている。小暮はホテルの従業員を呼びに走った。
小暮から報告を受けた依頼者が深夜にビジネスホテルにやってきたのである。
「命に関わるようなことでしたら、さすがに動きますけど、基本的には何も手を出してはいけないので、僕は従業員を呼んで、喧嘩を止めてもらうしかできなかったですね」
小暮の流儀として、結果は二次的だ。きちんと調査をした結果、依頼者が望むような結果が出なくても、それが事実なのである。一週間の調査を依頼されたら、その一週間の出来事を調査して報告する。そこに嘘も偽りもなければ、誇張も推測もない。あるのは、ただただ事実のみ。調査期間が短ければ、たまたま何もなかっただけの可能性もある。調査の延長を打診することも可能だが、その分調査費用は膨らみ、依頼者の負担は大きくなる。「何もなければ、それに越したことがない」というのが小暮の本音である。
取材後、私たちは来た道を坂戸駅に向かっていた。
「今日も、この後、調査なんですよね?」私は歩きながら聞いた。
「都内にある大手ドラッグストアの店長を調査する予定です。奥さんからの浮気調査の依頼で今日は三日目なんですけど、特に怪しいところはないですね。見た限りでは真面目そうな人です。スマホもほとんど見ないですし……。ほら、浮気をしている人って、スマホをよく見るじゃないですか。そういう怪しい動きもないんで、僕はシロだと思っています。僕は依頼された期間、しっかりと調査をして、きちんと事実を報告するだけです。『愛人らしき女性と会った事実はありませんでした』と報告できれば、それが一番いいですよね。依頼者も安心するんじゃないでしょうか」
「真実がどうあれ、疑っているよりはましですからね」
シャーロック・ホームズ
『黄色い顔』(シャーロック・ホームズの回想) 光文社文庫 アーサー・コナン・ドイル著、日暮雅通訳 より
坂戸駅で小暮と別れた。桜の花びらがどこからともなく舞い込んできた。満開を間近に控えた駅前の桜の木から飛んできたのだろうか、桜吹雪になるにはまだ少し早かった。改札口に消えていく小暮の背中に、温かい風が吹いているように感じられた。