第八章 セカンドキャリア
2025年11月19日
探偵はここにいる
森 秀治
真木亮一は、ヴィジュアル系パンクのベーシストとして活動していた。インディーズではあったが、事務所に所属して、何枚かのアルバムをリリースしたプロのミュージシャンだった。バンドの運営はバイト活動による収入だけで賄っていたが、真木個人は他にアルバイトをしないと生活ができなかったそうだ。同期のゴールデンボンバーがブレイクしたように、真木のバンドも何かのきっかけで檜舞台に立つ可能性は少なからずあったのではないだろうか。
そんな彼が今は探偵をしている。輝かしい表舞台から、対象者の悲哀を暴く裏舞台へと真逆とも思える職に鞍替えしたきっかけは何だったのか。異色の経歴を持つ探偵に話を聞いた。
午後八時、JR五反田駅の改札口で探偵の真木と待ち合わせをしていた。以前に五反田駅に降りたのは、かれこれ十数年も前のことだ。当時勤めていた会社の忘年会か何かの後、先輩と一緒に五反田駅の東側にある歓楽街に行った記憶がある。残念ながら女の子がいる店ではなかったが、周辺にはピンクの看板が掲された怪しい店が乱立していた。当時の五反田は、夜の街であり、風俗の街というイメージがあった。私の記憶の中では、ずっと五反田はピンク街だった。
ところが、十数年ぶりに降り立った五反田の様子がどこかおかしい。駅にはアトレができており、女性が入りやすそうなカフェが並んでいる。駅ビルには二〇二〇年三月開業のホテルメッツも入ってそびえ立っていた。五反田での取材と聞いて、少し身構えていた身としては、ちょっと拍子抜けだった。
五反田は昔、SMクラブのメッカだった。第二次世界大戦で焼け野原となった五反田は、戦後、闇市として賑わう。隣の大崎に多くの工場が立ち並び、その労働者たちを癒やすための風俗街として発展していった。高度経済成長時代に入り、大規模な都市計画によって新宿や渋谷といった街が次々と開発が進んだが、五反田はいい意味で取り残され、近年まで猥雑で猥褻な街として生き残ってきた。
五反田がSMクラブのメッカになったのは、日本で草分け的なSMクラブがこの地で開業されたためなど諸説ある。いずれにせよ、SMという言葉が大衆化したと同時に、SMクラブはその嗜好を満たすための場所として、一定の需要があった。そうした状況の中で、五反田は他の地域に比べて地価が比較的安く、客層も多様であったことから、SMクラブを開業するのに適していたのだろう。
しかし、五反田のSMクラブは、時代の変化とともに衰退していった。インターネットの普及により、SMに関する情報やコミュニティがオンラインで簡単に入手できるようになったこと、また、SMのテーマにしたアダルトビデオやアダルトグッズが容易に手に入るようになったことで、SMクラブの需要が減少したのかもしれない。
近年、都市開発の波が五反田まで押し寄せてきている。風営法の改正などもあり、現在ではSMの聖地という仰々しさは感じられない。ほとんどはデリバリーに姿を変え、新しい時代での生き残りにしのぎを削っている。五反田周辺にSMに特化したデリバリー店がまだ存在するのは、そういう歴史が存在するからだ。姿・形は変われど、文化は逞しく生き残っていくものである。
そんな五反田駅の改札口で、今回の主役真木亮一を待っていると、背が高く、細身の男性が近寄ってきた。ドクロ柄の半袖Tシャツに細身のダメージジーンズ、黒の革ブーツといった姿は、明らかに普通のお勤めのものではない。平日の午後八時に街を歩いている人としては、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
軽い挨拶を交わしてから、東口にあるカラオケ店に向かった。元ミュージシャンだからカラオケ店というわけではない。じっくりと落ち着いて話を聞くのに、カラオケボックスは最適なのである。周囲に聞かれたくない話もしやすいし、室内の適度な狭さが、初対面同士の心理的距離を少しずつ縮めてくれる。二時間から三時間ほどの取材で奥深いところまで聞くのに、これほど便利な場所はない。
もっとも世間話の後、取材の意図を通したところで、真木は好々爺然としていた。
「俺の話、あんま面白くないかもよ。俺は探偵になろうと思ってこの業界に入ったわけじゃないし、続けたいとも思ってないし、興味もないから。仕事だからやってるだけ」
とても面白そうな男である。
真木亮は、一九八二年、父が五一歳で母が四二歳のときに、東京都調布市で誕生した。父は会社を経営していたこともあり、裕福な家庭の一人息子として、甘やかされて育てられたそうだ。本人には金持ちという意識はなかったようだが、小学校から私立に通い、ピアノやサッカー、体操、水泳、書道など、多くの習い事をさせてもらったそうなので、それなりに裕福だったに違いない。
ただ、父親の仕事の関係上、「なんか飴の会社をやっていてたような……」と真木は言うものの、父親が何をしているのかはよくわかっていないそうだ。小さいとき、両親の仲が悪くなって、父親とは別々に暮らしている。……。父親と関わりがないというか、今でも年に一回、「正月に会うくらいだよ」と、長らく父親との関係は希薄なようだ。両親は離婚せずに別居のまま、今に至る。
教育も熱心な家庭だったようで、都内の小中高一貫教育の私立学校に通っていた。小学生のときは学年トップの成績で、中学校の入学式で新入生を代表して挨拶をしたほどだった。
小学生の頃から地元のサッカーチームに所属し、中学生でもサッカーを続けた。しかし、反抗期を迎えだ頃、真木は不良に憧れるようになる。成績が優秀だったことで学校から特別扱いされていたが、それを逆に悪ぶるようになっていたそうだ。といっても、無断欠席くらいのかわいいものである。「勉強しないで遊んでばかりいるのに、なぜか成績はいいみたいな。できる不良」に憧れていたんだろうね。
学校の同級生は優等生ばかりだったこともあり、不良に憧れていた真木は地元のヤンキーらとつるむようになる。
「不良に遊んでると、仲間たちは走り屋系とバンド系に分かれていったんだよね。俺はギターをかき鳴らしているやつの家に入り浸ってたから、バンドに目覚めた感じかな」
バンドに目覚めるきっかけは、X JAPANが好きだったからでもある。ちょうどその頃、ギタリストのhide(ヒデ)が亡くなった。一九九八年五月の出来事だった。一五歳の真木は、大きな衝撃を受けた。友だちとバンドを始めるべく、自分のギターを購入して練習に明け暮れた。学校の成績は、バンドへの情熱と反比例するように下降していった。
高校生になった真木は、地元の連中だけでなく、学校の友だちともバンドを組んだ。四人でバンドを組むようになったとき、ドラムはいいたが、残りの三人がギターだったため、真木はベースに転向した。ギターをうまく弾けないと、真木自身が感じていたのも理由だった。以来、真木はベースを弾き続けてきた。
進学校で規則も厳しい高校だったが、教師を説得して「軽音部」を創設した。ただ、ロックをやっているのは真木たちのまわりにいる数人ぐらいで、全体から見れば日陰の存在でしかない。文化祭でも演奏したが、見に来てくれたのは十人程度と、まったく盛り上がらなかった。
X JAPANのように、長い髪を染めて逆立てたかったが、髪が耳にかかっただけで教師から指導を受ける。夏休みに髪を染めたり、ピアスをあけたりするくらいしかできなかった。
高校を卒業すると、東京都内で一人暮らしを始める。最初は音楽の専門学校に通ったが、半年で辞めた。三歳からピアノを習っていた真木にとって、専門学校のレベルはあまりにも低すぎたのだ。これから音楽を始めようとする人向けの授業ばかりで、金を払ってまで通う意味を見出せなかった。
それよりも、ライブハウスなどで活動するほうがプロへの近道であり、楽しそうでもあった。
ライブをするためには、バンドを組まなければいけない。最初は、バンド関係の雑誌や楽器店に貼り出す告知で、メンバーを集めた。その後、メンバーの入れ替わりやバンドの解散などを繰り返しながらも、真木はバンド活動を続けていく。
小学校から進学校に通っていた真木にとって、大学に進学せずに音楽の道に突き進むことに、並々ならぬ決意があったのではないだろうか。
「今思えば、そんな決意なんてなかったね。楽しいからダラダラやってたって感じかな。今日が楽しければいいやって、毎晩酒飲んでみんなでバカやって。だけど成功したかったんだろうけど、人生なんてたぶんそうね。貯金とかも全然なかったし、その日暮らしだった」
インディーズの事務所に所属していた真木のバンドのスケジュールは、週に数回集まって練習し、ライブは少ないときで月二本か四本、多いときで月七本か八本。なずな。その間にレコーディングをして、だいたい三カ月ごとにアルバムを出していた。新曲がリリースされると、東名阪ツアーを開始する。東名阪ツアーとは、東京、名古屋、大阪でライブをすることである。
バンド活動の合間にアルバイトもしていたそうなので、ダラダラしている感じではなさそうだ。楽しんでいただけでは何も続けられなかったはずである。本人ははぐらかしていたが、音楽に対して真摯に向き合っていたのではないだろうか。真木が語る言葉の端々に、その姿勢が感じられた。
バンドの収益はライブやCDの売り上げだけではない。真木が所属していたビジュアル系業界は、他のロックやメタルの業界に比べて、物販での売り上げが桁違いに多かった。
「物販は重いね。アイドルとかも一緒だと思うけど、ロックのライブだとそんなに写真とか売れないから。ビジュアル系だと、普通にポラロイドとかも売れるし、追っかけの女の子とかもいっぱいいたしね」
ビジュアル系バンド時代は、女性に不自由しない生活だったそうだが、付き合っている彼女が常にいて、やんちゃはしなかったそうだ。メンバーの中には、女性に食わせてもらっている〝ヒモ〟状態のやつもいた。
「だいたいバンドマンってヒモなんだよね。俺も女の子から貰いでもらったことはあるけど、彼女に家賃も食費も出させるってのが嫌で。だからバイトしていたわけだけど……」
いくらプロのミュージシャンであっても、音楽活動だけで生計立てられるのは一握りしかいない。ほとんどはアルバイトをしながら活動を続けている。金欠のバンドマンが、養ってくれる女性に甘えてしまうのも、仕方がないことかもしれない。
真木のビジュアル系バンドは売れていなかったそうだが、スタジオ代、CDや物販の制作費、衣装代などの活動費は売り上げから賄えていたのだから、それなりに人気だったのだろう。ただ、本人の前では、大きな壁が立ちはだかっていたのかもしれない。本当の山の高さは、実際に登ってみないとわからないものである。下から見上げている者には、頂上まであとわずかに見えても、最後の一歩と巨大で絶望的なものはない。極めれば極めるほど、成長が鈍化し、頂上が霞んで見えないほどの世界でもあるだろう。
ビジュアル系バンドマンにとって、アルバワーナーには限られている。カラフルな色に染められた長い髪だけではなく、ツアーに出ると、しばらく戻ってこられない。出勤が自由なものとなると、絶対数は減り、職種も限られてくる。真木がアルバイト先として長く携わったのは、出会い系サイトの運営だった。
「バンド関係のやつはやっぱりノリは多かったね。あと、お笑い芸人も多かった」
売れない芸人も、お笑いライブがあったり、急な仕事が入ったりするため、バンドマンと同様に融通が利くことがバイト選びの条件だったのだろう。
仕事内容は、広告業者と相談して、さまざまなサイトに広告を掲載してもらったり、運営するサイトの宣伝記事を書いてもらったりすること。また、スパムメール(一方的にメールを送りつける迷惑メールのこと)を送ったりもしていた。あくまでも当時の話だが、携帯電話各社の人から顧客のリストを買って、メールアドレスを手に入れていたそうだ。
当時の相場で、個人アドレスの単価は四〇〇円〜五〇〇円程度だったという。毎月の広告費が二〇〇〇万円だとすると、単価四〇〇円だとして二五〇〇人のアドレスをゲットできる。毎月の売り上げが四〇〇〇万円〜五〇〇〇万円だったので、高額なリストを購入しても、すぐに回収できたのだろう。
個人情報が売買されているという話を耳にしたことはあるが、実際に関係していた人物に会ったのも、具体的な金額を聞いたのも、これが初めてだった。
当時の出会い系サイトはポイント制が主流だった。送られてきたメッセージを読むだけなら無料だが、返信したり、相手の顔写真を見たりするには、課金してポイントが必要になる。最初の数回のやり取りを無料にして、男の下心を巧みに操って課金させる手口は、まるで恋愛上級者のように手練れていた。もちろん、操っていたのは業者である。また、「さくら」と呼ばれる金で雇われた女性(男性も紛れている)は、課金させるのが目的なので、会うことはできない。甘い言葉に踊らされた男たちは、連絡先を交換するために課金を繰り返す。女性側は、あの手この手を使って会えるか会えないかのギリギリの攻防を繰り広げる。女の子には会えず、課金したポイントだけが減っていく。中には三〇〇万円〜四〇〇万円も使った人がいたそうだ。
三〇歳になる直前、真木はバンドを辞めた。気持ちいいほど、スッパリと辞めた。
「音楽に興味で続けるつもはなかったんで、今はまったく楽器に触れていないね」
真木は昔を思い出しているのか、少しだけ無言の時間が生じた。やはり音楽に対して並々ならぬ思いがあったのだろう。
「レコーディングして作品を作る度に、事務所の人も元ミュージシャンなんで、テクニック的な話にもなるんだよね。これがダメだとか、もっとこうしたほうがいいとかっていわれると、自分の才能に限界を感じるし、教科書どおりのプレイになっちゃうというか。純粋に音楽を楽しめなくなっちゃったんだよね」
一度迷い始めると、余計なことを考えてしまう。「このフレーズでいいのだろうか」「今のはベストだったのか」といったことが頭から離れなくなる。ファンからは「とてもよかった」といってもらえるが、当時の2ちゃんねるなどの掲示板には、「あのベース、下手くそ!」だとか「あの曲は最悪」といった誹謗中傷の言葉が踊っていた。メインで曲を作っていた真木は、余計に疑心暗鬼に陥り、思い浮かんだフレーズに自信を持てなくなった。しまいには女性関係の情報まで掲示板に暴露された。自信があるときなら、そういう雑音は無視できるのだが、自分を見失っているときは身にこたえる。
ずっと若いまままだと思っていたのに、いつの間にか三〇歳に迫っていた真木は、心身ともに疲れ切っていた。次のキャリアを考え出すタイミングだった。
長年一緒にやってきたドラマーがクビになったことも、バンドを辞める決意を早めさせた。所属していた事務所から「ドラムをクビにしろ」といわれたのだ。ドラマーは素行に問題があった。所属する女性にもちょっかいを出し、いつの間にか別れさせられてもおかしくない悪行を繰り返していた。真木は、そのドラマーとは付き合いが長く、ドラムとベースは同じリズム隊で相性もよかった。新しいドラマーを入れたが、真木と相性が合わず、音楽に対するモチベーションは下がるばかりだった。「このくらいが潮時か」と、バンドを辞めるダメ押しになった。
バンドを辞める理由は、出会い系サイトの話を絡んでいた。三〇代前半は、アルバイトとして時給一二〇〇円プラス歩合で働いていたが、三五歳のときに経験者の仲間たちで新しい出会い系サイトの会社を立ち上げたのだ。真木も創設メンバーではあったが、バンド活動であまり職場に顔を出せなかったため、会社では浮いた存在になっていた。会議では積極的に意見もいえず、また意見したとしても聞き入れてもらえなかった。もっと業務に関われば信頼も生まれるし、収入も増えると思っていた。
バンドを辞めるかどうかで悩んでいたとき、新たなサイトを立ち上げる話が降って湧いてきた。こちらの仕事に専念すれば、もっと稼げる、と真木が考えたのだ。
真木は、バンドを辞めて出会い系サイトの経営に専念した。が、それも一年で辞めることになる。出会い系サイトからもアプリに移行する過渡期で、おいしい商売ではなくなったのだ。アプリだとアップルとグーグルを通さなければならず、売り上げの何割かを持っていかれる。多いところで三〇%もの手数料を支払わなければならないという(アップルストアの場合、二〇二一年より手数料が二五%に引き下げられた)。
「思うように稼げないなら、この仕事を続ける意味はない。金のために割り切って始めたのである。無理して続ける意味も価値もなかった。真木同様、出会い系サイトで働いていた者の多くが職の変更を余儀なくされた。そのままアプリで出会い系を続けた者もいたそうだが、いくらマッチングアプリなどと健全そうな名称に変えても、たいして儲からなくなった。気軽に遊べるゲームが溢れていることもあり、顧客たちの課金対象はソーシャルゲームに流れていったのである。
職にあぶれた者たちは、より金儲けができるものを追い求め、振り込め詐欺やフォークリフト詐欺などに流れていったのではないか、という噂もある。出会い系が下火になったのと同じ時期に、詐欺の前罪が増えていったからである。ちなみにフォークリフト詐欺とは、ユーザーに四回クリックさせて有料会員サービスに登録したと勘違いさせ、多額の会員料金などを支払わせること。例えば、アダルトサイトで年齢確認のボタンや利用規約のボタンなどを四回クリックさせて、入会費や会員費、損害賠償などを請求する詐欺である。フォークリフト詐欺も見かけなくなった昨今、彼らはどこに流れているのだろうか。
出会い系の仕事も辞めた真木は、バンド時代の知り合い二人でアイドル事務所を立ち上げた。
アイドルの卵をスカウトして育成し、売り出そうと考えたのだ。バンド時代の人脈を使えば、曲を作ってもらうことも、プロデューサーを手配することもできる。
すでにアイドル冬の時代を脱し、AKB48を筆頭にアイドル戦国時代などと呼ばれていた。そうした時代背景もあって、真木はアイドル事務所の設立を決意したのだろう。しかし、真木が夢見たのは、いわゆるアイドルではなく、地下アイドル(ライブアイドルとも呼ぶ)の世界だった。テレビで華やかに活躍しているメジャーアイドル(地上アイドル)とも呼ぶ)の世界ではなく、真木らは、地下アイドルのジャンルで勝負することにした。アイドルには、小さなライブで活動し、ファンとの距離が近いのが特徴だ。しかし、地下アイドルもすでに飽和状態になっていて、地下よりもさらに潜った〝地底アイドル〟なるものも登場していた。過激な地底アイドルの中には、撮影会と称してファンと手をつないでデートをしたり、性的なサービスをしたりする子もいるらしい。一部ではあるが、一般人とアイドルの境界は年々曖昧になってきている。
大手芸能事務所に所属しているアイドルからフリーで活動しているアイドルまで合わせると、アイドルの数は数千人ともいわれているが、格差も激しく、底辺にいるアイドルたちは援助交際まがいのことや、性的なサービスを提供することで、ファン(信者)を増やそうとしたが、真木らは、アイドルに魔法学園などのキャラクターを設定して、ファン(信者)を増やそうとしたが、それは売れなかった。事務所が囲っていたアイドルたちも本気で売れたいと思っていなかったという。
「うちは三〇代が多かったね。一〇代はどこも引っ張りだこなんだよね。みんな若いはうがいいから。当たり前だけど、若くてかわいい子は大手に行っちゃうよね。そういうのがわかっているから、うちの子たちも本気で売れたいってわけじゃなくて、チヤホヤされたいだけ、今日が楽しければいいって感じだった」
きちんと給料も支払なかった。事務所は、喫茶店やメイド喫茶などでアルバイトをしていれば、ファンは応援したくなるだろうという考えで、ファンからの投げ銭を期待していたのだ。売れてはいなかったが、それでも気心の知れた仲間と楽しくできればいいと思っていたのだろう。真木もアイドルの卵たちと同じ思いだった。
アイドル事務所だけでは生活ができないので、同時に動画制作会社も立ち上げていた。仲間の一人が動画撮影を得意にしていたのだ。その仲間が組んでいた自身のバンドのプロモーション動画も、簡単なものであれば、自分たちで撮影していたくらいだ。
ユーチューブの影響力が認識され始めた時期で、企業のPR動画の需要が増えつつあるときでもあった。真木には広告代理店のつてがあったため、商売として成り立つと信じて疑わなかった。が、残念ながらこの商売もうまくいかなかった。本格的な動画を制作するライバル会社も次々と出てきた。流行っているから、得意だからという理由だけで繁盛するほど、ビジネスは甘くなかった。
また真木は、楽してやめるためには、それなりに稼がないといけないことも、今さらながらから学んだ。金がないという惨めな状況は、何も生み出さないどころか、大切なものまで蝕んでいく。
「仲のいい連中で会社を始めてしまうと、人間関係がズタズタになるんだよね。金の切れ目が縁の切れ目だから。最後は、もう友だちでもなんでもなくなっていたよね」
結局、アイドル事務所も動画制作会社も廃業に追い込まれた。
再び無職になった真木は、傷ついた羽を休めるように、三カ月ほど何もせずにのんびりしていた。
そんなとき、ある人物から声がかかった。
それ以前に動画制作の依頼を受けたことがある探偵社の社長だった。探偵に密着したドキュメントPR動画を撮ったことがあったのだ。皮肉なことに、その探偵社も廃業になってしまったらしい。
これまでの異色な経歴が、探偵の仕事に活きたという。真木は、さまざまな人間と関わってきた。普通の人だったら絶対に会わないようなアプローチもしたし、私利私欲に走って犯罪を犯している人間も見てきた。実際に逮捕された友人もいる。人間の裏の裏まで見てきた真木だからこそ、対象者の心の変化に気付き、次の行動も推測できるのだろう。「極端な話、大学を卒業して役所で一〇年間働いてきた人には務まらない職業だよ」と真木は自負していた。
探偵になって三カ月が過ぎた頃、先輩の探偵が辞めていった。会社や仕事に不満があったわけではなく、家庭の事情で探偵を続けられなくなったそうだ。真木は仕方なく、調査をメインに行う探偵になった。新しく増えた探偵たちと組んで、調査員として現場に出向かざるを得なくなった。
「調査自体に飽きてきたのもあるけど、正直、朝早いのがつらかった。早起きは苦手なんで。夜中の二時とか三時に帰ることもあれば、朝四時起きってときもある。体力的にきつくて。もともと探偵社の内勤は、運営全般の業務をいう。売り上げの集計や経費の精算、提携会社への請求書作成といった経理事務、誰がどの現場に行くかといった探偵たちのスケジューリング業務、探偵のスケジュール管理も含む)、ネットで集客するための広告業務、依頼者に提出する調査報告書の作成業務、撮影した動画の編集、管理など。動画の編集は、担当した探偵が行うが、依頼者に提出する前に真木が最終チェックをする。無駄なところで、手ブレがひどいところなどをチェックするのだ。
話を聞く限り、現場に出るよりも大変そうだ。稼働している案件が何件もあるのに、これらの内部業務は、ほぼ真木一人で行っているのである。
勤務は、ほぽ毎日。パソコンの作業が得意だから、苦にならないけどね。たまに現場のやつに手伝わせると、パソコンの使い方から知らせなくて、時間がかかることもあるから」
真木は、土日は電話の受付も担当している。平日は電話担当の女性を雇っているが、土日は真木が電話を兼ねているのだ。最初に受ける依頼者からの電話は、どういうものなのだろう。
「まあ、いろんな人がいるからね。共通しているのは、みんな精神的に弱ってることかな。助けを求めて依頼してくるわけだから。中には、幻覚が見えるくらいおかしくなってる人もいる」
電話をかけてくる依頼者の多くは、最初に料金を尋ねてくる。それはそうだろう。探偵に依頼するというのは、人生で何度もあることではない。料金の相場もわからないし、どれくらいの費用がかかるのか、見当もつかない。だから、まずは料金を聞いて、それから依頼するかどうかを判断したいのだろう。
電話を受けるだけでは料金は発生しない。実際に面談してからでないと契約に至らないので、電話を聞くのは、無料相談のようなものである。それでも真木は、丁寧に話を聞くようにしている。「事情を聞かないと契約できるかどうかわからないし、あと、とりあえず電話して聞いてみようって人も多いから。ネットで検索した数社から話を聞いてから、どこに依頼するかを決めるじゃない。大金を払うわけだから。それを強引に『事務所に来てください』っていうと、お客さんは逃げていく。ある程度話をして、『ここは信頼できそうだな』となってくれたところで、ようやく『こちらにお越しください』って言えるんだよね」
依頼するかどうかは、最初の電話の印象に左右される。不安な依頼者を繋ぎとめるためにも、真木は相手を否定しないように気を付けている。必要以上に同情はしないが、「そういう状況なんですね」とまずは肯定する。
相手が何を求めているのかを知ることも重要だ。浮気調査といえど、離婚を望んでいるのか、慰謝料がほしいのか、夫(妻)に対する恨みを晴らしたいのか、もしくは復縁したいのかなど、調査を依頼する目的はさまざまだからだ。真木は「どう考えていますか?」とストレートに聞くそうだ。
「はっきりしていない人もいるんだけど、それはそれでいい。そういう人向けのカウンセリングをすればいいわけだから」
土日の電話対応があるため、必然的に出勤日となるが、真木自身が平日休みを希望している。「土日はどこに行っても混むから、人がいないときに遊びに行きたいんだよね」という理由が、変わり者の真木らしい。
休日には、調査で訪れた場所に遊びに行ったり、食事に行ったりすることがよくあるそうだ。
「対象者たちは、おいしい店とか探して行くわけだよね。だから、きっとうまいんだろうなって。だから今度プライベートで行ってみようって思うんだよ。対象者たちが楽しんだものを、今度は俺が楽しむってこと」
それは他の探偵たちも同じようなことをいっていた。
真木の現在の業務は、基本的に内勤がメインだが、人が足りないときなど、現場に出向くこともある。突発的な案件が入ったとき、特に地方の場合だと、社内の探偵の調整が難しい。地方だと移動時間も長く、連日都内で可動している探偵を組み入れにくいのだ。調査の終わりが不明の案件も多く、必然的に時間に融通の利く真木が出向くことになる。
「俺の場合、パソコンがあればどこにいても仕事できるし、電話さえ繋がれば他の業者とのやり取りもできる。ちょっと報告書がたまってめっちゃくちゃ忙しいんで、別に社内にいなくてもなんとかなるんだよね」
調査業務に飽きたといっても、地方であれば気分が変わるので嫌ではないという。真木は、ちょっとした旅行気分で地方に飛んでいる。
最近も、宮崎県に行ったそうだ。宮崎にある探偵社に問い合わせがあったのだが、依頼者は東京在住だったため、真木の探偵社に仕事が回ってきた。依頼者と面談して仮契約を交わし、調査計画を立てる。依頼内容は、宮崎に単身赴任している夫の浮気調査。対象者は宮崎にいるが、月に一度は東京本社の会議に出席するために帰京、浮気も東京勤務時代からなのか、宮崎に赴任してからのことかはっきりしていなかった。依頼者に詳しい話を聞く限り、単身赴任先のほうが可能性が高そうだったため、現地に真木が向かうことになったのだ。
地方の調査は、車移動がメインになる。現地のレンタカーを借りるわけだが、土地勘がないため、道に迷うことも多い。また、車の少ないところで尾行し続けると、相手に気付かれる危険もある。だからといって、真木は事前に行くことはしない。
「早く終わったら、この街に行こうかなって調べるくらいだよ」
普通のサラリーマンの出張と同じなのである。真木は、三日間、対象者を尾行した。しかし、仕事中にパチンコ店でサボっていたくらいで、女性と会うことも、怪しい動きもなかった。夕食も一人で食べていて、浮気の痕跡は何も出てこなかったのである。
都内で浮気をしている可能性は残るが、真木は「対象者は浮気していないだろうね」といっていた。今回の調査は完全なシロだったようである。
その宮崎出張の二日後、真木は香港に飛んでいた。
旦那が、はっきりとした理由もなく四〇代探偵の女性に依頼してきた。五〇代の夫の浮気調査なのだが、妻は離婚する意思を固めていて、有利な条件で離婚できるように浮気の証拠を取ってほしいとのことだった。「お金はいくらかかってもいいから、証拠をつかんでほしい」というほど、金持ちからの依頼だった。自宅は、東京の白金の一等地、対象者がいつ動くかわからず、連日の高級住宅街での張り込みで、住民からは何度も通報されたそうだ。
目立った動きを見せなかったが、その後、対象者は仕事で香港に行くという。が、対象者のインスタグラムをチェックすると、仕事かどうかも怪しく、浮気相手も一緒に行くことも窺えた。対象者は裏アカウントを利用していたのだが、依頼者の妻にはすでにバレていた。急遽、探偵を香港に派遣しなければいけない。香港行きの航空券を手配して、都合がつく探偵と二人で、真木は香港に向かった。夕方の四時に香港行きが決まり、その日のうちに到着するという強行スケジュールだった。
海外調査の場合、事前に予定がわかっていることが多い。いつどこに海外出張に行くか、家族に伝えておくのが普通である。いきなり海外に行くケースは少ない。また海外出張が怪しくても、そこまでの調査費をかけられる人も少ないだろう。国内で浮気の証拠が取れるのであれば、そのタイミングを待つほうがいい。今回の急遽、海外に飛ぶというのは、金持ちの依頼ならではである。
探偵は対象者のSNSもチェックしている。投稿されたら通知がくるように設定しているそうだ。「フェイスブックなんて情報の宝庫だよね。嬉しそうに写真なんか上げてるけど、それだけで住所とかわかることもある。こっちはラクだからいいんだけど、不用心すぎるよね」
海外での調査は、勝手知ったる場所ではないだけに、難しいことが多い。香港でも、すべての行動を追うことはできなかった。
一つは言葉の問題だ。対象者が現地の言葉を話せなければ、追うのもたやすい。観光旅行であれば行きたい場所も決まってくるので、こちらも追いやすい。ところが、今回の案件では、対象者が英語も中国語も堪能で、現地の人と普通に会話ができる。何度も訪れているようで、道にも詳しかった。真木らは「前の車を追って!」など、想定される言葉を英語と広東語で書いた紙を用意していたが、それでも追うことができなかった。
香港は三〇〇以上の島々で構成されているが、エリアごとにタクシーの縄張りがある。九龍半島で営業しているタクシーは、香港島を走れないという現地ルールが存在するのだ。そのため、「前の車を追って!」といっても、行き先がわからないため乗車できない、ということが度々あった。
対象者たちは五つ星の最高級ホテルに滞在していたため、真木らも同じホテルに部屋を取った。
対象者らが泊まっている部屋番号の割り出し、もう一人の探偵は対象者らの出入りをチェックすることにした。ホテルに出入りする対象者を撮影するためには、ロビーで待つしかない。フロントの人には「俺(真木)は作家で原稿を執筆しなければいけない。彼は助手だけど、原稿に集中するためにロビーで待たせている」ということを伝えたのだが、高級ホテルであるがゆえに放っておいてくれない。何人ものボーイたちに、何度も「May I help you?」と声をかけられた。
ロビーにいる探偵がバックに仕込んでいたカメラをボーイの一人に見られたのだ。そのボーイは、高級ホテルに不釣合いの格好をした若い男を不審に思って注意していたのだろう。小奇麗な格好をしても、金持ちのオーラがない探偵の存在は明らかに異質だった。「全然人種が違う。いきなり強盗に忍び込んだみたいなものだよ」と真木がいうように、このホテルに滞在しているのは欧米人ばかりで、日本人男性が一人で泊まっているだけでも目立ってしまうのだ。
カメラに気付かれた探偵は窃盗犯だと疑われた。緊急連絡を受けた真木もロビーに駆けつけたが、言葉が通じない。ボーイは英語で、立場が上に見えるホテルのスタッフは広東語だった。グーグルの翻訳アプリで会話をするのだが、言葉が通じないだけでなく、日本語から英語、英語から広東語、広東語から日本語など、スムーズに話が進まない。
「撮影していただろ?」と問い詰められたが、最初は「そんなの知らない。撮影していない」としらばくれていた。するとホテル側は監視カメラの映像を持ってきた。あちこちに設置された監視カメラに気付いていたが、「さすがに常時見てはいないだろう」と真木は高をくくっていた。監視の緩い日本のホテルと同様だろうと油断していたのだ。しかし、ホテル側が持ってきた映像には、撮影しているもう一人の探偵がハッキリと写っていたのである。
話は真木にまで及んだ。部屋で原稿を書いているはずなのに、エレベーターホールでうろうろしている真木の姿も監視カメラが捉えていたのである。真木は対象者が乗ったエレベーターがどのフロアで止まるのかを確認していたのである。
対象者のインスタグラムには、ホテルの部屋からの風景画像がアップされていた。その画像からある程度の階数と方角を絞り込み、部屋番号を突き止めようとしていたのだ。エレベーターホールは吹き抜けになっていて、上下二階くらいであれば、どこで降りたのか目視できる。真木は階を移動しながら、対象者の階数を特定しようとしていた。その不審な動きが監視カメラに収められていたわけである。
そんな映像を突きつけられ、絶体絶命のとき、真木は咄嗟に言い訳を口にした。
「ホテルの内装を勉強しているんだ。建築の勉強のために撮影していたんだ」。ホテル側は納得していなかったそうだが、最終的には、録画した映像を消すこと、今後の出入り禁止で話はついた。翻訳アプリを使って会話をしていたのも、言い訳を考える時間を作るための手段だった。危うく大ごとになりそうなところを、真木の機転によって窮地を脱したのだった。こういうところも、探偵のセンスがあると言えるのかもしれない。
二口がうまいほうじゃないけど、咄嗟に言い訳するのには慣れていて、自然にうまくなくなったのかもしれない。言い訳してなんぼの職業だから」
これが日本国内であれば、「私は探偵です」と名乗ればいいのかもしれないが、今の香港は中国であり、共産圏である。もし探偵ということを名乗れば、拘束されてもおかしくない。日本のスパイと疑われる可能性もあったのである。後で知ったことだが、中国では探偵は特別な資格が必要で、限られた人しか探偵できないようである。迂闊に正体を明かしてしまったら、日本に帰って来れなかったかもしれない。
日本の警察官であっても、探偵に理解を示してくれる警察官もいれば、こちらが「探偵です」といっても、「大変ですね」とか「頑張ってください」といって、信じてくれることもある。といっても、「だから何?」と突っぱねられたり、冷たい対応をされることもある。「探偵だからここにいるって、なんの理由にもなってないよね?」と追及されることもある。だから真木は探偵であることをひけらかさずに「プライベートでいるだけですよ」など、適当な言い訳をするようにしている。その経験が香港でも活きたのである。
香港での調査では、対象者たちの行動すべてを追うことはできなかった。行き先を見失ったり、ホテルの部屋番号を特定することもできなかった。それでも対象者と浮気相手が一緒にいるところは撮影できた。不倫旅行の証拠としては十分ではあった。
真木は、機内にいる対象者の様子も撮影するため、九万円もするビジネスクラスで快適に帰国。もう一人の探偵は、次便のエコノミークラスで日本に戻ってきた。いくら経費で使えるといっても、ビジネスクラスの席を二つ取るほど贅沢はできないのである。
香港の案件のように、対象者がSNSで情報を発信してしまっているケースも増えてきた。フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSで情報収集をするのは探偵として基本になりつつある。特に内勤の真木は、パソコンに強いこともあって、現場に行かなくてもできる調査を行うことが多い。
「一人探偵だったら、ある程度ネットで探せるんだよね」
SNSに何かしらの書き込みがあれば、位置情報が得られる。が、失踪しているのに自らの情報をアップする人はいない。そこで利用するのが、グーグルのアカウントだ。Gメールを利用している人であればアカウントを持っているし、ユーチューブを利用している人も登録している人が多い。チャンネル登録や再生履歴などの機能を利用するためには、グーグルアカウントが必要なのである。
グーグルアカウントを持っている人限定ではあるが、IDとパスワードがわかれば、グーグルで検索されたワードの履歴を見ることができる。グーグルのサイトにいき、検索ボックスをクリックすれば、簡単に検索履歴が表示される。スマホで検索しても、同じアカウントであればパソコンのウェブサイトにも反映される。今の時代、新しい場所に行けば何かしらの情報を得るためにネットで検索する。誰とでも、食べるところ、泊まるところを探した経験があるだろう。検索ワードに具体的なホテル名が出てくれば、そのホテルに滞在している可能性が高いということだ。
依頼者から対象者のIDとパスワードを知っていればいいが、その可能性は低いだろう。ただ、自宅のパソコンだとグーグルにログインしたままであることも多い。電源を落としても起動すれば、自動的にログイン状態になるように設定されている。IDとパスワードを知っている場合、新たにログインをすると通知が対象者に届くため、時間との勝負になる。パスワードを変更される前に、すべての履歴を確認。警戒した対象者が遠くに移動しないうちに、探偵を送り込む。
真木が担当した行方調査で印象に残っている案件を話してくれた。
「最近の話なんだけど、息子を探してくれって母親から連絡があったんだよね。俺が電話を受けたんだけど、その母親が妙に淡々としていて冷静だったんだよ。自分の息子が失踪したら、もっと錯乱しているというか、弱っていると思うんだよね。状況を説明してくれるんだけど、一切感情的にならずに、どこか他人事みたいに感じだった」
いなくなった対象者(息子)は、埼玉県に住んでいて、実家のある山形県から遠く離れ、兵庫県の特別支援学校に通っていた。今春、自閉症の大学に進学し、一人暮らしをしていたのだが、数日前から母親にLINEにメッセージを送っても既読にならないという。
詳しい話を聞くと、いなくなった日は兵庫県の母親を訪れ、後輩たちの卒業式に参列したそうだ。その後、高校時代の仲間たちと飲みに行ったが、些細なことで口論となり、対象者は怒って一人で帰ったという。その後、行方がわからなくなった。
警察にも行方不明者届を出しており、スマホの電波履歴も調べていたようだが、最後は友だちとケンカしたあたりで途絶えていた。真木の探偵社に連絡してきたのは、息子がいなくなってから五日後だった。事件に巻き込まれたのか、事故に遭ったのかは不明だが、本人が連絡できない状況にいることだけは確かである。真木は対象者のツイッターをチェックしたが、ここ数日はツイートしていない。すでに死亡しているのではないか、と真木は思った。母親の諦めた様子が、そのように感じさせたのだ。
警察は本腰を上げて捜索してくれず、藁にもすがる思いで探偵社に依頼してきたはずである。ところが、母親の冷静な対応に違和感を覚えた真木には「ひょっとしたら母親が……」という疑念も浮かんだという。
兵庫県の探偵に探偵を派遣し、聞き込みをしたり、ビラを配ったりして手がかりを探った。一緒に飲んでいた高校時代の仲間に電話で話を聞いた。その日の夜の出来事を整理すると、仲間四人で居酒屋で飲んでいたのだが、その中に対象者の元彼女がいたようだ。元彼女との間で、過去の妊娠に関するトラブルがあり、そのことで仲間たちは対象者をきつく非難してしまった。それが対象者の逆鱗に触れてしまったようである。
捜索を開始して一週間後、海に浮かんでいる対象者の遺体が発見されたという連絡が入った。
自殺だったのか、誤って落ちてしまったのかはわからない。少なくとも事件ではないと、警察は判断した。埼玉県のパートに何か手がかりがないか調べてみたが、自殺をほのめかすものは何も出てこなかった。突発的に死の焦燥に駆られることはある。自分を否定されたことで、自暴自棄になったのかもしれない。死をもって身の潔白を晴らしたいと発作的に考えた可能性もある。そう結局、自殺だったのか事故だったのか、真相は闇のままだ。真木は母親を疑ってしまったが、サスペンスドラマのようなことはなかった。母親はすでに諦めていたのかもしれない。真木と同じように、息子の命の灯はすでに消えていると感じていたのかもしれないし、自閉症の息子を育ててきた心労が、達観のある対応になったのかもしれない。
謎が多く、少し心残りが残る事件でもあった。
そうはいっても、一つひとつの案件に心を痛めていたら探偵は務まらない。たとえ失敗しても後に引きずらないようにしないと心がもたない。
「ああすればよかったとか、なんでこうだったんだろうって考えすぎるタイプだと、この仕事は続かないんじゃないかな。失敗も日常茶飯事だし、今日の現場のことは、終わったらスッキリ忘れるくらいじゃないとメンタルがもたない。いい意味で適当じゃないと」
探偵は、物理的にどうしようもない失敗もあれば、凡ミスのどうしようもない失敗もある。そして探偵のタイプによって、失敗の種類も失尾型と発覚型に分けられるという。
失尾型の探偵は、気付かれたり発覚したりすることを恐れて、対象者との距離を開けすぎてしまうタイプだ。距離を詰めすぎることで、対象者がより警戒心を強めることを懸念し、対象者を見失ってしまうのだ。一方の発覚型は、対象者との距離を詰めすぎてしまうタイプだ。近づきすぎて対象者に不審に思われて発覚するのだ。真木は失尾型のタイプだという。
「発覚したのは、一年やってて一回か二回ぐらいかな。発覚といっても警戒されたくらいだけどね」
真木の話ぶりは常に自信に満ち溢れている。頭がよくて、運動神経もいい。音楽もプロの腕前だ。女性にもモテる。自信のある男性は魅力的なのだ。他のやつらとは違うというアイデンティティが、少し危険な香りを演出させているようにも思える。
探偵という職業を選んで、今は何を考えているのだろうか。三〇代も半ばを過ぎ、今後のことはどう考えているようになったのか。
「今は何も考えていないような気がするね。ちゃんと考えてたら、資格取ったり、行動してるでしょうし。バンドをやってたときと同じで、そのときが楽しければいいって感じかな。三つ子の魂、百までなんじゃない」
将来の計画性はまったくないと、真木は笑っていた。現状の待遇に不満もなければ、苦痛なことでもない。現場に出るのはあまり好きではないようだが、今のペースで楽しくやっていければそれでいいと思っている。
音楽に対する未練はない。真木にとっての音楽はヴィジュアル系バンドであり、それはメイクや服装といった見た目やステージ上のパフォーマンスも含めた総合エンターテインメントだった。バンドが持つ世界観を表現することに意味を見出していた。今の真木にはそれらを演出することに興味がない。体重が二〇キロ近く増えたこともあり、人前に出る勇気もなくなったという。
「本当に音楽が好きなら、家で楽器鳴らしたりするんだろうけど、辞めてからほとんど触ってないしね」それは情熱が燃え尽きると、バンド活動に打ち込んだ証はないだろうか。「趣味で音楽をやるつもりはない」という真木の言葉は、それだけ音楽に対して真摯に向き合ってきた証拠でもある。燃え尽きるには早かったかもしれないが、スポーツや芸能の世界では三〇歳で一つの節目を迎える。
第二の人生をどう歩むか――。社会人経験を積んだことで世の中を冷静に見渡せるようになる一方で、新人のような仕事への情熱も失われていく。時間というのは、心の角を癒やしてくれるだけではなく、燃えたぎる情熱をも冷ましてしまうのだ。仕事に対するやりがいよりも、給料や役職といった待遇や人間関係など、ストレスなく仕事を続けることが大事に思えてくる。夢破れたスポーツ選手やアーティストであれば、次のキャリアに目を向けるを得なくなるし、一般の社会人であれば、現状に対する不満などから別の世界を覗いてみたくなる。少なくとも一度は、誰もが今後のことについて考える時期だろう。
新しいチャレンジをする者もいれば、今までどおりの道を突き進む者もいる。生活のため、家族のために惰性で仕事をしている者もいる。これまでのキャリアを活かしてステップアップしていく者もいれば、まったく関係のない仕事に鞍替えする者もいる。
真木は、音楽を辞めて探偵という職業を選んだ。自分で選んだわけではないが、今は探偵の仕事に納得しているようだった。探偵という職業は、真木にとって丁度いい立ち位置なのかもしれない。普通のサラリーマンでもなければ、はみ出してすぎているわけでもない。大衆の少し外という距離感が心地良いのだろう。真木の話を聞いていると、居心地の良さ、それがセカンドキャリアで重要な要素なのかもしれない、と感じる。
真木には、現在恋人がいる。相手は年上のバツイチで、高校生の娘と中学生の息子がいる。友だちとバーで飲んでいるとき、彼女のほうから声をかけてきたという。互いにX JAPANが好きという共通項もあって意気投合した。結婚はまったく考えていない。
「探偵をやってると夫婦の崩壊しか見てないんで、結婚願望はなくなったね。一生独身でいいかなって。人の裏側ばかり見てるんで、人を信じられないというか、性格もどんどん悪くなるしね。誰もが浮気すると思うし。俺も浮気されたことあるけど、浮気しない人間はいないだろうし。まあ、血が繋がってないやつを自分の子どもに思えるほど人間できてないよ」
やはり、真木は面白い男だった。
そんな彼が今は探偵をしている。輝かしい表舞台から、対象者の悲哀を暴く裏舞台へと真逆とも思える職に鞍替えしたきっかけは何だったのか。異色の経歴を持つ探偵に話を聞いた。
午後八時、JR五反田駅の改札口で探偵の真木と待ち合わせをしていた。以前に五反田駅に降りたのは、かれこれ十数年も前のことだ。当時勤めていた会社の忘年会か何かの後、先輩と一緒に五反田駅の東側にある歓楽街に行った記憶がある。残念ながら女の子がいる店ではなかったが、周辺にはピンクの看板が掲された怪しい店が乱立していた。当時の五反田は、夜の街であり、風俗の街というイメージがあった。私の記憶の中では、ずっと五反田はピンク街だった。
ところが、十数年ぶりに降り立った五反田の様子がどこかおかしい。駅にはアトレができており、女性が入りやすそうなカフェが並んでいる。駅ビルには二〇二〇年三月開業のホテルメッツも入ってそびえ立っていた。五反田での取材と聞いて、少し身構えていた身としては、ちょっと拍子抜けだった。
五反田は昔、SMクラブのメッカだった。第二次世界大戦で焼け野原となった五反田は、戦後、闇市として賑わう。隣の大崎に多くの工場が立ち並び、その労働者たちを癒やすための風俗街として発展していった。高度経済成長時代に入り、大規模な都市計画によって新宿や渋谷といった街が次々と開発が進んだが、五反田はいい意味で取り残され、近年まで猥雑で猥褻な街として生き残ってきた。
五反田がSMクラブのメッカになったのは、日本で草分け的なSMクラブがこの地で開業されたためなど諸説ある。いずれにせよ、SMという言葉が大衆化したと同時に、SMクラブはその嗜好を満たすための場所として、一定の需要があった。そうした状況の中で、五反田は他の地域に比べて地価が比較的安く、客層も多様であったことから、SMクラブを開業するのに適していたのだろう。
しかし、五反田のSMクラブは、時代の変化とともに衰退していった。インターネットの普及により、SMに関する情報やコミュニティがオンラインで簡単に入手できるようになったこと、また、SMのテーマにしたアダルトビデオやアダルトグッズが容易に手に入るようになったことで、SMクラブの需要が減少したのかもしれない。
近年、都市開発の波が五反田まで押し寄せてきている。風営法の改正などもあり、現在ではSMの聖地という仰々しさは感じられない。ほとんどはデリバリーに姿を変え、新しい時代での生き残りにしのぎを削っている。五反田周辺にSMに特化したデリバリー店がまだ存在するのは、そういう歴史が存在するからだ。姿・形は変われど、文化は逞しく生き残っていくものである。
そんな五反田駅の改札口で、今回の主役真木亮一を待っていると、背が高く、細身の男性が近寄ってきた。ドクロ柄の半袖Tシャツに細身のダメージジーンズ、黒の革ブーツといった姿は、明らかに普通のお勤めのものではない。平日の午後八時に街を歩いている人としては、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
軽い挨拶を交わしてから、東口にあるカラオケ店に向かった。元ミュージシャンだからカラオケ店というわけではない。じっくりと落ち着いて話を聞くのに、カラオケボックスは最適なのである。周囲に聞かれたくない話もしやすいし、室内の適度な狭さが、初対面同士の心理的距離を少しずつ縮めてくれる。二時間から三時間ほどの取材で奥深いところまで聞くのに、これほど便利な場所はない。
もっとも世間話の後、取材の意図を通したところで、真木は好々爺然としていた。
「俺の話、あんま面白くないかもよ。俺は探偵になろうと思ってこの業界に入ったわけじゃないし、続けたいとも思ってないし、興味もないから。仕事だからやってるだけ」
とても面白そうな男である。
真木亮は、一九八二年、父が五一歳で母が四二歳のときに、東京都調布市で誕生した。父は会社を経営していたこともあり、裕福な家庭の一人息子として、甘やかされて育てられたそうだ。本人には金持ちという意識はなかったようだが、小学校から私立に通い、ピアノやサッカー、体操、水泳、書道など、多くの習い事をさせてもらったそうなので、それなりに裕福だったに違いない。
ただ、父親の仕事の関係上、「なんか飴の会社をやっていてたような……」と真木は言うものの、父親が何をしているのかはよくわかっていないそうだ。小さいとき、両親の仲が悪くなって、父親とは別々に暮らしている。……。父親と関わりがないというか、今でも年に一回、「正月に会うくらいだよ」と、長らく父親との関係は希薄なようだ。両親は離婚せずに別居のまま、今に至る。
教育も熱心な家庭だったようで、都内の小中高一貫教育の私立学校に通っていた。小学生のときは学年トップの成績で、中学校の入学式で新入生を代表して挨拶をしたほどだった。
小学生の頃から地元のサッカーチームに所属し、中学生でもサッカーを続けた。しかし、反抗期を迎えだ頃、真木は不良に憧れるようになる。成績が優秀だったことで学校から特別扱いされていたが、それを逆に悪ぶるようになっていたそうだ。といっても、無断欠席くらいのかわいいものである。「勉強しないで遊んでばかりいるのに、なぜか成績はいいみたいな。できる不良」に憧れていたんだろうね。
学校の同級生は優等生ばかりだったこともあり、不良に憧れていた真木は地元のヤンキーらとつるむようになる。
「不良に遊んでると、仲間たちは走り屋系とバンド系に分かれていったんだよね。俺はギターをかき鳴らしているやつの家に入り浸ってたから、バンドに目覚めた感じかな」
バンドに目覚めるきっかけは、X JAPANが好きだったからでもある。ちょうどその頃、ギタリストのhide(ヒデ)が亡くなった。一九九八年五月の出来事だった。一五歳の真木は、大きな衝撃を受けた。友だちとバンドを始めるべく、自分のギターを購入して練習に明け暮れた。学校の成績は、バンドへの情熱と反比例するように下降していった。
高校生になった真木は、地元の連中だけでなく、学校の友だちともバンドを組んだ。四人でバンドを組むようになったとき、ドラムはいいたが、残りの三人がギターだったため、真木はベースに転向した。ギターをうまく弾けないと、真木自身が感じていたのも理由だった。以来、真木はベースを弾き続けてきた。
進学校で規則も厳しい高校だったが、教師を説得して「軽音部」を創設した。ただ、ロックをやっているのは真木たちのまわりにいる数人ぐらいで、全体から見れば日陰の存在でしかない。文化祭でも演奏したが、見に来てくれたのは十人程度と、まったく盛り上がらなかった。
X JAPANのように、長い髪を染めて逆立てたかったが、髪が耳にかかっただけで教師から指導を受ける。夏休みに髪を染めたり、ピアスをあけたりするくらいしかできなかった。
高校を卒業すると、東京都内で一人暮らしを始める。最初は音楽の専門学校に通ったが、半年で辞めた。三歳からピアノを習っていた真木にとって、専門学校のレベルはあまりにも低すぎたのだ。これから音楽を始めようとする人向けの授業ばかりで、金を払ってまで通う意味を見出せなかった。
それよりも、ライブハウスなどで活動するほうがプロへの近道であり、楽しそうでもあった。
ライブをするためには、バンドを組まなければいけない。最初は、バンド関係の雑誌や楽器店に貼り出す告知で、メンバーを集めた。その後、メンバーの入れ替わりやバンドの解散などを繰り返しながらも、真木はバンド活動を続けていく。
小学校から進学校に通っていた真木にとって、大学に進学せずに音楽の道に突き進むことに、並々ならぬ決意があったのではないだろうか。
「今思えば、そんな決意なんてなかったね。楽しいからダラダラやってたって感じかな。今日が楽しければいいやって、毎晩酒飲んでみんなでバカやって。だけど成功したかったんだろうけど、人生なんてたぶんそうね。貯金とかも全然なかったし、その日暮らしだった」
インディーズの事務所に所属していた真木のバンドのスケジュールは、週に数回集まって練習し、ライブは少ないときで月二本か四本、多いときで月七本か八本。なずな。その間にレコーディングをして、だいたい三カ月ごとにアルバムを出していた。新曲がリリースされると、東名阪ツアーを開始する。東名阪ツアーとは、東京、名古屋、大阪でライブをすることである。
バンド活動の合間にアルバイトもしていたそうなので、ダラダラしている感じではなさそうだ。楽しんでいただけでは何も続けられなかったはずである。本人ははぐらかしていたが、音楽に対して真摯に向き合っていたのではないだろうか。真木が語る言葉の端々に、その姿勢が感じられた。
バンドの収益はライブやCDの売り上げだけではない。真木が所属していたビジュアル系業界は、他のロックやメタルの業界に比べて、物販での売り上げが桁違いに多かった。
「物販は重いね。アイドルとかも一緒だと思うけど、ロックのライブだとそんなに写真とか売れないから。ビジュアル系だと、普通にポラロイドとかも売れるし、追っかけの女の子とかもいっぱいいたしね」
ビジュアル系バンド時代は、女性に不自由しない生活だったそうだが、付き合っている彼女が常にいて、やんちゃはしなかったそうだ。メンバーの中には、女性に食わせてもらっている〝ヒモ〟状態のやつもいた。
「だいたいバンドマンってヒモなんだよね。俺も女の子から貰いでもらったことはあるけど、彼女に家賃も食費も出させるってのが嫌で。だからバイトしていたわけだけど……」
いくらプロのミュージシャンであっても、音楽活動だけで生計立てられるのは一握りしかいない。ほとんどはアルバイトをしながら活動を続けている。金欠のバンドマンが、養ってくれる女性に甘えてしまうのも、仕方がないことかもしれない。
真木のビジュアル系バンドは売れていなかったそうだが、スタジオ代、CDや物販の制作費、衣装代などの活動費は売り上げから賄えていたのだから、それなりに人気だったのだろう。ただ、本人の前では、大きな壁が立ちはだかっていたのかもしれない。本当の山の高さは、実際に登ってみないとわからないものである。下から見上げている者には、頂上まであとわずかに見えても、最後の一歩と巨大で絶望的なものはない。極めれば極めるほど、成長が鈍化し、頂上が霞んで見えないほどの世界でもあるだろう。
ビジュアル系バンドマンにとって、アルバワーナーには限られている。カラフルな色に染められた長い髪だけではなく、ツアーに出ると、しばらく戻ってこられない。出勤が自由なものとなると、絶対数は減り、職種も限られてくる。真木がアルバイト先として長く携わったのは、出会い系サイトの運営だった。
「バンド関係のやつはやっぱりノリは多かったね。あと、お笑い芸人も多かった」
売れない芸人も、お笑いライブがあったり、急な仕事が入ったりするため、バンドマンと同様に融通が利くことがバイト選びの条件だったのだろう。
仕事内容は、広告業者と相談して、さまざまなサイトに広告を掲載してもらったり、運営するサイトの宣伝記事を書いてもらったりすること。また、スパムメール(一方的にメールを送りつける迷惑メールのこと)を送ったりもしていた。あくまでも当時の話だが、携帯電話各社の人から顧客のリストを買って、メールアドレスを手に入れていたそうだ。
当時の相場で、個人アドレスの単価は四〇〇円〜五〇〇円程度だったという。毎月の広告費が二〇〇〇万円だとすると、単価四〇〇円だとして二五〇〇人のアドレスをゲットできる。毎月の売り上げが四〇〇〇万円〜五〇〇〇万円だったので、高額なリストを購入しても、すぐに回収できたのだろう。
個人情報が売買されているという話を耳にしたことはあるが、実際に関係していた人物に会ったのも、具体的な金額を聞いたのも、これが初めてだった。
当時の出会い系サイトはポイント制が主流だった。送られてきたメッセージを読むだけなら無料だが、返信したり、相手の顔写真を見たりするには、課金してポイントが必要になる。最初の数回のやり取りを無料にして、男の下心を巧みに操って課金させる手口は、まるで恋愛上級者のように手練れていた。もちろん、操っていたのは業者である。また、「さくら」と呼ばれる金で雇われた女性(男性も紛れている)は、課金させるのが目的なので、会うことはできない。甘い言葉に踊らされた男たちは、連絡先を交換するために課金を繰り返す。女性側は、あの手この手を使って会えるか会えないかのギリギリの攻防を繰り広げる。女の子には会えず、課金したポイントだけが減っていく。中には三〇〇万円〜四〇〇万円も使った人がいたそうだ。
三〇歳になる直前、真木はバンドを辞めた。気持ちいいほど、スッパリと辞めた。
「音楽に興味で続けるつもはなかったんで、今はまったく楽器に触れていないね」
真木は昔を思い出しているのか、少しだけ無言の時間が生じた。やはり音楽に対して並々ならぬ思いがあったのだろう。
「レコーディングして作品を作る度に、事務所の人も元ミュージシャンなんで、テクニック的な話にもなるんだよね。これがダメだとか、もっとこうしたほうがいいとかっていわれると、自分の才能に限界を感じるし、教科書どおりのプレイになっちゃうというか。純粋に音楽を楽しめなくなっちゃったんだよね」
一度迷い始めると、余計なことを考えてしまう。「このフレーズでいいのだろうか」「今のはベストだったのか」といったことが頭から離れなくなる。ファンからは「とてもよかった」といってもらえるが、当時の2ちゃんねるなどの掲示板には、「あのベース、下手くそ!」だとか「あの曲は最悪」といった誹謗中傷の言葉が踊っていた。メインで曲を作っていた真木は、余計に疑心暗鬼に陥り、思い浮かんだフレーズに自信を持てなくなった。しまいには女性関係の情報まで掲示板に暴露された。自信があるときなら、そういう雑音は無視できるのだが、自分を見失っているときは身にこたえる。
ずっと若いまままだと思っていたのに、いつの間にか三〇歳に迫っていた真木は、心身ともに疲れ切っていた。次のキャリアを考え出すタイミングだった。
長年一緒にやってきたドラマーがクビになったことも、バンドを辞める決意を早めさせた。所属していた事務所から「ドラムをクビにしろ」といわれたのだ。ドラマーは素行に問題があった。所属する女性にもちょっかいを出し、いつの間にか別れさせられてもおかしくない悪行を繰り返していた。真木は、そのドラマーとは付き合いが長く、ドラムとベースは同じリズム隊で相性もよかった。新しいドラマーを入れたが、真木と相性が合わず、音楽に対するモチベーションは下がるばかりだった。「このくらいが潮時か」と、バンドを辞めるダメ押しになった。
バンドを辞める理由は、出会い系サイトの話を絡んでいた。三〇代前半は、アルバイトとして時給一二〇〇円プラス歩合で働いていたが、三五歳のときに経験者の仲間たちで新しい出会い系サイトの会社を立ち上げたのだ。真木も創設メンバーではあったが、バンド活動であまり職場に顔を出せなかったため、会社では浮いた存在になっていた。会議では積極的に意見もいえず、また意見したとしても聞き入れてもらえなかった。もっと業務に関われば信頼も生まれるし、収入も増えると思っていた。
バンドを辞めるかどうかで悩んでいたとき、新たなサイトを立ち上げる話が降って湧いてきた。こちらの仕事に専念すれば、もっと稼げる、と真木が考えたのだ。
真木は、バンドを辞めて出会い系サイトの経営に専念した。が、それも一年で辞めることになる。出会い系サイトからもアプリに移行する過渡期で、おいしい商売ではなくなったのだ。アプリだとアップルとグーグルを通さなければならず、売り上げの何割かを持っていかれる。多いところで三〇%もの手数料を支払わなければならないという(アップルストアの場合、二〇二一年より手数料が二五%に引き下げられた)。
「思うように稼げないなら、この仕事を続ける意味はない。金のために割り切って始めたのである。無理して続ける意味も価値もなかった。真木同様、出会い系サイトで働いていた者の多くが職の変更を余儀なくされた。そのままアプリで出会い系を続けた者もいたそうだが、いくらマッチングアプリなどと健全そうな名称に変えても、たいして儲からなくなった。気軽に遊べるゲームが溢れていることもあり、顧客たちの課金対象はソーシャルゲームに流れていったのである。
職にあぶれた者たちは、より金儲けができるものを追い求め、振り込め詐欺やフォークリフト詐欺などに流れていったのではないか、という噂もある。出会い系が下火になったのと同じ時期に、詐欺の前罪が増えていったからである。ちなみにフォークリフト詐欺とは、ユーザーに四回クリックさせて有料会員サービスに登録したと勘違いさせ、多額の会員料金などを支払わせること。例えば、アダルトサイトで年齢確認のボタンや利用規約のボタンなどを四回クリックさせて、入会費や会員費、損害賠償などを請求する詐欺である。フォークリフト詐欺も見かけなくなった昨今、彼らはどこに流れているのだろうか。
出会い系の仕事も辞めた真木は、バンド時代の知り合い二人でアイドル事務所を立ち上げた。
アイドルの卵をスカウトして育成し、売り出そうと考えたのだ。バンド時代の人脈を使えば、曲を作ってもらうことも、プロデューサーを手配することもできる。
すでにアイドル冬の時代を脱し、AKB48を筆頭にアイドル戦国時代などと呼ばれていた。そうした時代背景もあって、真木はアイドル事務所の設立を決意したのだろう。しかし、真木が夢見たのは、いわゆるアイドルではなく、地下アイドル(ライブアイドルとも呼ぶ)の世界だった。テレビで華やかに活躍しているメジャーアイドル(地上アイドル)とも呼ぶ)の世界ではなく、真木らは、地下アイドルのジャンルで勝負することにした。アイドルには、小さなライブで活動し、ファンとの距離が近いのが特徴だ。しかし、地下アイドルもすでに飽和状態になっていて、地下よりもさらに潜った〝地底アイドル〟なるものも登場していた。過激な地底アイドルの中には、撮影会と称してファンと手をつないでデートをしたり、性的なサービスをしたりする子もいるらしい。一部ではあるが、一般人とアイドルの境界は年々曖昧になってきている。
大手芸能事務所に所属しているアイドルからフリーで活動しているアイドルまで合わせると、アイドルの数は数千人ともいわれているが、格差も激しく、底辺にいるアイドルたちは援助交際まがいのことや、性的なサービスを提供することで、ファン(信者)を増やそうとしたが、真木らは、アイドルに魔法学園などのキャラクターを設定して、ファン(信者)を増やそうとしたが、それは売れなかった。事務所が囲っていたアイドルたちも本気で売れたいと思っていなかったという。
「うちは三〇代が多かったね。一〇代はどこも引っ張りだこなんだよね。みんな若いはうがいいから。当たり前だけど、若くてかわいい子は大手に行っちゃうよね。そういうのがわかっているから、うちの子たちも本気で売れたいってわけじゃなくて、チヤホヤされたいだけ、今日が楽しければいいって感じだった」
きちんと給料も支払なかった。事務所は、喫茶店やメイド喫茶などでアルバイトをしていれば、ファンは応援したくなるだろうという考えで、ファンからの投げ銭を期待していたのだ。売れてはいなかったが、それでも気心の知れた仲間と楽しくできればいいと思っていたのだろう。真木もアイドルの卵たちと同じ思いだった。
アイドル事務所だけでは生活ができないので、同時に動画制作会社も立ち上げていた。仲間の一人が動画撮影を得意にしていたのだ。その仲間が組んでいた自身のバンドのプロモーション動画も、簡単なものであれば、自分たちで撮影していたくらいだ。
ユーチューブの影響力が認識され始めた時期で、企業のPR動画の需要が増えつつあるときでもあった。真木には広告代理店のつてがあったため、商売として成り立つと信じて疑わなかった。が、残念ながらこの商売もうまくいかなかった。本格的な動画を制作するライバル会社も次々と出てきた。流行っているから、得意だからという理由だけで繁盛するほど、ビジネスは甘くなかった。
また真木は、楽してやめるためには、それなりに稼がないといけないことも、今さらながらから学んだ。金がないという惨めな状況は、何も生み出さないどころか、大切なものまで蝕んでいく。
「仲のいい連中で会社を始めてしまうと、人間関係がズタズタになるんだよね。金の切れ目が縁の切れ目だから。最後は、もう友だちでもなんでもなくなっていたよね」
結局、アイドル事務所も動画制作会社も廃業に追い込まれた。
再び無職になった真木は、傷ついた羽を休めるように、三カ月ほど何もせずにのんびりしていた。
そんなとき、ある人物から声がかかった。
それ以前に動画制作の依頼を受けたことがある探偵社の社長だった。探偵に密着したドキュメントPR動画を撮ったことがあったのだ。皮肉なことに、その探偵社も廃業になってしまったらしい。
これまでの異色な経歴が、探偵の仕事に活きたという。真木は、さまざまな人間と関わってきた。普通の人だったら絶対に会わないようなアプローチもしたし、私利私欲に走って犯罪を犯している人間も見てきた。実際に逮捕された友人もいる。人間の裏の裏まで見てきた真木だからこそ、対象者の心の変化に気付き、次の行動も推測できるのだろう。「極端な話、大学を卒業して役所で一〇年間働いてきた人には務まらない職業だよ」と真木は自負していた。
探偵になって三カ月が過ぎた頃、先輩の探偵が辞めていった。会社や仕事に不満があったわけではなく、家庭の事情で探偵を続けられなくなったそうだ。真木は仕方なく、調査をメインに行う探偵になった。新しく増えた探偵たちと組んで、調査員として現場に出向かざるを得なくなった。
「調査自体に飽きてきたのもあるけど、正直、朝早いのがつらかった。早起きは苦手なんで。夜中の二時とか三時に帰ることもあれば、朝四時起きってときもある。体力的にきつくて。もともと探偵社の内勤は、運営全般の業務をいう。売り上げの集計や経費の精算、提携会社への請求書作成といった経理事務、誰がどの現場に行くかといった探偵たちのスケジューリング業務、探偵のスケジュール管理も含む)、ネットで集客するための広告業務、依頼者に提出する調査報告書の作成業務、撮影した動画の編集、管理など。動画の編集は、担当した探偵が行うが、依頼者に提出する前に真木が最終チェックをする。無駄なところで、手ブレがひどいところなどをチェックするのだ。
話を聞く限り、現場に出るよりも大変そうだ。稼働している案件が何件もあるのに、これらの内部業務は、ほぼ真木一人で行っているのである。
勤務は、ほぽ毎日。パソコンの作業が得意だから、苦にならないけどね。たまに現場のやつに手伝わせると、パソコンの使い方から知らせなくて、時間がかかることもあるから」
真木は、土日は電話の受付も担当している。平日は電話担当の女性を雇っているが、土日は真木が電話を兼ねているのだ。最初に受ける依頼者からの電話は、どういうものなのだろう。
「まあ、いろんな人がいるからね。共通しているのは、みんな精神的に弱ってることかな。助けを求めて依頼してくるわけだから。中には、幻覚が見えるくらいおかしくなってる人もいる」
電話をかけてくる依頼者の多くは、最初に料金を尋ねてくる。それはそうだろう。探偵に依頼するというのは、人生で何度もあることではない。料金の相場もわからないし、どれくらいの費用がかかるのか、見当もつかない。だから、まずは料金を聞いて、それから依頼するかどうかを判断したいのだろう。
電話を受けるだけでは料金は発生しない。実際に面談してからでないと契約に至らないので、電話を聞くのは、無料相談のようなものである。それでも真木は、丁寧に話を聞くようにしている。「事情を聞かないと契約できるかどうかわからないし、あと、とりあえず電話して聞いてみようって人も多いから。ネットで検索した数社から話を聞いてから、どこに依頼するかを決めるじゃない。大金を払うわけだから。それを強引に『事務所に来てください』っていうと、お客さんは逃げていく。ある程度話をして、『ここは信頼できそうだな』となってくれたところで、ようやく『こちらにお越しください』って言えるんだよね」
依頼するかどうかは、最初の電話の印象に左右される。不安な依頼者を繋ぎとめるためにも、真木は相手を否定しないように気を付けている。必要以上に同情はしないが、「そういう状況なんですね」とまずは肯定する。
相手が何を求めているのかを知ることも重要だ。浮気調査といえど、離婚を望んでいるのか、慰謝料がほしいのか、夫(妻)に対する恨みを晴らしたいのか、もしくは復縁したいのかなど、調査を依頼する目的はさまざまだからだ。真木は「どう考えていますか?」とストレートに聞くそうだ。
「はっきりしていない人もいるんだけど、それはそれでいい。そういう人向けのカウンセリングをすればいいわけだから」
土日の電話対応があるため、必然的に出勤日となるが、真木自身が平日休みを希望している。「土日はどこに行っても混むから、人がいないときに遊びに行きたいんだよね」という理由が、変わり者の真木らしい。
休日には、調査で訪れた場所に遊びに行ったり、食事に行ったりすることがよくあるそうだ。
「対象者たちは、おいしい店とか探して行くわけだよね。だから、きっとうまいんだろうなって。だから今度プライベートで行ってみようって思うんだよ。対象者たちが楽しんだものを、今度は俺が楽しむってこと」
それは他の探偵たちも同じようなことをいっていた。
真木の現在の業務は、基本的に内勤がメインだが、人が足りないときなど、現場に出向くこともある。突発的な案件が入ったとき、特に地方の場合だと、社内の探偵の調整が難しい。地方だと移動時間も長く、連日都内で可動している探偵を組み入れにくいのだ。調査の終わりが不明の案件も多く、必然的に時間に融通の利く真木が出向くことになる。
「俺の場合、パソコンがあればどこにいても仕事できるし、電話さえ繋がれば他の業者とのやり取りもできる。ちょっと報告書がたまってめっちゃくちゃ忙しいんで、別に社内にいなくてもなんとかなるんだよね」
調査業務に飽きたといっても、地方であれば気分が変わるので嫌ではないという。真木は、ちょっとした旅行気分で地方に飛んでいる。
最近も、宮崎県に行ったそうだ。宮崎にある探偵社に問い合わせがあったのだが、依頼者は東京在住だったため、真木の探偵社に仕事が回ってきた。依頼者と面談して仮契約を交わし、調査計画を立てる。依頼内容は、宮崎に単身赴任している夫の浮気調査。対象者は宮崎にいるが、月に一度は東京本社の会議に出席するために帰京、浮気も東京勤務時代からなのか、宮崎に赴任してからのことかはっきりしていなかった。依頼者に詳しい話を聞く限り、単身赴任先のほうが可能性が高そうだったため、現地に真木が向かうことになったのだ。
地方の調査は、車移動がメインになる。現地のレンタカーを借りるわけだが、土地勘がないため、道に迷うことも多い。また、車の少ないところで尾行し続けると、相手に気付かれる危険もある。だからといって、真木は事前に行くことはしない。
「早く終わったら、この街に行こうかなって調べるくらいだよ」
普通のサラリーマンの出張と同じなのである。真木は、三日間、対象者を尾行した。しかし、仕事中にパチンコ店でサボっていたくらいで、女性と会うことも、怪しい動きもなかった。夕食も一人で食べていて、浮気の痕跡は何も出てこなかったのである。
都内で浮気をしている可能性は残るが、真木は「対象者は浮気していないだろうね」といっていた。今回の調査は完全なシロだったようである。
その宮崎出張の二日後、真木は香港に飛んでいた。
旦那が、はっきりとした理由もなく四〇代探偵の女性に依頼してきた。五〇代の夫の浮気調査なのだが、妻は離婚する意思を固めていて、有利な条件で離婚できるように浮気の証拠を取ってほしいとのことだった。「お金はいくらかかってもいいから、証拠をつかんでほしい」というほど、金持ちからの依頼だった。自宅は、東京の白金の一等地、対象者がいつ動くかわからず、連日の高級住宅街での張り込みで、住民からは何度も通報されたそうだ。
目立った動きを見せなかったが、その後、対象者は仕事で香港に行くという。が、対象者のインスタグラムをチェックすると、仕事かどうかも怪しく、浮気相手も一緒に行くことも窺えた。対象者は裏アカウントを利用していたのだが、依頼者の妻にはすでにバレていた。急遽、探偵を香港に派遣しなければいけない。香港行きの航空券を手配して、都合がつく探偵と二人で、真木は香港に向かった。夕方の四時に香港行きが決まり、その日のうちに到着するという強行スケジュールだった。
海外調査の場合、事前に予定がわかっていることが多い。いつどこに海外出張に行くか、家族に伝えておくのが普通である。いきなり海外に行くケースは少ない。また海外出張が怪しくても、そこまでの調査費をかけられる人も少ないだろう。国内で浮気の証拠が取れるのであれば、そのタイミングを待つほうがいい。今回の急遽、海外に飛ぶというのは、金持ちの依頼ならではである。
探偵は対象者のSNSもチェックしている。投稿されたら通知がくるように設定しているそうだ。「フェイスブックなんて情報の宝庫だよね。嬉しそうに写真なんか上げてるけど、それだけで住所とかわかることもある。こっちはラクだからいいんだけど、不用心すぎるよね」
海外での調査は、勝手知ったる場所ではないだけに、難しいことが多い。香港でも、すべての行動を追うことはできなかった。
一つは言葉の問題だ。対象者が現地の言葉を話せなければ、追うのもたやすい。観光旅行であれば行きたい場所も決まってくるので、こちらも追いやすい。ところが、今回の案件では、対象者が英語も中国語も堪能で、現地の人と普通に会話ができる。何度も訪れているようで、道にも詳しかった。真木らは「前の車を追って!」など、想定される言葉を英語と広東語で書いた紙を用意していたが、それでも追うことができなかった。
香港は三〇〇以上の島々で構成されているが、エリアごとにタクシーの縄張りがある。九龍半島で営業しているタクシーは、香港島を走れないという現地ルールが存在するのだ。そのため、「前の車を追って!」といっても、行き先がわからないため乗車できない、ということが度々あった。
対象者たちは五つ星の最高級ホテルに滞在していたため、真木らも同じホテルに部屋を取った。
対象者らが泊まっている部屋番号の割り出し、もう一人の探偵は対象者らの出入りをチェックすることにした。ホテルに出入りする対象者を撮影するためには、ロビーで待つしかない。フロントの人には「俺(真木)は作家で原稿を執筆しなければいけない。彼は助手だけど、原稿に集中するためにロビーで待たせている」ということを伝えたのだが、高級ホテルであるがゆえに放っておいてくれない。何人ものボーイたちに、何度も「May I help you?」と声をかけられた。
ロビーにいる探偵がバックに仕込んでいたカメラをボーイの一人に見られたのだ。そのボーイは、高級ホテルに不釣合いの格好をした若い男を不審に思って注意していたのだろう。小奇麗な格好をしても、金持ちのオーラがない探偵の存在は明らかに異質だった。「全然人種が違う。いきなり強盗に忍び込んだみたいなものだよ」と真木がいうように、このホテルに滞在しているのは欧米人ばかりで、日本人男性が一人で泊まっているだけでも目立ってしまうのだ。
カメラに気付かれた探偵は窃盗犯だと疑われた。緊急連絡を受けた真木もロビーに駆けつけたが、言葉が通じない。ボーイは英語で、立場が上に見えるホテルのスタッフは広東語だった。グーグルの翻訳アプリで会話をするのだが、言葉が通じないだけでなく、日本語から英語、英語から広東語、広東語から日本語など、スムーズに話が進まない。
「撮影していただろ?」と問い詰められたが、最初は「そんなの知らない。撮影していない」としらばくれていた。するとホテル側は監視カメラの映像を持ってきた。あちこちに設置された監視カメラに気付いていたが、「さすがに常時見てはいないだろう」と真木は高をくくっていた。監視の緩い日本のホテルと同様だろうと油断していたのだ。しかし、ホテル側が持ってきた映像には、撮影しているもう一人の探偵がハッキリと写っていたのである。
話は真木にまで及んだ。部屋で原稿を書いているはずなのに、エレベーターホールでうろうろしている真木の姿も監視カメラが捉えていたのである。真木は対象者が乗ったエレベーターがどのフロアで止まるのかを確認していたのである。
対象者のインスタグラムには、ホテルの部屋からの風景画像がアップされていた。その画像からある程度の階数と方角を絞り込み、部屋番号を突き止めようとしていたのだ。エレベーターホールは吹き抜けになっていて、上下二階くらいであれば、どこで降りたのか目視できる。真木は階を移動しながら、対象者の階数を特定しようとしていた。その不審な動きが監視カメラに収められていたわけである。
そんな映像を突きつけられ、絶体絶命のとき、真木は咄嗟に言い訳を口にした。
「ホテルの内装を勉強しているんだ。建築の勉強のために撮影していたんだ」。ホテル側は納得していなかったそうだが、最終的には、録画した映像を消すこと、今後の出入り禁止で話はついた。翻訳アプリを使って会話をしていたのも、言い訳を考える時間を作るための手段だった。危うく大ごとになりそうなところを、真木の機転によって窮地を脱したのだった。こういうところも、探偵のセンスがあると言えるのかもしれない。
二口がうまいほうじゃないけど、咄嗟に言い訳するのには慣れていて、自然にうまくなくなったのかもしれない。言い訳してなんぼの職業だから」
これが日本国内であれば、「私は探偵です」と名乗ればいいのかもしれないが、今の香港は中国であり、共産圏である。もし探偵ということを名乗れば、拘束されてもおかしくない。日本のスパイと疑われる可能性もあったのである。後で知ったことだが、中国では探偵は特別な資格が必要で、限られた人しか探偵できないようである。迂闊に正体を明かしてしまったら、日本に帰って来れなかったかもしれない。
日本の警察官であっても、探偵に理解を示してくれる警察官もいれば、こちらが「探偵です」といっても、「大変ですね」とか「頑張ってください」といって、信じてくれることもある。といっても、「だから何?」と突っぱねられたり、冷たい対応をされることもある。「探偵だからここにいるって、なんの理由にもなってないよね?」と追及されることもある。だから真木は探偵であることをひけらかさずに「プライベートでいるだけですよ」など、適当な言い訳をするようにしている。その経験が香港でも活きたのである。
香港での調査では、対象者たちの行動すべてを追うことはできなかった。行き先を見失ったり、ホテルの部屋番号を特定することもできなかった。それでも対象者と浮気相手が一緒にいるところは撮影できた。不倫旅行の証拠としては十分ではあった。
真木は、機内にいる対象者の様子も撮影するため、九万円もするビジネスクラスで快適に帰国。もう一人の探偵は、次便のエコノミークラスで日本に戻ってきた。いくら経費で使えるといっても、ビジネスクラスの席を二つ取るほど贅沢はできないのである。
香港の案件のように、対象者がSNSで情報を発信してしまっているケースも増えてきた。フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSで情報収集をするのは探偵として基本になりつつある。特に内勤の真木は、パソコンに強いこともあって、現場に行かなくてもできる調査を行うことが多い。
「一人探偵だったら、ある程度ネットで探せるんだよね」
SNSに何かしらの書き込みがあれば、位置情報が得られる。が、失踪しているのに自らの情報をアップする人はいない。そこで利用するのが、グーグルのアカウントだ。Gメールを利用している人であればアカウントを持っているし、ユーチューブを利用している人も登録している人が多い。チャンネル登録や再生履歴などの機能を利用するためには、グーグルアカウントが必要なのである。
グーグルアカウントを持っている人限定ではあるが、IDとパスワードがわかれば、グーグルで検索されたワードの履歴を見ることができる。グーグルのサイトにいき、検索ボックスをクリックすれば、簡単に検索履歴が表示される。スマホで検索しても、同じアカウントであればパソコンのウェブサイトにも反映される。今の時代、新しい場所に行けば何かしらの情報を得るためにネットで検索する。誰とでも、食べるところ、泊まるところを探した経験があるだろう。検索ワードに具体的なホテル名が出てくれば、そのホテルに滞在している可能性が高いということだ。
依頼者から対象者のIDとパスワードを知っていればいいが、その可能性は低いだろう。ただ、自宅のパソコンだとグーグルにログインしたままであることも多い。電源を落としても起動すれば、自動的にログイン状態になるように設定されている。IDとパスワードを知っている場合、新たにログインをすると通知が対象者に届くため、時間との勝負になる。パスワードを変更される前に、すべての履歴を確認。警戒した対象者が遠くに移動しないうちに、探偵を送り込む。
真木が担当した行方調査で印象に残っている案件を話してくれた。
「最近の話なんだけど、息子を探してくれって母親から連絡があったんだよね。俺が電話を受けたんだけど、その母親が妙に淡々としていて冷静だったんだよ。自分の息子が失踪したら、もっと錯乱しているというか、弱っていると思うんだよね。状況を説明してくれるんだけど、一切感情的にならずに、どこか他人事みたいに感じだった」
いなくなった対象者(息子)は、埼玉県に住んでいて、実家のある山形県から遠く離れ、兵庫県の特別支援学校に通っていた。今春、自閉症の大学に進学し、一人暮らしをしていたのだが、数日前から母親にLINEにメッセージを送っても既読にならないという。
詳しい話を聞くと、いなくなった日は兵庫県の母親を訪れ、後輩たちの卒業式に参列したそうだ。その後、高校時代の仲間たちと飲みに行ったが、些細なことで口論となり、対象者は怒って一人で帰ったという。その後、行方がわからなくなった。
警察にも行方不明者届を出しており、スマホの電波履歴も調べていたようだが、最後は友だちとケンカしたあたりで途絶えていた。真木の探偵社に連絡してきたのは、息子がいなくなってから五日後だった。事件に巻き込まれたのか、事故に遭ったのかは不明だが、本人が連絡できない状況にいることだけは確かである。真木は対象者のツイッターをチェックしたが、ここ数日はツイートしていない。すでに死亡しているのではないか、と真木は思った。母親の諦めた様子が、そのように感じさせたのだ。
警察は本腰を上げて捜索してくれず、藁にもすがる思いで探偵社に依頼してきたはずである。ところが、母親の冷静な対応に違和感を覚えた真木には「ひょっとしたら母親が……」という疑念も浮かんだという。
兵庫県の探偵に探偵を派遣し、聞き込みをしたり、ビラを配ったりして手がかりを探った。一緒に飲んでいた高校時代の仲間に電話で話を聞いた。その日の夜の出来事を整理すると、仲間四人で居酒屋で飲んでいたのだが、その中に対象者の元彼女がいたようだ。元彼女との間で、過去の妊娠に関するトラブルがあり、そのことで仲間たちは対象者をきつく非難してしまった。それが対象者の逆鱗に触れてしまったようである。
捜索を開始して一週間後、海に浮かんでいる対象者の遺体が発見されたという連絡が入った。
自殺だったのか、誤って落ちてしまったのかはわからない。少なくとも事件ではないと、警察は判断した。埼玉県のパートに何か手がかりがないか調べてみたが、自殺をほのめかすものは何も出てこなかった。突発的に死の焦燥に駆られることはある。自分を否定されたことで、自暴自棄になったのかもしれない。死をもって身の潔白を晴らしたいと発作的に考えた可能性もある。そう結局、自殺だったのか事故だったのか、真相は闇のままだ。真木は母親を疑ってしまったが、サスペンスドラマのようなことはなかった。母親はすでに諦めていたのかもしれない。真木と同じように、息子の命の灯はすでに消えていると感じていたのかもしれないし、自閉症の息子を育ててきた心労が、達観のある対応になったのかもしれない。
謎が多く、少し心残りが残る事件でもあった。
そうはいっても、一つひとつの案件に心を痛めていたら探偵は務まらない。たとえ失敗しても後に引きずらないようにしないと心がもたない。
「ああすればよかったとか、なんでこうだったんだろうって考えすぎるタイプだと、この仕事は続かないんじゃないかな。失敗も日常茶飯事だし、今日の現場のことは、終わったらスッキリ忘れるくらいじゃないとメンタルがもたない。いい意味で適当じゃないと」
探偵は、物理的にどうしようもない失敗もあれば、凡ミスのどうしようもない失敗もある。そして探偵のタイプによって、失敗の種類も失尾型と発覚型に分けられるという。
失尾型の探偵は、気付かれたり発覚したりすることを恐れて、対象者との距離を開けすぎてしまうタイプだ。距離を詰めすぎることで、対象者がより警戒心を強めることを懸念し、対象者を見失ってしまうのだ。一方の発覚型は、対象者との距離を詰めすぎてしまうタイプだ。近づきすぎて対象者に不審に思われて発覚するのだ。真木は失尾型のタイプだという。
「発覚したのは、一年やってて一回か二回ぐらいかな。発覚といっても警戒されたくらいだけどね」
真木の話ぶりは常に自信に満ち溢れている。頭がよくて、運動神経もいい。音楽もプロの腕前だ。女性にもモテる。自信のある男性は魅力的なのだ。他のやつらとは違うというアイデンティティが、少し危険な香りを演出させているようにも思える。
探偵という職業を選んで、今は何を考えているのだろうか。三〇代も半ばを過ぎ、今後のことはどう考えているようになったのか。
「今は何も考えていないような気がするね。ちゃんと考えてたら、資格取ったり、行動してるでしょうし。バンドをやってたときと同じで、そのときが楽しければいいって感じかな。三つ子の魂、百までなんじゃない」
将来の計画性はまったくないと、真木は笑っていた。現状の待遇に不満もなければ、苦痛なことでもない。現場に出るのはあまり好きではないようだが、今のペースで楽しくやっていければそれでいいと思っている。
音楽に対する未練はない。真木にとっての音楽はヴィジュアル系バンドであり、それはメイクや服装といった見た目やステージ上のパフォーマンスも含めた総合エンターテインメントだった。バンドが持つ世界観を表現することに意味を見出していた。今の真木にはそれらを演出することに興味がない。体重が二〇キロ近く増えたこともあり、人前に出る勇気もなくなったという。
「本当に音楽が好きなら、家で楽器鳴らしたりするんだろうけど、辞めてからほとんど触ってないしね」それは情熱が燃え尽きると、バンド活動に打ち込んだ証はないだろうか。「趣味で音楽をやるつもりはない」という真木の言葉は、それだけ音楽に対して真摯に向き合ってきた証拠でもある。燃え尽きるには早かったかもしれないが、スポーツや芸能の世界では三〇歳で一つの節目を迎える。
第二の人生をどう歩むか――。社会人経験を積んだことで世の中を冷静に見渡せるようになる一方で、新人のような仕事への情熱も失われていく。時間というのは、心の角を癒やしてくれるだけではなく、燃えたぎる情熱をも冷ましてしまうのだ。仕事に対するやりがいよりも、給料や役職といった待遇や人間関係など、ストレスなく仕事を続けることが大事に思えてくる。夢破れたスポーツ選手やアーティストであれば、次のキャリアに目を向けるを得なくなるし、一般の社会人であれば、現状に対する不満などから別の世界を覗いてみたくなる。少なくとも一度は、誰もが今後のことについて考える時期だろう。
新しいチャレンジをする者もいれば、今までどおりの道を突き進む者もいる。生活のため、家族のために惰性で仕事をしている者もいる。これまでのキャリアを活かしてステップアップしていく者もいれば、まったく関係のない仕事に鞍替えする者もいる。
真木は、音楽を辞めて探偵という職業を選んだ。自分で選んだわけではないが、今は探偵の仕事に納得しているようだった。探偵という職業は、真木にとって丁度いい立ち位置なのかもしれない。普通のサラリーマンでもなければ、はみ出してすぎているわけでもない。大衆の少し外という距離感が心地良いのだろう。真木の話を聞いていると、居心地の良さ、それがセカンドキャリアで重要な要素なのかもしれない、と感じる。
真木には、現在恋人がいる。相手は年上のバツイチで、高校生の娘と中学生の息子がいる。友だちとバーで飲んでいるとき、彼女のほうから声をかけてきたという。互いにX JAPANが好きという共通項もあって意気投合した。結婚はまったく考えていない。
「探偵をやってると夫婦の崩壊しか見てないんで、結婚願望はなくなったね。一生独身でいいかなって。人の裏側ばかり見てるんで、人を信じられないというか、性格もどんどん悪くなるしね。誰もが浮気すると思うし。俺も浮気されたことあるけど、浮気しない人間はいないだろうし。まあ、血が繋がってないやつを自分の子どもに思えるほど人間できてないよ」
やはり、真木は面白い男だった。