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探偵の知識

第五章 ハードボイルドの葛藤

2025年11月19日

探偵はここにいる
森 秀治

真夜中の探偵事務所──。依頼人の女性は、ある書類を盗み出すため、事務所に忍び込む。知られてはいけない、真実が、調査報告書に書かれているのだ。暗闇の中で家探しする依頼者を、待ち構えていた探偵は静かに口を開く。
「探偵ものならここにありますよ、奥さん」
濃紺のシャツにライトグレーのネクタイを締め、黒いスーツで身を包んだ探偵は、タバコの煙を吐き出しながら、左手に持った調査報告書を依頼者のほうに投げる。
「これがほしいんでしょ?」
痛々しい傷を負った探偵の顔には、いくつもの絆創膏が貼られている。妖艶な依頼者は、動揺した素振りを微塵も見せず、色仕掛けでごまかそうとする。
「いえ、あなたにお目にかかりたくて来たんですの。ご迷惑だった?」
「とんでもない。嬉しいですよ。お待ちしておりました」
ひどい怪我をしている探偵を気遣って、優しく手当てをしようとする依頼者。その手をはねのけ、探偵は核心に迫る。
「手当てをしようとするなら、最初から殺そうとしないことだ。俺たちはね、そんな利己的な暴力よりも、ほんの何気ない優しさがほしいんだ」

これは、一九九七年から一九九八年にかけて放送されたテレビドラマ『探偵物語』(日本テレビ系列)の第2話「サーフシティ・ブルース」のワンシーンだ。
依頼内容は、二年前に家出をした娘を探し出すこと。父親が病気で死にかけており、最後にひと目だけでも会わせてあげたいという妻からの依頼である。依頼者は資産家の後妻で、娘にとっては義母にあたる。探偵の工藤俊作は、依頼どおり家出娘を探し出したが、何者かに娘を殺害されてしまう。結局、夫も娘も死んでしまい、依頼者は莫大な遺産を相続することになった。残された証拠を隠滅するため、真犯人である依頼者は探偵事務所の家探しを決行したのである。
松田優作が演じたのは主人公の私立探偵・工藤俊作。ハードボイルドで一枚目ではあるが、コミカルで母性本能をくすぐる、当時には斬新なキャラクター設定だった。自由をこよなく愛し、いわれのない謝礼は受け取らない。トレードマークの黒いハットをかぶり、イタリア製のバイク・ベスパにまたがる姿に、女性だけでなく、男性も憧れた。
そんな松田優作のような探偵が横浜にいる。
男の名は、村上健三。現在五〇歳のベテラン探偵である。濃紺のジャケットにダメージデニムをはき、足元のローファーは丁寧で磨かれている。きれいな白髪は短く整えられ、切長で鋭い目つきが年配男性の色気を醸し出していた。銀幕の世界から飛び出してきたような渋い探偵である。

村上は、JR横浜駅から徒歩一〇分ほどのオフィスマンションで、小さな探偵社を営んでいる。事務所の中には、村上と事務員の机、小さな応接セットが置かれていた。どれも高価ではないが、こだわりのある家具で揃えられている。昭和を感じさせる応接セットは、長年愛情をかけられてきたことが窺える。家具に使われている木材は独特のナス色をしていた。刑事ドラマに出てくるような味気ない部屋ではあったが、年代ものの家具たちが名脇役を演じていた。
福島出身の村上は、高校を卒業した後、地元で防災関係の仕事に就く。しかし、長続きせずに辞めてしまい、ピザの宅配バイトなどをして日銭を稼いでいた。
村上は元来、困っている人、弱っている人を助けたいという思いが強い男だった。友だちや後輩から相談を持ちかけられると、親身になって話を聞いた。手助けできることがあれば、労力を厭わずに動いた。人間関係のもつれや他の集団とのいざこざといった些細な問題が多かったが、女友だちからの恋の相談を受けたこともあった。
テレビドラマで松田優作や沖雅也が演じる探偵の姿を見るにつれ、村上は探偵に憧れるようになった。バラエティ番組に探偵が出ていたのも、村上が探偵に興味を持つきっかけである。
福島県にある探偵社を電話帳で調べて、片っ端から電話をかけたこともあるが、どこも募集していなかった。当時は、人員が足りないような職業ではなかったのである。
「まあ、仕方ないよな。どこも募集していないんだから」
憧れの職業があっても、その門戸が狭い。探偵に限らず、最初の〝歩〟が最難所である職業は多い。

福島県の探偵社は、個人で経営しているところばかりだった。彼らがどこで探偵の修行をしてきたのかは知らないが、自分一人、もしくは家族で養うだけで精一杯なのだろう。人を雇うほどの余裕のあるところは近隣にはなかった。
当時付き合っていた彼女は、東京の大学に進学していた。子どもの頃から互いの家を行き来する幼馴染で、村上は「いずれ一緒になるんだろうな」という思いを抱いていた。彼は東京で一人暮らしをしていて、アメリカ文学を専攻していた。卒業後は福島県に戻ってくる予定だった。一年近く遠距離恋愛を続けながらアルバイトをしていたが、村上は次第に寂しくなっていった。彼女とあと三年も遠く離れたままでいるのが耐えられなかった。
そんなとき、横浜の大学に通学していた友人へ電話で相談した。彼女のこと、仕事のこと、率直に話した。友人の探偵といえば横浜だろ! という言葉に、村上は明るい道筋を見た。横浜に行けば、彼女にも会えるし、憧れの探偵にもなれる。すべての悩みが解決できるように思われたのだ。幸いなことに、横浜に住んでいる友人の部屋には、駐車場もあるという。横浜市で車に布団と身近な生活用品を積み込んで横浜に向かった。しばらく居候をさせてもらい、探偵で収入を得られるようになれば、自分でアパートを借りる予定だった。
ところが、友人の下宿に到着してみると、風呂なし、トイレ共同の四畳半の部屋だった。駐車場もなく、仕方なく路上駐車していたら、翌朝には駐車違反のステッカーが貼られていた。友人は村上のため息を壁のうすいのが拾ってくれたのである。

は後にも引けなくなった。家族や地元の友人に、「横浜に行って探偵になる」といって出てきたのだ。すぐに引き返すほど〝かっこ悪い〟ことはない。
まずは職を見つけなければいけない。片っ端から探偵社に電話するつもりだったが、幸先よく、最初に見かけたところから「面接に来てほしい」といわれる。浮かれた気持ちで面接に行くと、「探偵学校に入らないといけない」といわれた。探偵になるための学校があるんだと合点したが、その費用が三〇万円もかかる。しかも、下宿ではなくアパートを借りなければならないともいわれ、その敷金が三〇万円もかかる。しかも、大金は払えないし、アパートを借りる金もない。その場で、生活費もままならないのに、そんな大金をなぜ探してこなかった。
電話帳に載っている探偵社に順番に電話をかけたが、福島のときと同じでどこも雇ってくれない。都会でも状況は変わらないようだった。
そんな中、唯一面接してくれたのが、横浜の黄金町にある探偵社だった。
「社長が面接するっていうんで、行ったら即採用。明日から来てくれって。その社長がまた渋くて、まるで共産党みたいだったんだよ」
一九九四年に公開が始まった映画『私立探偵 濱マイク』シリーズ。永瀬正敏演じる主人公の濱マイクは、キザじゃないが、友だち思いで危険を顧みないキャラクターである。キレたら手をつけられなかった狂犬マイクの師匠にあたるのが、役名もそのままの宍戸錠である。元刑事ではあるが、見た目ややくざそのもの。友だちを助けるためにマフィアの抗争に首を突っ込もうとする濱マイクを力づくで説得したりもする。強面ではあるが、愛情溢れるオヤジだ。
映画の舞台になったのが、まさに横浜の黄金町だった。映画で登場する洋食屋や喫茶店も実際に先輩探偵たちの行きつけで、濱マイクの探偵社があった横浜日劇も当時は実在していた。この探偵社は、映画のモデルになったともいわれているそうだ。それだけ有名な探偵社だった。
映画から飛び出したような探偵の世界に、村上は二〇歳で飛び込んだ。
かつての黄金町は赤線地帯だった。売春行為を目的とする特殊飲食店が集っていた地域を赤線、赤線の周辺で営業許可なしで売春行為を行っていた地域を青線と呼んでいた。
京浜急行・黄金町駅の改札を出て、高架に沿って日の出町駅方面に歩いていくと、「ちょんの間」と呼ばれていた。面白いしかない、小さな店が所狭しと立ち並ぶ。肌を露出した外国人女性が二階のカウンターに座っていたり、入口に立って、女性を物色している男性客を誘惑する。交渉が成立したら、一階のカーテンを閉めて二階に上がり、一五分ほどの部屋で行為に及ぶ。相場は二〇〜三〇分で一万円程度だった。
二〇〇〇年代前半には、約二五〇店舗ほどちょんの間があったといわれ、赤やピンクといった怪しげな光を放っていた。ちょんの間の間以外に、路上には「立ちんぼ」と呼ばれる外国人女性も大勢いた。路地や大岡川沿いの広場、ホテルの前で、男性に「お兄さん、遊び?」と声をかけ、ラブホテルに誘導するのだ。
二〇〇五年に行われた大規模な一斉摘発によって、ちょんの間も立ちんぼも街から姿を消した。

演マイクの事務所だ。横浜日劇も、同じく二〇〇五年に閉館した。賑やかだった街は、今では祭りの後のような落ち着きのなさが静けさに包まれている。
村上が探偵になったのは一九九〇年。まだ京浜急行の高架下にちょんの間があった時代だ。アジアの姉妹都市の故郷の味を提供する飲食店も多く、独特の香辛料の匂いが路地まで立ち込める猥雑な街が舞台に探偵たちの個人商店が始まった。
最初は簡単な身辺調査だった。彼が大げさに行っている間に探偵の修行をして、授業が終わったら、一緒に過ごそうと思っていた。右上の石に三年といわれるように、三年ほど探偵の修行をして、彼女と一緒に福島に戻って自分の探偵事務所を備える夢も描いていた。だが村上は、まだ探偵の現実を知らなかった。
「ちょっと張り込んで、相手が出てきたら追いかけるイメージでいたんだけど、入ってみたら、張り込みは『いかでツかった、彼女とは会えないしね』

村上の最初の仕事は、大手企業の背任事件だった。仕事についても何も教わらないうちに、多くの社員が出入りする本社前で張り込みを開始。一枚の真実を見られて、「目に焼き付けて覚えろ」とだけ指示された。その写真の人物が情報を流させた張本人だと見なされていたのだ。
当時の写真は、デジタルではなく印画紙に焼き付けられたもの(紙焼き写真)だったため、紛失したら一大事である。今の時代のようにメールで画像を送り直せば済む話ではなく、依頼者に頭を下げてお詫びしてもらい、もう一度写真を焼かなければいけない。一枚しかない写真は貴重だったため、一度しか見せてもらえず、探偵たちは目に焼き付けるように覚えていたのだった。
村上は車の中からは本当に張り込みする数百人の社員を見ていた。しかし、まったくわからない。似ている気もするし、違う気もする。そのうち、みんな同じ顔に見えてくる。
ところが、すごい先輩がいた。「あいつだ」と一瞬でわかるのだ。探偵の世界にはこういう特殊能力を出せる人間がいるんだと感心したという。
情報が流れ出たとされる社員を尾行して、誰と接触しているかを調べるのだが、新人の村上は先輩の後をついていくだけだった。大きな案件は、いくつか探偵社の人間が関わっているものだ。依頼を受けただけの探偵社が他の探偵社に協力を要請する。末端の村上にとって、事件の全貌など知る由もない。「見て覚えろ」という社風で、先輩は何も教えてくれなかった。
朝の五時に宿に売出で、夜の一時や二時に帰ってくる。平均睡眠は三時間くらいしかなかった。張り込みをしている間に先輩と交代で仮眠を取っていた。そんな生活が、ほとんど休みなく二カ月も続いた。
その後村上は、プライベートの小さい探偵業務に忙殺された。関西のお笑い芸能プロダクションの会長を尾行したり、大手パチンコメーカーの社長を追いかけたり、某テレビ局の視聴者改ざん事件の調査など、大きな事件も請け負うこともあった。アパートを探す暇などなく、友人の下宿先から動かずにいた。
村上が動いた探偵社は、商売下手だった。六戸錠似の社長は、金のない人でも、人情依頼を引き受けてしまう。持ち金がないというので、一五万円で一カ月の徹底的に調査したこともある。生まれたばかりの乳飲み子を抱えた女性がやってきて、「夫が浮気していて……」と涙を流しながら訴えることもあった。彼女は生活費を入れてもらえないので「金を持っていない」。それでも社長は「金は後でいいから。村上、行ってこい」と、依頼を引き受ける。最初は怖いだけの社長だったが、そういう場を見るうちに、尊敬の念を抱くようになった。
最初のうちは調査をしているふりをする村上も、業務に慣れるにつれ、張り込みの仕方、尾行の技術などを学んでいく。先輩たちにも可愛がられ、教えを請いながら、調査内容について質問するようになってきた。
何のために調査をするのか、なぜその人物を追っているのか、どういう輩がバックにいるのか……。先輩たちも詳しく知らされていないケースもあったが、想像を交えながら話をするのが楽しかった。何時間もの張り込みは、ただ苦痛な時間ではなく、先輩から情報を得られる貴重な時間であり、学びの時間でもあった。夢見ていた映画のような愉快さはなかったが、現実の探偵業の面白さが少しずつわかり始めてきた。だからこそ、昼夜を問わず仕事に邁進できたのだろう。
しかし、村上は三カ月で探偵社を辞めた。
彼が探偵になった一九九〇年代前半は、携帯電話も普及しておらず、事業用に使われていたポケベルが、個人にも浸透し始めた時代である。ポケベルとは、無線で相手を呼び出すための通信機器で、会社から外出している社員に電話番号を送り、その社員が公衆電話から会社に折り返す。企業のものは、「49314」は「愛してる」、「33414」は「寂しいよ」、「500731」は「ごめん」の流行った。「999」は「サンキュー」などといった語呂合わせが若者の間でブームになっていた。
ポケベルでメッセージを送るために公衆電話に行列ができ、まるでゲーム機のように番号を高速連打する光景も見られるようになった。テレフォンカードは必需品となり、使用済みテレフォンカードを改造した偽造テレフォンカードが大量に出回って社会問題にもなった。
プライベートがなかった村上は、彼女と会う時間が取れず、ポケベルで連絡し合うしかなかった。頻繁にポケベルを鳴らすわけにもいかず、仕事に行く前と終わった後に。しかし、彼女と連絡ができずにいた。半ば彼女を追いかけて上京してきた村上であったが、探偵のめり込むように、仕事を優先するようになっていた。二〇代というのは、そういう時期である。特に昔の男性は、モーレツな仕事の時代に位置付け、プライベートを犠牲にして、徹夜で仕事をしたことを誇るような思考の人間が多かった。それを〝男の美学〟だと考え、女性たちも理解してくれるものと思い込んでいた。
だが、探偵の仕事を始めてわずか三カ月で、村上と彼女の間には距離が生まれる。好きな職業に就けて繋がっていた村上は、彼女が殺されたことを気付かなかった。ポケベルを鳴らしても返ってこなくなった。近くにいるはずなのに、会うことともできなければ電話で話すこともできない。彼女にとっては遠距離恋愛よりもつらい状況だったかもしれない。若い二人の関係が自然消滅したのも、言葉どおり自然の成り行きだった。
また、当時の村上は依頼者と感情移入しすぎるところがあった。浮気調査も多く、男女のドロドロした欲望に振り回されるのも、まだ二〇歳の村上には精神的な苦痛だった。
「浮気調査って、えげつないから俺は嫌なんだけど、どうしても依頼者の肩を持ってしまうんだよね」
依頼者の気持ちに寄り添うことは大事だが、距離を置いて接していないと心身が疲弊してしまう。
村上は、体力的にも精神的にも弱りきっていた。
村上は探偵の仕事から離れたが、故郷に逃げ帰るわけにもいかない。横浜の友人の下宿で世話になりながら、さまざまなアルバイトをしたが、ぽっかりと空いた心の穴を埋めてくれるものは何もなかった。
探偵社を辞めて数カ月ほど経った頃、探偵の先輩から「人手が足りないから手伝ってほしい」という連絡をもらう。尊敬する先輩からの頼みでもあり、退屈な日々に嫌気が差していたこともあって、調査を手伝うことにした。正社員として働いているときは薄給だったが、外注扱いだと日給が一万円というのも乗り気になった理由だった。
久しぶりの調査はあいかわらず退屈で、長時間の張り込みはつらかった。でも、心の奥深くで沸々と湧き上がる何かを感じずにはいられなかった。その思いは小さな種火となって、村上の心で静かに燃え始めたのである。

何回か手伝っているうちに、探偵という仕事の本質を理解するようになってきた。外注という立場もあり、冷静に依頼者や対象者を見られるようにもなった。改めて、弱った人や困った人を助ける仕事のやりがいを見出すようになったのである。
探偵は嫌な面もたくさんある。肉体的には重労働であり、精神的な苦痛も伴う。人の情欲をつけ回すのは、村上の性に合わない。それでも、探偵という仕事が潜在的に持っている魅力に引き込まれていった。
「一〇〇%好きになれる仕事など、存在しない。好きなことを仕事にしたほうがいいとよく耳にするが、二〇%でもやりがいがあればいいほうである。また、つらかったり苦しんだりしたからこそ、味わえる達成感もある。それは仕事でも恋愛でも同じかもしれない」
普通に生活していたら知りようもない人間の裏側も見た。企業調査で大きな事件に関わることも多く、社会の闇を覗いているという高揚感もあった。村上の傷を癒やすものは、探偵しかなかった。濃密な時間を慌ただしく流れていくうちに、つらい経験は淡い思い出に姿を変えていた。

二五歳のとき、村上は元の探偵社に復帰した。外注として業務を行うのではなく、正社員として所属することにしたのである。辞めてから九年が経過していた。
宍戸錠似の社長は、村上が辞めた後、業界の会合にも参加したことがある。会合といっても、新橋の雀荘を貸し切っての麻雀大会である。そこには探偵業界の重鎮らしき者たちが集っていた。
一九九〇年代半ばは、まだバブルの残り香が漂っていた時代である。金にゆとりがあれば、不浄な金が生まれる。その金は不正や不貞に繋がるため、調査依頼も多くなる。すでにバブルが弾けていたとはいえ、まだ探偵業界は潤っていた。
会合に参加していた幹部たちは、ブランドの服や靴に身を包み、ヴィトンやエルメスといった高級ブランドのセカンドバッグを脇に抱えている。村上の目には、言葉は悪いが〝品のない成金〟のように映った。大手探偵社の経営者とも話したが、「こういう人でトップになれるんだ」と、首をかしげてしまうような人物もいた。村上には、金を握っているだけで、魅力的な人物がいない世界に見えた。
「もちろん別格のオーラを放っている人もいたけど、遊び人みたいな人ばっかだったんだよね。うちの社長は、ヤクザみたいな見た目だからオーラはすごかった。人望もあって人脈も広かったけど、儲かってはいなかった。もっちうまくやれば、儲かるのにって思いもあったよね」
村上は、頑張れば自分の事務所を持てるという確信と、探偵として生きていく覚悟を固めた。
宍戸錠似の社長は、金に対して無頓着で、映画に出てくる探偵を地で行くような貧乏探偵だった。給与は手渡しなのだが、その額も適当で、睡眠時間を削りに創りためたのに月給が一、二万円ほどしかかなかったときもある。時給に換算すると、二〇〇円くらいになる。義理と人情に厚い社長ではあったが、実際に身を粉にして働くのは、村上ら現場の探偵だ。
経営が苦しい探偵社は他にも多くあり、犯罪に手を染めるところも出てきた。当時の村上には兄弟のように親しくしていた探偵仲間がいたのだが、彼が探偵社は盗聴が得意なことで有名だった。
「うちはやっていなかったけど、盗聴なんて当時はどこもやってたんじゃないかな」
村上は、その探偵仲間から聞いたエピソードを教えてくれた。
彼は有名スポーツ選手の家に盗聴器を仕掛けたこともあれば、何もの大物政治家を盗聴していたこともあったという。彼の探偵社の盗聴技術は評判を呼び、企業から直接依頼されることもあったそうだ。
戸建ての家では、電柱によじ登って電話線に盗聴器を仕掛ける。マンションの場合だと、配電盤と呼ばれるボックスの中に盗聴器を取り付ける。ただ、配電盤の中にはマンションの部屋数だけ配線があり、どれが対象者のものかわからない。そのため、もう一人の探偵が盗聴する相手の家に電話をかけ、その間に目的の配線を探し当てるのだ。電話中でないと検知できないため、通話を延ばさなければいけない。仕掛ける相手が政治家だとすると、「先生はご在宅ですか?」といって電話をかけ、「この前の講演会、素晴らしかったです」とか「個人献金はどうすればできますか?」とか、

適なことをいって時間稼ぎをする。
携帯電話が普及していなかった時代は、公衆電話を使うわけだが、探偵同士の姿が見えないため、かける時間を決めておき、五分以上は通話が長引かないというルールで行っていたそうだ。それ以上だと、怪しまれるからだろう。五分で無理だったら撤収する。危険を冒さず、無茶をしないことが重要だった。押すべきところと引くべきところを熟知しているからこそ、プロなのである。
腕のいい探偵は、何十本もある配線の中から三本くらいに絞ることができる。何階の何号室かはわかっているので、経験則で当たりをつけておくのだ。ビニールの皮膜を剥がして検知するので、すべての配線を調べる時間はない。狙いどおりの配線が判明したら、小さな箱を取り付ける。そこまでの作業を五分で終わらせるのである。
小さな箱は一〇メートルくらいまで音声を飛ばすことができる無線機。カセットテープを仕込んだ受信機を物置などに隠し、作業は終了。カセットテープは、電話がかかってきたときだけ作動する。それでも一日に一回はテープと電池を交換する必要がある。
盗聴器を他人の電話回線に取り付ける行為は、電気通信事業法に違反する犯罪ではあるが、盗聴は情報を得るための有効な方法であることも確かであった。
二〇〇三年、大手消費者金融会社・武富士の武井保雄会長(当時)が逮捕された。容疑は、電気通信事業法違反、いわゆる盗聴である。飛ぶ鳥を落とす勢いだった金融会社の、しかも上場を果たした企業の闇を暴かれた一大事件だった。

発端は、二〇〇〇年に秋山直樹との株価が暴落したことだった。ある雑誌の記事が原因と判断した武井は、執筆者だったジャーナリストの盗聴を指示、付き合いのあった探偵社に依頼して、ジャーナリスト宅に盗聴器を仕掛けた。その盗聴器を仕掛けたのが、村上が親しかった探偵だった。
やがて、盗聴に関わった探偵は課長(当時)の保証での自白によって事件が明るみに出る。武井の逮捕に連動して、実際に盗聴した探偵も逮捕、村上の友人も拘置所に留置された。
盗聴というものが実在しないため、警察は電気通信事業法違反などで、関連犯罪を摘発する。盗聴に関する犯罪は、通常、生活安全課が担当する。ところが、友人を逮捕したのは警視庁捜査第一課だった。
捜査第一課は殺人や強盗、誘拐などの強行犯を担当し、捜査第三課は空き巣や万引きなどの犯罪、捜査第四課は暴力団などの取り締まりを行う。そして、捜査第二課は知能犯事件を担当する部署である。政治家や官僚の汚職、業務上横領、詐欺などの企業犯罪を扱っている。ちなみに汚職は、サンケイ。と、隠語で呼ばれて、業務上横領(ギョウヨコ)や詐欺(ゴヘン)、背任(セナカ)よりも格が上だといわれている。汚職の役人を捕まえるのが捜査第二課の使命なのである。
武富士の事件も政治家が絡んでいる可能性があったようだ。武井の逮捕を手打ちになったのは、大物政治家からの圧力があったのかもしれない。さらに警察内部の汚職も関係していたという噂も流れた。「サンズイ」を挙げると、捜査第二課が電気通信事業法違反で武井と関わった株価の事件だけで折れてそれだけで、何かしらの強い力が働いたと考えることもできる。

「……つまり電気通信事業法違反の時効って三年なんだよ。彼が逮捕したのが二〇〇〇年で、捕まったのが二〇〇三年。まぁ、なんか裏があったんだろうね」
友人は、電気通信事業法違反で懲役二年、執行猶予三年の有罪判決を受けた。
二〇〇二年に、村上は独立していた。会社を辞めたのは、人情だけで仕事を請け負ってしまう社長の会計帳簿も持てなくなってきたからだ。探偵の給料は歩く、理不尽に思えて耐えられなくなった。独立したといっても、古巣の探偵社(宍戸錠似の社長の会社)の仕事を請けていたので、仕事内容は変わらなかった。ただ、外面がいいのか、社長は外注先の支払いはよかったのである。
二〇〇五年の友人の逮捕を機に、村上は探偵を辞めることも考えた。弱き人を助けたいとの思いから選んだ探偵だったが、あまりの侘しさに業務をこなすだけになっていた。意に沿わない依頼の報酬も受け取らないと生きていけない。仕事を回してもらえた探偵社からの依頼は、どんな内容であっても断ることができない。そんな中、兄弟のように親しくしていた友人が逮捕されたのである。
あの気のいい人間でも逮捕されてしまう世界。村上は、探偵という仕事自体に懐疑的になっていく。
村上は試しに他の仕事を探してみたが、厳しい現実に待っていた。高卒卒業後、会社勤めをしたこともあったが、たった数カ月の職歴だったため、一般的な社会人経験に等しい。履歴書を

送って面接に進んでも、社会人経験がほぼない三三歳を雇ってくれるところはない。結局、村上が探偵しか選択肢はなかった。
村上が探偵の仕事に対するジレンマを悩んでいた頃、宍戸錠似の社長は探偵社を引退して、事務所を畳んでいた。すでに高齢だったこともあるが、社長のやり方についていけずに辞めていく探偵が続出したのも理由だ。
決意を新たにやり直そうと思っていた村上は、仕事を取るところからスタートしなければならなかった。探偵の仕事は、依頼者から直接依頼される自社案件と、他の探偵社からの請負案件がある。自社案件を増やすためは、依頼者を呼び込むために多額の広告費をかけなければいけない。そうなると、個人事務所は、広告費の必要ない請負案件が主力になってくる。
独立していたとはいえ、宍戸錠似の社長からの請負案件ばかりだったので、他社へのツテはないに等しかった。どこの探偵社も横の繋がりを活かし、互いに協力して調査を遂行している。村上も横の人脈を広げるため、同業者の飲み会や麻雀大会に積極的に参加した。一度現場を手伝って信用してもらえれば、また仕事を振ってもらえる。一〇年以上の経験があり、大きな案件にも携わってきたことで、村上は自らの探偵スキルに自信を持っていた。
当時は、探偵学校が流行っていて、多くの探偵社がその授業料を収入源にしていた。探偵になりたい者を集めて、座学と実習で教える。卒業すると探偵になれるわけだが、受け入れる探偵社は限られてくる。仕立て屋で探偵社をフランチャイズ化して数増やそうのだが、実務経験のない素人探偵

ばかり。雨後の筍のように、次から次へと探偵が増えては消えていく。
難しい現場を経験してきた村上は、他の探偵とレベルが違う。張り込み場所は、現場ごとに最適な場所が異なるのだが、探偵の経験値によってその判断に違いがある。
「一〇年くらいやっていると、張り込む場所って、誰でもここで決まるんだよね。でも、現場は若い奴ばっかりなんで、なんでそんなとこで張り込むの?って思うことが多かった」
村上の探偵スキルは、他の探偵から一目置かれるようになる。簡単に見下したら、出口が何か所もあって、どこに何人配置するという判断も瞬時にできる。調査の大まかな流れを予測できるので、自然と現場のリーダーを任されるようになっていった。
中堅の探偵であっても、それぞれ得意不得手があり、尾行一つ取っても、車を得意とする者もいれば、バイク、徒歩での尾行を得意とする者もいる。村上は、どれもが得意だった。
また、張り込み調査では、対象者を確認することである。大きなビルから出入りする者の中から、調査対象者を見つけ出す。そう、村上最初の仕事ですごいと感じた能力である。場数を踏むにつれ、村上も同様の能力が身についていたのだ。村上が人を見分けるときに注目するのは「耳」だという。
「顔のパーツって年齢を重ねると変わるけど、耳だけは変わらないんだよ。目とか口って似た人いっぱいいるけど、耳の形や位置は百人いたら百人とも違う。ただ、女性は難しいね」
女性は化粧で変わるし、耳も髪に隠れることが多い」。村上は「女はケツで見覚えるね」と笑った。

下品に聞こえるかもしれないが、自分のフェチで判断すれば、見誤ることがないらしい。興味のない人の顔は同じように見えるし、アイドルグループであっても、好きな人にとってはそれぞれが個性的に見えるのである。
若い探偵ばかりの現場で、三〇代半ばの村上はベテランの域に達していた。どの現場でも重宝がられたのである。人は傷んだり、行き詰まったりすると、原点に立ち返るものだが、それは探偵という仕事を教えてくれた宍戸錠似の社長の姿でもあった。探偵として拾ってくれた社長、商売下手で不器用な社長。人情と義理を大切にしたからこそ、儲けの少ない仕事を引き受けざるを得なかったのかもしれない。弱っている人を助ける一方で、事務所の経営は行き詰まり、身内であるはずの社員に迷惑をかけていた。社長はそのジレンマに苦しんでいたのだろう。社長が去っていく姿を見ながら、事務所経営の決意を新たにした社長の寂しそうな背中が忘れられない。
村上が探偵として成長できたのは、間違いなく社長と、社長を慕って集まった先輩たちの下であった。村上の探偵像がはっきりと描かれた。それは社長の姿だった。社長のやり方に異を唱えた村上であったが、突き詰めてみると、結局そこに戻ってきた。問題は、理想と現実が大きくかけ離れてしまったことにある。ギャップが大きいほど、ストレスも歪みも大きくなる。不誠実にもなるし、悩みの種が増えることにもなる。
理想と現実を近づけるためにはどうすればいいか。村上はまず、適正な価格で仕事を請け負うことを決めた。金のために動かないといい切れればいいが、それが難しいことは重々承知していた。適正な価格を謳って、まっとうな仕事をする。その信念を貫こうと決心した。
「商売上手なところは、うちよりも二倍から五倍も高い料金を取っているし、ボッタクリみたいなところもある。うちは料金表を出して適正にやっている。だけど、料金を出していて完璧をつく探偵社はいっぱいあるんだよ。対象者を見逃したのに、平気で〝出てきませんでした〟って嘘の報告したり、たいした調査もせずにでたらめな報告書を書いたり……。五人体制の調査だといって、どう見ても一人でやっているのもある。報告書がすべて本物かってことだよね」
調査内容の割には料金は変わる。探偵の数が増えれば、調査料も高額になってくる。村上の探偵社はホームページで料金を明示し、明朗会計を信条にしている。
浮気調査の場合、基本料金は四時間六万五〇〇〇円。一台の車両代、下見調査料、調査報告書作成費も含まれている。延長料金は探偵一人で一時間六〇〇〇円。初回限定プランでは、探偵二人で七時間六万五〇〇〇円となる。サービスプランもあり、探偵二人で八時間調査を行う場合は、九万八〇〇〇円となっている。
「まぁ、儲からないね。真面目に誠実にやっているけど、いつまでも貧乏探偵社のままだよ。偉そうなことをいっていたけど、結局社長と何も変わらないね」
村上は笑っていたが、少し誇らしげでもあった。金よりも大事なものがある。金持ちにはなれないけど、生活するぐらいは稼げる。弱者から金を吸い上げるのではなく、弱き者を救うような仕事をしたい。そういう村上の信念は、虐待調査という形で現れる。

二〇一〇年の児童相談所における児童虐待相談対応件数は、五万六三八四件(厚生労働省の発表)。年間五万件を超え、両親による残酷な虐待事件も報道され、子どもの虐待が注目され始めた(厚生労働省による二〇一九年の速報値は一九万三七八〇件)。
テレビで児童虐待の報道を見ていた村上は、「子どもの虐待を監視するのに、探偵の技術が役立つのではないか」と考えた。役所の人間、相談を受けて家庭訪問しても、文字どおり門前払いに終わることも多い。探偵であれば、もう少し踏み込んだ調査ができる。子どもを救うため、グレーな方法ではあるけど監視カメラの証拠を取ることもできる。
「我々なんて、探しているんだから、権利利益が出てくるやろ」
ものの命がかかっているのだから、俺の利益が増え、村上の探偵社がそのために走ったそうだ。それで今では、虐待調査を謳っている探偵社も増えたが、村上の探偵社がその走りだったそうだ。それほど依頼は多くなかったが、強く記憶に残っている案件もあった。
依頼者は三〇代前半の母親。娘は先天性の病気があり、寝たきり状態だった。自分で呼吸することができず、喉を切開して気管にチューブを繋ぎ、人工的に酸素を肺に送っていた。咳が詰まると呼吸ができずに死んでしまうため、二四時間、介護が必要だった。
母親は「娘が性的虐待を受けているのではないか」と疑い、村上の事務所に依頼してきたのだ。
「この子は動けないのですが、ああ……、股間をいじられているようなんです……。証拠を取って、その人物を断罪したいと考えています」
子どもはまだ五歳だったが、まるで人形のようにきれいな顔をしていた。

「本当に、かわいい顔をしていて、びっくりするくらい。最初に聞いたときは五歳で?って不審に思ったけど、あんなきれいな子だったら、わからなくもないって思ったくらいだよ」
依頼者の美人だった。難病を抱える母親として講演活動を行っていたためか、疲れている様子も目の当たりにできたが、透明感のある顔は美しさが際立っていた。
子どもの介護は、依頼者(母親)と、依頼者の母親(祖母)、そしてヘルパー(女性)が交代で行っている。依頼者がいない間に性的虐待が行われているとすれば、犯人は父親か祖母、ヘルパーの誰かである。依頼者の見立てでは、「夫が虐待している」ということだった。男性は父親だけというのが理由である。真実を確認し、証拠を取るために、村上は自宅に隠しカメラを設置して、二十四時間、監視することにした。
講演活動はしているが、それはボランティアに近いもので、依頼者には金銭的な余裕がなかった。訪問介護のヘルパーを頼むだけでも、それなりの費用がかかる。村上は「これは人助けだ」と思い、格安で仕事を引き受けた。依頼者の自宅は茨城県。横浜から茨城まで行くだけでも、高速代とガソリン代で二万円ほどかかる。カメラを設置しに行くときと、十日後にカメラを回収するときの二往復。それだけで、調査費の半分以上が消えた。
通常は、カメラの設置場所を確認するため下見をする。電源やカメラを隠すのに最適な場所を確保してから、機材を準備するのだ。今回は遠距離だったため、下見をせずに現場に入った。あらゆる状況に対応できるように、機材の種類もいくつか用意していた。
いざ依頼者の部屋に入ってみる。カメラを隠すのにベストな場所がすぐには見当たらなかった。
カメラ本体はCCDカメラなので小さい。しかし、記録媒体である、ハードディスクが大きいのだ。今では、小さくて大容量のハードディスクがあるが、その時代はビデオデッキほどの大きさだったのである。
唯一設置できそうなタンスの上にカメラを仕掛けたが、依頼者は「こんなの夫に見つかる」といい張る。「設置しているところを見ているから、バレると思うけど、知らない人からしたらバレるはずがない」と村上は確信していた。「父親は自分の家に隠しカメラが仕込まれている」と思ってもしない。人を意識していないものは、目の前にあっても気付かないものである。依頼者を説得して、タンスの上にカメラを設置して横浜に戻った。
十日後、カメラとデータを回収した。依頼者とは、証拠が写っているところだけを切り取って渡す約束をしていた。十日分のデータとなると、二四時間×十日なので二四〇時間ものデータになってしまう。村上が持っていた機材では再生しながらダビングができなかった。すべてのデータをダビングするには、調査期間と同じだけの日数、つまり十日間もかかるのだ。そのための証拠部分だけを渡すという約束なのである。
事務所に戻った村上は、早速送られてきた映像をチェックした。二四時間すべてを確認した。ところが、依頼者が疑うような性的虐待はなかった。疑われていた父親は、とてもいい人のように見えた。会社から帰宅すると、食事の用意もしていたし、子どもの介護も積極的だった。昼間は依頼者の母親やヘルパーが来て、丁寧に子どもの世話をしていた。一番何もし ていなかったのは、依頼者だった。
「何も写っていませんでした。性的虐訪の形跡は一切ありませんでした」と電話で報告をすると、二つ返事で、「わかりました」と依頼者からいわれた。
「え? 冗談じゃないって感じでしょ。事前に約束しましたよね、って。まぁ、納得できなかったんだろうね。その気持ちもわからなくないから、全部焼くことにしたよ」
ハードディスクからDVDに三倍速でダビングできる機材を新たに購入。調査費用以上の出費になった。三倍速でも四日かかった。途中 でDVDの交換もあるので、放置しておくこともできない。
調査報告書とDVDを渡してから数日後、様子が気になっていた村上は依頼者に電話をかけた。
それまでの依頼者は、若い女性のイメージだったが、電話の向こうから聞こえてきた声は弱々しかった。おそらく自分でも映像を確認したのだろう。画面に写っていた自分の姿と自分の認識の違いに衝撃を受けて錯乱している可能性がある。
彼女の様子がおかしかったので、無理をいって依頼者の母親と電話を替わってもらった。依頼者との会話、母親と一緒にDVDを見たことが窺えたからだ。どの段階から知っていたかは不明だが、母親は以前の依頼のことを知っていたのである。
依頼者の母親と電話で聞いてみると、依頼者は精神的に参っている状態であることがわかった。先天性の難病を抱えた我が子を世話してきた母親。子どもが幼い頃は二四時間付きっきりだったのに

違い。責任感の強い女性であるからこそ、自分を犠牲にして尽くす。病気の娘に対して献身的な気持ちも強い。今は家族の協力を得られているが、なかったのかもしれないし、自分一人ですべてを抱え込んでいたのかもしれない。
詳しいことは詮索できないが、これまでの苦労が想像を絶するものだったのだろう。肉体的なつらさよりも精神的なつらさのほうがキツいものである。被害妄想にかられることを理解しつつも、やるせない気持ちがあるのも確かだった。
「完全に赤字だし、向こうからは感謝の言葉一つないし……。なんでこんな仕事、引き受けちゃったんだろう、みたいには思ったよね」
現実はテレビドラマのようにはいかないものである。どんなに人のために働いても、報われないことがある。人助けと割り切っていても、誰からも感謝されずに、ただ時間と金が失われ、疲労だけが残ることもある。自分の中で完結できればいいのだが、人間とは人から承認されないと気が済まないややこしい生き物でもあるのだ。

虐待調査ではないが、子どもの親権が絡んだ案件もあった。
夫婦が離婚をする際、まずは二人で財産分与の割合や慰謝料など、子どもがいる場合は親権や養育費、面会の回数などの話し合いを行う。合意に至らない場合は、家庭裁判所で離婚調停が行われる。男女二人の調停委員が、双方の意見を個別に聞き、妥協点を探る。それでも合意ができない場合は、家庭裁判所で離婚訴訟を申し立てる。つまり、裁判で互いの主張をぶつけ、客観的な判断をしてもらうのである。
離婚調停を優位に進めるためにも、裁判で争うためにも、証拠が欠かせない。相手の浮気が原因で慰謝料がほしいのであれば、相手が浮気している証拠が必要だ。子どもの親権が譲れないとき、相手に親としての資質が欠ける証拠を取ることもあり、探偵の出番でもある。
男性の依頼者から、親権を取るための調査を依頼された。妻は中学校の教師だったが、新宿歌舞伎町のホストに入れ込み、不倫関係になった。家庭を顧みず、ホストのところに何日も外泊していた。それでも、子どもの親権を譲ろうとしない。妻本人は親権にこだわっていないが、妻の両親が孫を手放したくなかったのである。
村上は、依頼者の妻(対象者)の浮気調査を開始。ホストの家に入るところと出るところの写真も押さえた。浮気調査としての証拠は取れたことになる。
ところが、親権は取れなかった。裁判で負けてしまったのである。探偵である村上の仕事は不貞の証拠を押さえるまで。裁判は弁護士の仕事だ。村上が紹介した弁護士ではあったが、相手の弁護士のほうが一枚上手だった。
村上は、対象者がホストの家に入るところを撮影すると、夜中二時に現場を離れて事務所に戻った。仮眠を取った後、再び午前七時に現場に戻り、張り込みを開始。午前八時過ぎに対象者とホス

トの家から出てくるところを撮影した。
問題なったのは、深夜二時から午前七時の間の五時間。その間にホストの妹が滞在したため、夜は三人で過ごしただけで不貞ではいな、と相手の弁護士はいい張ったのである。そんなはずはないと確信していても、相手の言い分を否定するためには証拠が必要になる。妹は別のところにいたと二人で過ごしていたという証拠を出さなければいけない。それができない限り、こちらの負けなのである。
「まぁ、農業は関係ないだろうけど、とんでもない教師もいるんだって思ったよ。学校にいえば、どこにでもいるような職業だから。そこまでやればよかったのかなって思うこともあるけど、それやったらダメな職業だから。俺らは依頼されたことをやるだけだよ。あと、張り込みは夜通しやらないと証拠にならないんだって勉強にはなったね」
子どもの親権は日本ではほとんどのケースで母親が取る。二〇一七年の司法統計によると、調停で決定した未成年者に対する親権者は、九一%が母親、父親わずか九%でしかない(総件数二万六八六件のうち、母親が親権を取ったのは二万九六〇件、父親が親権を取れたのは、九五九件。父親に親権が取れる件数を合計すると総件数よりも多くなるのは、兄弟姉妹の親権者が別々になることがあるためである)。
特に子どもの世話は母親が中心的な役割を果たしている場合が多い。子ども福祉の観点考えると、たとえ離婚の原因が母親の不貞だとしても、父親が親権を取るのは難しい。離婚の要因と親権は別問題であり、最も重要視されるのは子どもの福祉なのである。母親が育児放棄をしていて、日常から父親が子どもの世話をしている場合などではないと、父親は子どもの親権を取れないのである。
今回の案件も、たとえ対象者の不貞が立証されたとしても、子どもの親権が取れない可能性は高かった。それでも何とか家で暮らさずにいる証拠があり、育児放棄と見なされれば、親権を取れるのではないか、と希望を抱いて調査したわけである。
欧米では、夫婦が離婚しても、原則として父親と母親、両方で親権を認める共同親権を採用している国が多い。
「日本の法律でやれているから、我々がやっていかないと、とは思っているんだけどね。そういえば、子どもを拉致した案件もあったよ」
子どもを拉致というのは穏やかではない。事の詳細を聞かせてもらった。
まだ探偵法が施行される前の案件だった。依頼者は三〇代後半の男性。妻の浮気が発覚し、問い詰められた妻は逆ギレして、七歳と五歳の娘を連れて実家に帰った。半年以上経っても、依頼者は子どもに会わせてもらえない。村上の探偵社に駆け込んできたときは、藁にもすがる思いだっただろう。
子どもがどういう生活を送っているのかという現状の調査、そして妻の浮気調査も行った。今も浮気が続いていたら、その証拠を後々、離婚調停でも役立つかもしれないと考えたのである。その上で子どもを連れ戻したいという。
共働きで仕事をしていた妻は、同僚の男性と不倫関係になった。ちなみに、不倫は職場で起こることが多いそうだ。いつから不倫が行われていたかはわからないが、自宅での妻の様子が少しずつ変化してきた。携帯電話を手放さず、夫婦の会話も減った。残業が増えて妻の帰宅が遅くなった。月に一度くらいの頻度だが、休日出勤も増えた。「おかしくないか?」と聞いても、「忙しい時期なのに、仕事だから仕方がない」など、温度のない言葉しか返ってこなかった。
依頼者は、悪いとは思いつつも妻が寝ている間に、携帯電話を見ることにした。罪悪感よりも猜疑心のほうが強くなってしまったのである。妻の携帯電話はロックがかかっておらず、簡単に見ることができた。
メールのやり取りを見て、疑惑は確信に変わった。自分とのやり取りでは使わないような絵文字が多用されており、いつ会うかの相談もしていた。依頼者は、嫉妬よりも自尊心を傷つけられた。正気に心の内を吐露する依頼者に、村上は好感を持った。依頼の話しか聞いていないので、本当のところはわからない。依頼者に対する不満が浮気に繋がった可能性も大いにある。少なくとも夫婦の間に何かしらの問題があったのだろう。このような状態に至るからには、双方に理由があるものである。
それでも、村上には依頼者が嘘をついているようには思えなかったし、家族のことを第一に考えていて、娘たちの将来を本気で心配しているようにしか見えなかった。
依頼者の両親にも会う機会があった。子どもを連れ戻すことができたなら、祖父母とも一緒に暮らす予定だったが、この祖父母であれば問題ないという人柄だった。長く話したわけではないが、依頼者の妻の悪口は一切いわず、孫の心配だけをしていた。彼の切実で真摯な訴えに「協力してあげたい」という思いが芽生えるのは、村上にとっては自然なことだった。
村上は、「うちは人情的なことが絡むと安くしちゃうんだよね」と笑っていた。いつの間にか、村上は師匠にあたる宍戸錠似の社長と同じようなことを口にするようになっていた。
妻の実家には、妻の両親、妻、そして二人の子どもが同居していた。朝、祖母が自転車を押しながら上の子を小学校に連れていく。自転車の後ろには、まだ眠そうな下の子が乗せられていた。母親は新しい仕事に就いていて、子どもの登校時間にはすでに出勤していた。仕事は工務店の事務職なのだが、聞き込み調査によると、祖父のコネで雇ってもらったようだ。
妻の実家は、依頼者である夫が子どもを連れ戻しに来るかもしれないと、警戒していた。そのため、祖母が下の子の送迎をしていた。上の子を学校に送ると、祖母は下の子を買い物などに連れ回す。村上は祖母を尾行して、その行動を細かく観察した。
「おばあちゃんが下の子を叩くんだよ。機嫌が悪いとか、いうことを聞かないとかで。そういうのを見ると、なんとかしなきゃって……」
一週間調査をした結果、実家に戻って転職したばかりの妻に男の影はないものの、子どもを連れ戻す隙はほとんどなかった。特に下の子はずっと祖母と一緒だった。幼稚園と保育所に通っていなかったため、文字どおり四六時中、祖母の監視下に置かれていた。
依頼者と相談した結果、上の子だけを連れ戻すことになった。どう作戦を練っても、二人同時に連れ戻すことは難しいと判断したのだ。学校の前で祖母と別れた後、校門をくぐるまでのわずかな時間しかチャンスはなかった。
今回のケースは、一歩間違えれば犯罪である。自分の子どもとはいえ、別居中の子を勝手に連れ去る行為は罰せられている。ただ、離婚が成立していないため、父親にも親権がある。親権者による連れ去り行為は、ケースによって裁判所の判決が揺らぐほど、グレーな問題でもある。
決行日。依頼者の家族全員が乗る車は学校の近くで待機。上の子が祖母から離れて校門をくぐろうとした瞬間、村上は子どもと祖母の間に車を滑らせて、左後ろのドアを開けた。依頼者である父親が娘の名前を呼んで、車の中に連れ込んだ。半年ぶりの親子対面だった。向こうの祖母はすぐに気付き、警察に通報している様子だった。村上は車を急発進させて、その場を後にした。何台ものパトカーが乗り捨てて大変になったそうだが、その頃には車は高速道路に入って、依頼者の自宅に向かっていた。
犯人が父親であることは、すぐに判明する。しかし、親権を持つ父親だったため、刑事事件にはならず、警察も動かなかった。実力行使による連れ去りではあったが黙認されたのだろう。探偵業法が施行される前だからこそ実行できた探偵業務だった。

その後、夫婦間で協議離婚が行われ、子どもを一人ずつ引き取ることで離婚が成立。通常は母親の親権が優位になるのだが、母親は主張してこなかった。孫を叩く祖母の姿を村上が撮影していたため、裁判で争ったら二人とも取られると思ったのかもしれない。村上の調査が役立ったのである。
「後日、依頼者の家でお寿司をご馳走になったんだけど、まぁ楽しそうに生活していたよ。お姉ちゃんから礼もいわれた。表面的かもしれないけど……。妹と離れ離れになっているしね、いつも叩かれていた妹はどうしているんだろう……? こういう案件に関わると、心が痛む。後味の悪い仕事だったな」
「金が人生だなんて寂しい生き方、もうやめようじゃないか。世の中にはねぇ、考え方一つでもっとましに、面白おかしく暮らせる方法、いくらでもあるんだよ」
松田優作主演のドラマ『探偵物語』の12話「誘拐」は、探偵の工藤が罠にはめられて、誘拐犯の片棒を担いでしまうストーリーだ。資産家の令嬢だと偽っていた誘拐犯の女性に、工藤は金だけが人生ではないことを熱く語りかける。
金がなくて心が貧しい人はいるだろうが、金があっても心の貧しい人はいる。金と心の豊かさは無関係とまではいえないが、簡単にイコールで結ばれるものでもない。

村上の探偵社は、他社よりも調査費が安いだけでなく、緊急性があったり、情が絡むと、ほぼボランティアになっても依頼を受けてしまう。「他のところにうまくいけばやればいいんだけどね」
とボヤきながらも、ビジネスライクな他社とは違う生き様にプライドを持っているようだった。
大きな事件に関わりながら探偵の腕を磨いた二〇代。探偵の仕事に疑問を抱いて自分を見つめ直した三〇代。社会に貢献できることを模索し続けた四〇代。それぞれの時代で理想と現実の狭間でやるせない気持ちを抱えながらも、懸命に前を向いて歩いてきたのだろう。五〇代になった村上は、金とは関係のないところで、充実した探偵生活を送っている。
松田優作に憧れて探偵になった男は、「人に優しい探偵でいようと思ってやっているだけだよ」と笑っていた。

二年ほど前、恋人だった幼馴染が亡くなったことを知らされた。
彼女とは、別れた後も年に一度か二度くらいではあったが、連絡を取り合っていた。「誕生日おめでとう」「あけましておめでとう」といった簡単なメールのやり取りだったが、わずかに繋がっているだけでも、嬉しい気持ちになった。やましいことなどないが、昔の恋人はいつまでも特別な存在である。男の身勝手な感傷かもしれないし、彼女が同じように特別に思っていたかどうかまではわからない。

福島県の初夏は、やませと呼ばれる冷たくて湿った風が太平洋から吹き抜ける。やませが止むと本格的な夏がやってくる。やませと夏の到来を何度も繰り返しているうちに、彼女とのやり取りは途絶えるようになった。互いに結婚をして、彼女は子育てに忙しくなったのだろう。気にはなっていたが、元気に暮らしているものと思っていた。四〇代でこの世を去るのは早すぎる。
「彼女がいなければ探偵にならなかっただろうし、もういないのかと思うと寂しいね」
去年の夏、得待県に帰省したとき、村上は彼女の墓参りに行った。八月だというのに、細かな霧雨が降っていた。