第二章 ピエロの脱皮
2025年11月19日
探偵はここにいる
森 秀治
探偵になって三カ月、男は調子に乗っていた。元々調子がよく、人を食ったようなところがある。
都内の大学病院で張り込んでいると、対象の女医が出てきた。三〇歳手前くらいのいかにも、清楚な雰囲気を漂わせている。男は調子に乗っていた。元々調子がよく、人を食ったようなところがある。
女医は「正面から撮れる」と勇み足で踏む。二メートルくらいの距離に近づいても「イケる、イケる」と根拠のない自信があった。
ところが、ビデオカメラのモーター越しに女医と目が合ってしまう。相手はカメラに気付いたかもしれないが、そのまま通り過ぎていった。探偵は「見られたかもしれない」という思いもあったが、持ち前の楽観的な性格で「大丈夫、大丈夫、イケる、イケる」と再び自分にいい聞かせた。
行動を共にしていた社長は、無線で対象に見られた可能性を伝えたが、警戒行動を取る様子がないことから尾行を続行。病院を出て夜の街に繰り出す女を追いかけた。
警戒行動は、対象者が尾行を警戒しているときに起こす行動のこと。「同じ場所をぐるぐる回ったり、同じ道を行ったり来たり、何度も後ろを振り返ったりする行動は、「見られているかも」と対象者が警戒している信号である。電車の場合だと、ドアが閉まる直前にホームに降りたり、停車した駅で一旦ホームに降りて別の扉から同じ電車に乗ったりするのも警戒行動である。
午後八時、女は銀座四丁目の交差点で信号待ちをしていた。一〇メートルほど後ろにいた探偵は、人が多くなってきたため、対象者との距離を詰めていく。人混みの中だと近づいても気付かれることは、まずない。
ところが、近づこうと思った瞬間、女は振り返り、こちらに向かって歩いてくる。探偵は慌ててスマホを取り出し、メールを打つフリをする。顔を上げず、対象者の足だけを見ていた。女の足は探偵のすぐ横を通り過ぎていった。「道を間違えたのか、急に用事ができたのか」とほんの少し安堵しながら振り向くと、真後ろで女は探偵を睨みつけていた。
女は探偵の腕をつかみ、「撮ってるよね?」と、怒りと芸術に満ちた形相で問い詰めてくる。
探偵は「はぁ〜?撮ってるって何?あんた、自意識過剰なの?」とごまかすが、女は恐ろしい眼つきのまま「じゃあ、警察に行きましょうよ」と、さらに詰寄ってくる。警察を呼んでください、誰か警察を呼んでください!」と女が叫び出したところで、探偵になって三カ月の男は、頭が真っ白になった。
社長から無線で指示が出る。「腕を振り払って、とにかく逃げてください」と。探偵は強引に腕を振り払い、何も考えずに走り出した。女はピンヒールを履いていたので、逃げ切れる自信はあった。だが、彼の頭は人でごった返しているため、全力疾走ができない。
女は「助けてください!あの男を捕まえてください!」と大声で叫んでいる。必死で人混みをかき分けて走る探偵に誰もが注視し、近くにいた男たちも次々と追いかけ始めた。二〇分ほど逃げても、男たちは追ってくる。探偵は逃げ足に自信があったが、追いかけてくる連中も足が速く、簡単に振り切ることができない。カメラや変装用の服など、探偵道具が入ったリュックが、ここにきて重荷を増したかのように思われた。
探偵の息が上がってきた。冷静に考えれば、駅に向かって電車に乗ったり、タクシーに乗り込めばよかったのだが、パニックに陥った頭では、走って逃げることしか考えられもしなかった。探偵は小さな路地に入り、小刻みに曲って逃げ切ろうとする。目に付いたダンボールやポリバケツを騒がしさも気にせず、追っ手の走りを妨害する。ところが運悪く、探偵は袋小路に入ってしまった。
逃げ道はない。観念しかない。探偵は喧嘩にも自信を持っていた。二〇代の頃は暴走族にも所属し、喧嘩に慣れていた。三人の男と向かい合った。どの男も屈強な体つきをしている。ここまで追いかけてきただけのことはある。それでも探偵は、最初に向かってきた男を一発で倒す。他の二人は一瞬怯み、どちらが先にいくか目配せし合っている。狭い路地なので二人同時に殴りかかることは難しいのだ。
探偵は先に動いて二人の男の腹を蹴り、その隙に袋小路から抜け出した。しかし、探偵の足はすでに限界を迎えていて、足が動いてくれない。心臓の鼓動は痛みを感じるほど激しく、呼吸困難に近い状態だった。
それでも小さな交差点を右に左に曲って逃げた。追っ手の気配が遠ざかった頃、前にヒョロリとしたスーツ姿の男の背中が見えた。邪魔だなと思いながら横を通り過ぎようとしたときだった。スーツ姿の男は探偵のほうを振り返り、胸ぐらをつかんで足を払った。探偵の身体はふわっと浮いて、地面に叩きつけられた。探偵は、追いついてきた連中に取り押さえられ、まるで稚魚のように担ぎ上げられた。男たちは、探偵の両手両足をしっかりと持って、「捕まえたぞ!捕まえたぞ!」と勝どきを上げている。
探偵の耳には、パトカーのサイレンが聞こえてきた。誰かが警察に通報したのだろう。二台のパトカーが来て、探偵は警察官に引き渡された。盗撮犯と間違えられたのか、その場で持ち物をすべて調べられた。
自分が探偵であることを警察官に伝えた。カバンの中から出てきたビデオカメラや発信機、無線機などの機材を見れば、警察官には探偵だと察しがつくはずだが、名刺すら持っていないために証明することができず、現行犯で逮捕。探偵は留置場に入れられた。社長の姿はなく、助けを求めた無線は無線のままだった。
これはドラマや映画のワンシーンではない。探偵に起きた実話である。
探偵の名は田淵介、一九八八年生まれの三三歳。取材時、二〇二一年である。話を聞かせてもらったのは、池袋にあるカラオケボックスだった。
平日の午前一一時の池袋駅北口は、まだ目覚めていない肉食動物のような雰囲気に包まれていた。のんびりとあくびをしているが、日が沈むと狩りの時間になる。慎重に獲物を見定めて、ゆっくりと近づき、射程距離に入ったところで一気に噛みつく。獲物は確実に仕留められ、骨の髄までしゃぶられる。
池袋駅北口の改札を出たあたりで編集者Kと待ち合わせし、地上に出る。みずほ通りを西に向かい、西一番中央通りを越える。取材場所として使う予定のカラオケ館で立ち止まる。中を見ると、待っている人はいないので、すんなり入ることができそうだ。
待ち合わせの時間まで、編集者Kと雑談して時間を潰す。私と編集者Kは、以前同じ出版社に勤めていた仲だ。部署は違ったが、回りほど年上の編集者Kには、何度も遊んでもらった。会社に勤めていた当時は、夜遅くまで飲み歩いていた。別々の出版社に勤め、私はフリーで仕事をするようになった。別々になっても年に二度は顔を合わせていたが、私が実家のある京都に戻ったことで、ここ数年は疎遠になっていた。
共通の知人の葬儀で久しぶりに会うと、典型的な中年男性の関係だったが、今回一緒に仕事をすることで、二人の間に新しい関係が生まれようとしていた。そう、編集者Kと一緒に仕事をするのは、同じ出版社時代を含めて、初めてのことだった。
互いの近況報告をしつつ、昔の同僚がどうしているのといった与太話をしているうちに、取材相手である田淵介が現れた。
五〇代の編集者K、四〇代の私、三〇代の田淵、世代の違う男三人で午前中からカラオケボックスに入る。店員は不思議に思っているのだろうが、疑念を顔に出さない。池袋という土地柄、複雑な事情を日常的にのだろう。ドリンクとポテトフライなど、簡単につまめるものを注文する。取材の意図や聞ききたいこと、今後の流れなどを説明していると、「お待たせしました!」といってドリンクを持った店員が入ってくる。誰も歌っていないし、誰もタッチパネルで曲を探してもいない。部屋のそんな異様な光景でも、店員は不審な顔色一つ見せず、ドリンクをテーブルの上に置いていく。
こちらのほうが居心地の悪さを感じたが、気にせずにミックスピザと唐揚げを追加で注文した。午前一一時三〇分を回っている。少し早いが昼食に向けて、腹の虫どもが騒ぎ出していた。
ウーロン茶を一口飲んでから、まずは田淵の経歴を聞いた。
田淵は、千葉県南部に位置する小さな町で生まれ育った。多くの土地を保有していた豪農の家系で、本家は地元の有力者だった。地元の議員が挨拶に訪れるほどで、小学校には田淵の名字が刻まれた記念樹が何本も植わっている。
田淵の祖父は本家の分家にあたるのだが、田淵の父親が家のあとを役だったこともあり、地元では発言力があった。職を転々としたが、父が亡くなった父親は、若い頃、放浪していた時期もあったそうだ。放浪について、父親はあまり話さなかったが、田淵曰く「たぶん、碌でもないことをしていたんだと思う」とのこと。日本中の方言を、そして少しだけ英語も話せるという。どういう放浪の旅をしてきたのか本人に聞きたいところだが、それは別の機会に期待したい。
田淵家は、信心深い家系でもあった。父親は毎日、朝食前に仏壇に線香をあげて拝んでいた。毎朝、起きたら神棚の水を替えて「おはようございます」といい、夜寝る前には「おやすみなさい」と神様に挨拶をしていた。父親の真似をしていた田淵少年も、信心深くなっていった。
「よく神様のいるのかって話になると、空の上には宇宙が広がっているわけで、どこにも神様はいないですよね。でも、俺の中にはいるから、俺の中にはいるよっていいますね」
田淵は子どもの頃から日本の歴史や文化に興味を持っていたが、中でも神話に心を惹かれた。
「古事記や日本書紀って、神様の話から人間の話にだんだんすり替わっていくんですよね。最終的には天照大神の子孫が天皇になるんですが、そういう話が好きだったんですよ」
田淵が小学生だった一九九〇年代半ばにかけては、オカルトブームの時期でもあった。ノストラダムスの大予言で地球が滅亡するとされていた一九九九年の七月が近づいてきたことも要因の一つだ。各テレビ局はノストラダムスの特集番組を組んだり、宇宙人やUMAと呼ばれる未確認生物を扱った番組を数多く放送していた。超常現象を扱ったアメリカドラマ『X-ファイル』も世界的な大ヒットを記録した。日本では、一九九五年に放映された映画『学校の怪談』がスマッシュヒットし、その後シリーズ化され、合計五作品が制作された。
近所に「おばけが出る」という噂のトンネルがあり、田淵は数人の友だちと一緒にいったことがある。最初は面白半分だったが、すぐに逃げ出す羽目になる。ひんやりとした不気味な空気が田淵を飲み込み、凍りつくような寒気が背筋を走り抜けていった。田淵は悲鳴を上げて逃げ出した。一緒にいた友だちも後を追って逃げたのだが、イヤな感覚に襲われたのは田淵だけだった。友だち、はみな、田淵が大声を出したことに驚いたのだ。
こういった霊の類いは、人によって感度がまるで違う。何も感じない人もいれば、田淵のように霊感が強い人もいる。誰も信じなかったが、田淵はばけの存在を確信したのだった。この一件以来、神話好きも相まって、オカルトにのめり込むようになった。
田淵はいつも、学校の同級生たちに「おばけがいた」「一生懸命が浮んでいた」「UFOを見た」といった、半分は本気で半分は冗談だった。実際に、女性の首が浮んでいることで有名な橋も近くにあった。本人には悪意が一切なく友だちを楽しませたいと思ってのことだった。面白いことをいって、友だちから認められたいという子ども心だったのだろう。
「俺はどっちかというと、いじめられる側なんですよ。でも、バカだったんでしょうね。バカで変なやつがいると、みんな面白がってくれるんです。いつも騒ぎの中心にいたから、まわりにヤンチャなやつらが集まってくる。スポーツ万能のグループにも入れないし、勉強が得意なグループでもない。ヤンチャのグループとか、自分の居場所がなかったんでしょうね」
また、田淵は中国の文化も好きだ。ジャッキー・チェンのファンで、『酔拳2』は何度も繰り返して見た。カンフーにも憧れるようになり、近くにあった少林寺拳法の道場に通い始める。少林寺拳法は、戦後日本で創始された新興の武道で、中国の少林拳とは昔からあった古武術などが融合して生まれたものである。僧侶の武術として生まれた経緯を知るにつれ、寺にも興味を持ち始めた。
近くの寺に何度も出入りするうちに、小坊主のように寺の仕事を手伝うようになる。墓の掃除をしたり、読経したり、座禅を組んだりもした。本人にとっては、修行というよりも、修行という意味合いが強かった。
友だちからは「あいつ、頭がおかしいんじゃないか」ともいわれたが、田淵はそういうやつだからと認めてくれる者もいた。興味を持ち出すと何でものめり込む性格だった田淵少年は、小学生時代を無邪気に過ごした。
中学生になると、ヤンチャな仲間たちと少しずつ悪いことを手を染め始める。中学二年生の頃には暴走族に憧れるようになり、ヤンキー街道を時速一〇〇キロで突っ走るようになった。仲間たちと夜な夜な灯りを鳴らしながら、実際地元の一〇〇キロの単車を走らせていた。単車もいかついデザインに改造して、派手な塗装を施した。地元のヤンザの下部組織、さらにその下の組織といった存在にあり、一度警察の世話にもなった。
高校卒業後、田淵は暴走族を辞めて専門学校に通うことにした。単車を改造したり、塗装したりしていくうちに、好奇心の塊である田淵は、デザインに興味を持ち、新宿にある美術の専門学校に入学したのである。
田淵は実家通いではあったが、初めて地元から離れた。
「小さな学校なんですけど、講師の人が活躍している人ばかりで、『すげえな』って思いました。俺、こういうキャラクターなので、よく飲みに連れていってもらいましたね」
人懐っこい田淵は、絶妙の距離感で、こちらの懐に入ってくる。話を振らなくても、話題に欠くことなく、いつの間にか話に引き込まれてしまう。サービス精神が旺盛なのか、人から認めてもらいたいのか、田淵なりの処世術なのか。それわに違いがあるのかも、私にはわからない。さまざまな理由や環境、性格が相まって、田淵という人物像が作られているのだろう。飲み会に田淵がいると、盛り上がるに違いない。講師たちに重宝がられることだけは、よくわかった。
「歩いている人を時間ほど見ていると、いろんなことが見えてくるんですよ。ワイシャツの襟が黒くなっている人、何度も行ったり来たりしている人、おそらく会社で嫌なことがあった人…」。歩き方を疲れてそうな、精神的に弱っている人ってわかるんですよ」
そういう人を見かけると、「すみません、最近お疲れですね」と声をかける。相手が「わかります?」と返してきたら、こっちのものだ。田淵は祈祷のことで何でもいい。「お話だけでもどうですか?」と、菖蒲を繋いだり、雑誌を渡したりするという人も多いのか、占ってもいないのに、五〇〇円や一〇〇〇円を置いていく。中には、五〇〇〇円もくれる人がいた。「占い師といっても、詐欺ですよ。占いなんてできませんから」と弁解していたが、このくらいであれば、かわいいものである。
そんな変わり者な田淵であっても、専門学校の講師たちの失った感覚を目の当たりにして、デザインの世界の厳しさを実感していた。田淵は卒業後、千葉の地元に戻って工場に就職する。華やかなデザインの仕事ではなく、地道だが堅実な工場の仕事を選んだのだ。工場では掃除機のモーターを作り続ける日々が延々と続く。毎日、同じことの繰り返しで、退屈でどうにかなってしまいそうだ。
退屈は新しい文化を生むという格言はないが、田淵は暇つぶしにアクセサリーのデザインを考えるようになった。父親が大工なので、家にはたくさんの木の切れ端があり、彫金や漆を塗る道具なども揃っていた。父親の影響もあり、田淵は子どもの頃から立体のモノづくりを得意としていた。専門学校の卒業制作では、木を削って漆を塗り、簪を作った。自分でも納得できる作品に仕上げることができた。
「家には材料がずいぶん余っていたんで、遊び感覚で簪を作り始めたんですよ。それをオークションに出してみたら、売れたんですよね」
いくつも制作して、その収入で生活ができるほどになった。実家暮らしだったのので、それほど人が多くなくても生活ができたのだ。田淵は退屈だった工場を辞め、アクセサリー製作を本業にしようと考えた。美術の専門学校を卒業してから一年ほどが経った二三歳晩春のことだった。
父親が、整備の仕事をしていた時期もあり、自宅の敷地内に整備工場があった。田淵が物心つく頃には廃業し、埃をかぶった状態だった。そこには車が三台ほど入るスペースがあり、一角に檜風呂を扱うための六畳ほどの小部屋がある。田淵は、その小部屋を整理して、自分のアトリエに改装した。
自分のアトリエがあると、まるで秘密基地のような感覚で、自然と仲間が集う場所になってくる。中学や高校時代の仲間たちと夜通し酒を飲んだり、衝動的に海に行って、真夜中にもかかわらず花火をしたりして騒いだ。好きなこと、やりたいことをしている仲間がまわりには多く、学生時代のような楽しい時間を過ごしていた。
ある日、探偵になったという仲間の友人から「お前、こういうの好きだろ?まだ募集してるんだけど、一緒にやらない?」と誘われた。アクセサリーの製作はすべて一人で行っていたため、時間は融通が利く。「余裕があるときだけなら」という軽い気持ちで探偵社の門を叩いた。
探偵という職業に興味を惹かれたというのもある。男の子なら誰もが持っている感覚かもしれないが、田淵は幼い頃から秘密警察みたいなものに憧れてもいた。探偵という言葉の響きには、それと同じ匂いが漂っていたのだ。
千葉市にある小さな探偵社に在籍し、それから一年ほどアクセサリー製作と探偵という二足の草鞋を履く生活を送った。しかし、二つの仕事を掛け持ちでこなすのは容易ではない。遊びだった探偵のほうが忙しくなり、本業だったアクセサリー製作に支障が出てきたのである。
デザインから制作、商品の発送まで、田淵はすべて一人でこなしていた。簪は、浴衣を着る夏に人気といった売れるシーズンがある。その時期を過ぎると、ほとんど売れないため、田淵は指輪やブレスレットなどの製作にも手を広げていた。
「今から思えば、バイトでも雇えばよかったんですけど、誰かに任せることができなかったんですよね。自分の技術が一番だという自信もあったし、誰かに教える時間もなかった。自分で作らなきゃいけなかったので、結局、手が回らなくなってパンクしちゃった感じです」
結局、田淵は本業を畳み、探偵業一本に絞り込んだ。一緒に探偵の道に踏み出した友人は、早々に転職していた。その友人は結婚したばかりで、すでに子どもがいた。彼らが勤めたところは下請けの下請け(つまり孫請け)の探偵社で、家族三人を養えるほどの給料はもらえなかったのだ。
田淵は、探偵になって初めての仕事を懐かしく思い出した。何人もの探偵に会ったが、みな初仕事のことは覚えている。「面白いエピソードはいっぱいあったんだけど、すぐに思い出せないんですよね。何かきっかけがあれば思い出せるのですが……」とみないうのだが、初仕事は特別なもの、具体的に覚えている探偵が多かった。私はよくライター業をしているが、最初の原稿は確かに覚えている。初仕事は、そういうものかもしれない。
田淵の初仕事は、群馬県の居酒屋で、浮気調査の張り込みだった。対象者の男が居酒屋から出てくるのを、探偵社の社長と二人で車の中で待っていた。社長は、当時三六歳で、「ロボットみたいな人」だった。インテリで、年下に対しても堅苦しい敬語で話すタイプである。小さい頃からじっとしているのが苦手だった田淵は、張り込みの長さに苦しんだ。
「三〇分くらいで出てくると思っていたら、初っ端から五時間ですからね。対象者が出てくるのをひたすら待つのがつらくてつらくて……。いつ出てくるかわからない緊張感でイライラするし、出てきたらどう動けばいいかもわからないし、苦痛だった記憶しかないですね」
社長は気遣っていろいろな話をしてくれたそうだが、内容はまでは覚えていない。些細な世間話だったのか、探偵の仕事についての話だったのか、どちらにしても、田淵にとっては気が紛れることはなく、社長の声は耳を素通りしていった。
ようやく出てきた対象者は、その後浮気相手に会うこともなく帰宅した。あれだけ我慢して待ったにもかかわらず、何の結果も得られなかった。田淵にとっての初仕事は、苦痛でしかなかった。
しかし、仕事をこなしていくにつれ、次第に探偵の面白さに目覚めていく。
「人の後ろを尾行して、悪の行為を突き止める。それはまさに秘密警察みたいなものかもしれないが、正義感だけではなく、人の裏側を覗きたいという正直な欲求もあった。人がひた隠しにしている裏を暴いたときの高揚感は、何味味わっても病みつきになる中毒性を持っている。そこまで疑いをかけたのだから。
人通りの多いところであればあるほど、達成感も興奮度も高まっていくのだ。
人の行動に興味があった田淵は、対象者の行動も気になった。対象者の情報は、ある程度依頼者から知らされる。財布の中からラブホテルのポイントカードが出てきたという情報があれば、会社の位置、ホテルの位置、自宅の位置から考えて、どのようなルートで行動するかを推測し、調査の作戦を練る。想定したとおりに対象者が動くと、人を掌握できたかのような万能感を味わえるのだ。
田淵は、人の相関関係も面白いという。別の浮気調査で、ある男の対象者を追いかけていた。四日間調査しても、対象者の怪しい動きは何もなく、五日目に尻尾を出したのだが、相手の女性が意外な人物だったのである。
会社の張り込みをしていると、会社の人間関係がおぼろげながら見えてくる。肩を寄せ合うようにして会社から出てくるカップルがいれば、社内恋愛しているんだという程度には認識する。恋人か同僚かの違いは、女性の表情や二人の距離感を見ればわかるものだ。
調査五日目に対象者の男と一緒にホテルに入った女性が、その数日前に別の男と社内恋愛をしていると見受けられた女性だったのである。女性は未婚だったため、ダブル不倫ではないが、社内で互いに浮気をしていることになる。
「そういう人の裏を見るのって、面白いじゃないですか?」
会社から一緒に出てきた男のほうが本命で、おそらく社内では周知の関係なのだろう。浮気相手である男(対象者)も、当然ながら彼氏がいることを知っている。浮気相手と彼氏が同じ職場にいるので、片方が知らずに、もう片方はすべて知っている。どういう会話が繰り広げられるのか、そのときの互いの心情を妄想するだけで、女性の胸の内に思いを巡らせたりするのは、確かに面白い。
田淵はうってつけの職業だったが、二五歳のときに一度、探偵を辞めている。
二四歳のとき、田淵は千葉の小さな探偵社から都内の大きな探偵社に転職した。そこは勤めていた探偵社の元請けだった。大手に行けば、また違った依頼があるのかと期待したが、給料が少しよくなっただけで、仕事内容はほとんど変わらなかった。多くの人に共通することだが、働き始めて三年ほど経つと、仕事についてすべてがわかった気になる。表面的なことしか見えていないのだが、業界を把握したと錯覚してしまうのだ。調査に乗りやすく飽きっぽい性格の田淵は、転職して一年で「もう探偵はいいか」と思った。真面目に働くのがバカらしくなってきたのもあった。それは、まわりの仲間の影響も大きかった。
「ヤンチャだった昔の仲間は、見事に誰も更生しなかったんですよ。誰一人として、まともな道を歩いていませんでした。そのうち怖い人たちとツルむようになり、半グレみたいになって、金も回ってくるようになった。ずっと地元にいると、後輩が勝手に増えてくるわけです。顎で使えるやつらが何人もいるから、だらけてしまったんでしょうね」
田淵は、友人と二人で千葉県の地元に一軒家を借りた。そこを仲間の拠点にして、いかがわしい仕事をするようになる。地元のヤクザの下っ端として、回ってきた仕事を請け負ったりもしていた。中には、怪しい仕事もあった。
ある商店街で、一五メートルだけ小売を運ぶという仕事。それだけで五万円もらえるというのだが、その一五メートルだけが、想像するだけでも怖い。誰が運ぶのか、田淵の家の話し合いながら、仲間同士で賑やかに暮らしていた。田淵も半グレではあっても仲間たちの地元愛は強く、金が貯まると地元でイベントを開催した。田淵の世代は、ヒップホップが盛り上がった世代でもある。有名ラッパーを呼び、人が集まれば、地元に金が落ちる。商店街の肉屋のコロッケを屋台で販売したり、地元の小さな印刷屋でチラシやTシャツを作って物販もした。飲食店にも客が入るようになり、個々の店に金が行き渡れば、少しずつ町は活性化していく。田淵たちは、裏では悪いことで稼いでいたが、地元の将来についても真剣に考えていた。
「自分たちの町をどうにかしたい、ってのは本気で思っていたんですよ。生まれ育った町が廃れていくのって、やっぱり寂しいじゃないですか。政治の話もするようになりましたし、議員さんは議員さんで頑張っている。俺たちにできることは何かっていったら、人を呼ぶことだったんです。人を呼べば、金も動きますからね。すると、金の匂いを嗅ぎつけてくる悪い輩が出てくるんですよ。すべてがうまくいくわけではない。
地元のヤクザと付き合っていた背景には、そういった持ちつ持たれつの関係もあった。世の中は綺麗ごとだけでは動かないのだ。
とはいえ、田淵は自分のことしか考えていない自己中でしたね。自分の快楽だけで生きているものと振り返っているように、他の仲間よりも幼稚なところがあった。一緒に暮らしていた友人から「お前そういうところを直せ。仲間なくすぞ!」と何度も怒られた。ときには殴られたこともある。
田淵らがしていた仕事は犯罪に近いものばかりだったため、警察に目を付けられないようにはしなければいけなかった。人が捕まると、芋づる式に仲間が炙り出されてしまう。万引きや車上荒らしのつまらない犯罪はもってのほか、犯罪なのでしてはいけないことではあるが、田淵らにとっては、仲間と絆が及ぶという意味合いも持っていた。
ところが、田淵はつい安い犯罪に手を出してしまう。しかも、平気で嘘をつく。見慣れない財布を持っている仲間の人が「それ、どうしたんだよ?」と聞くと、田淵は「落ちてたんだ」と答える。後になって、他の仲間の友だちが誰かに飛ばされて、財布取られていったてんまつだ、という話で、犯人が田淵ということがバレる。つまらない犯罪をしたこと、嘘をついていたことがバレて、仲間からの猛烈な反感を買うことになるのだった。
そういうことが度々あり、田淵を見限る仲間もいた。そんな中、一緒に暮らしていた友人だけは、「お前は仲間だから」と親友を失って叱ってくれた。親友がいなければ、それらの言い訳すべてが自己中心的な幼稚な考えだと理解できるが、当時は「なんで俺だけ文句をいわれなきゃいけないんだ」と思っていた。
そんな思いが募って親友との間に決定的な亀裂ができた。最後まで信用しようとした友人にとって、田淵の裏切り行為は許せなかっただろう。いや、許せないというよりも、悲しかったのかもしれない。友人の心情は想像するしかないが、少なくとも他の仲間の手前、田淵とは縁を切るしかなかったのは間違いないだろう。
親友との仲間たちは、田淵の彼らのアパートまで追ってきた。
親友の午前二時過ぎ、田淵がまどろみで彷徨っているとき、聞き慣れたバイクのエンジン音が近づいてきた。意識が半分しか起きていない田淵は、懐かしい音が聞こえるなあとしか思っていなかった。爆音が近づくにつれ、田淵の意識も覚醒していく。「ヤバイ、ヤバイ」と思っている間に、彼女のアパートの前で数台のバイクが止まる。田淵は布団を蹴り上げて、慌てて逃げる準備をする。荷物をまとめて、裏の窓から外に投げた。玄関の靴を持って、いつでも飛び降りられるようにベランダでスタンバイする。
昔の仲間たちは、部屋のドアをドンドンと叩いた。彼女は「どうする?」と聞くので、「いないってことにしてくれ」と手振りで伝える。彼女が扉を開けると、怒りで血走った仲間たちが「いるでしょ?」と聞いてくる。仲間たちは彼女も知り合いなのだ。「私も全然連絡が取れないんだけど…」と彼女は目を切る。「いや、絶対いるでしょ!」「いないってば!」と軽く揉めている。田淵は、そのやり取りを聞きながら、ベランダから外を覗いた。腕力が自慢の仲間も何人も連れてきているのが見えた。喧嘩では絶対に勝てない。向こうはバイクなので、飛び降りても逃げ切れる可能性は低い。四面楚歌の如く追い詰められていた。
しかし、仲間たちは「じゃ、帰るわ」と意外にも簡単に引き上げていった。そこにいることを確信してのことだろうが、押し入ってはこなかった。田淵は九死に一生を得た心地だったが、それは仲間からの最後だったのかもしれない。
田淵によると、彼らが怒っているのは金を持ち逃げしたことではないそうだ。仲間を裏切ったことへの怒り、の二つであるが、それよりも田淵が持っている情報を危惧していた。その情報が警察に突き出せば、何十人もの仲間が捕まってしまう。
二六〇〇万円は大金ではあるんですけど、彼らにとっては一カ月もかからずに稼げる金額なんですよ。それよりも俺の持っている情報が危なかったんです」
仲間たちが彼女の家まで来たのは、「お前、その情報を警察に売るな」という脅しだったというのだ。痛めつけることも可能だったが、やりすぎると警察に逃げ込まれる。だから、顔だけ見せて簡単に引き上げていったのである。
その後も彼女の部屋に隠れていた田淵だったが、近くのコンビニやスーパーに出歩くこともある。すると、すかさずスマホにメッセージが送られてくる。「お前、〇〇にいただろ?」「赤色の服着ていたの、あれお前だろ?」と。田淵が妙な動きを見せないか、見張っていたのである。
その後すぐ、彼らは拠点を変えた。誰一人でも逮捕されたり抜け駆けしたり、すべての拠点を移すというルールがあるからだ。もう彼らは田淵のことを見張ってもいない。親友だった友人にもう顔もない。仲間を裏切って金を持ち逃げした事実は、その後の田淵の人生に大きな影響を与え続けることになる。
半年ほどは彼女の家に隠れ、ヒモ状態の生活が続いていた。奪ってきた金も底をつきかけていた。
今後のことを考えると、何かしら金を得なければいけない。
「何かしようにも、俺、何も持っていなかったんですよ。資格を持っているわけでもないし、学もない。いまだに足し算も引き算も怪しいですからね」
自信のあったモノづくりをしようにも、実家がある地元には近づけないので、材料もなければ工具もない。「もう俺、マジメに働かなきゃマズイ」となったとき、選択肢は探偵しか残されていなかった。田淵は地元の千葉県から距離を置きたい気持ちもあり、東京の探偵社に就職した。田淵は再び探偵の世界に戻ってきたのである。
三年ほどのブランクがあったため、ゼロからのスタートに近かった。以前の感覚を取り戻せず、思いどおりに頭が回らない苛立ちを抱えながらの再スタートだった。
探偵に復帰してから一年近くが経ち、以前の感覚を取り戻してきた頃、会社からリストラが宣告された。資金繰りが芳しくなかったようで、人員削減を余儀なくされたのだ。大手の探偵社だったため、探偵たちは三つのグループに分けられていて、そのうち一つのグループが解散になった。探偵たちの能力に関係のない、無慈悲の解雇である。
私が最初に就職した会社も同じようなことがあった。情報誌を発行している会社だったのだが、「今後はウェブに力を入れていく」という経営方針により、編集部自体が解散になったのである。リストラではあっても、自分の責任ではないという思いから、精神的な苦痛はなかった。友だちに「クビになっちゃったよ」と笑い話にしていたくらいだ。ただ、次の仕事を見つけるのには苦労した。
田淵も同じ思いだったかはわからないが、話している姿から悲壮感はなかったように感じた。すぐに転職先が見つかったことも大きいのかもしれない。同じグループにいた探偵が見つけてきた探偵社に、田淵も就職したのだ。
現在も田淵は、その探偵社で働いている。
探偵の仕事で失敗したエピソードを聞いたところ、冒頭の女医に気付かれてしまって銀座の街を疾走したエピソードを話してくれた。対象者に気付かれることは、探偵の失敗としてはよくあることだが、街中で通行人を巻き込んでの捕物劇が繰り広げられるのは珍しい。ベテランの探偵に話すと、「お前、それ伝説だよ」といわれるそうだ。
依頼内容は、三〇代前半の女性からの「夫が浮気をしている証拠を押さえてほしい」というものだった。対象者である夫は、大手広告代理店に勤務しており、江戸っ子でEXILEのHIROに似たイケメンだ。依頼者は離婚寸前とており、すでに別居をつかんでいた。夫のスマホから撮り動画が出てきたからである。ハメ撮りとは、撮影しながらセックスをすること。その動画だけで十分な証拠になるのだが、相手の素性を把握したいという要望があったのだ。
そのハメ撮りに写っていた女性が例の女医なのだが、調査してみると、他にも浮気相手が何人も出てきた。気の迷いで浮気をしてしまったのではなく、常習的に浮気をしている男には、何人も女性がいることがある。それだけ魅力もあるのだろうが、モテるための努力も欠かさない。女性を口説くためには、評判のレストランを調べたり、服装や髪型に気を配ったり、肉体を鍛えて若さを保つ努力も必要だ。対象者も身体を鍛え、日サロに通っているようなワイルド系の男性だった。
銀座四丁目の交差点で腕をつかまれ、「撮っているよね?」と迫られたときの女医の目を田淵は忘れられない。怒りと憎しみ、嫌悪、侮蔑、不安、悲壮といった感情が入り混じった眼は、一つの純愛としても今の田淵の脳にこびり付いている。
「何度も夢を見るんですよ。あの目で睨まれる夢です」
留置所に入れられた田淵は、警察署内で「探偵が捕まった」と少し話題になった。事情聴取を受けていると、暇そうにしていた警察官も覗きに来た。「マル暴(暴力団担当刑事)のようなパンチパーマで体格のいい警察官が「探偵が捕まったよな」と笑いながら田淵の聴取をしていた。
関係者として、女医の警察署に来ていた。田淵が警察と一緒にトイレに行くと、その女医と見かけたのだが、HIRO似の男性(第一対象者)も側にいた。予想どおり、その二人が接触する日だったのだ。おそらく彼女を迎えるに来たのだろう。男性は、トイレに向かう田淵をずっと睨みつけていた。
逮捕された翌日、ようやく社長が迎えに来てくれた。途中で電話も無線も繋がらなくなった社長は、逃げていたわけではなく、それまでに撮影した映像データを隠したり、元請けの探偵社に事情を説明していたという。
警察署を出るとき、玄関まで見送りに出てくれた警察官と握手をした。彼も警察官になりたてで、田淵と同じ歳だった。二人は「お互いに頑張ろう」と言葉を交わして別れた。誰とでもすぐに親しくなれる田淵ではないが、警察官と逮捕者が意気投合するのは珍しいに違いない。他人の懐に入っていくつ田淵の人懐っこい性格は相当なものである。
新人だった頃は違い、今の田淵は中堅といえる経験と技術を兼ね備えた探偵である。彼の尾行テクニックを少しだけ教えてくれた。
「人の後を追いかけるって、いっちゃえば簡単なんですけど、突然振り返ったり、立ち止まったりとか、不測の事態があるものなんです」
対象者が振り返る理由にもいろいろある。単純に道を間違えることもあれば、忘れ物に気付いて対象者が振り返ることもある。そういったとき、対象者と目が合ったり、こちらに一瞬でも不自然な動きがあると、気付かれる危険性が高まる。
探偵によっていろいろな方法があるそうだが、田淵は常に対象者の踵を見るようにしている。踵を見ていると、振り向くときは片方の踵が急に振れるのだ。踵が急に振れた瞬間、スマホを操作するフリをする。すれ違うときも踵の動きを見るようにする。そうすれば、対象者と目が合うリスクを回避できるのだ。
田淵は独学で心理学をかじったことがあるそうで、探偵のテクニックにも心理学を応用している。人間は、歩いていて右のほうに行きたいと思っていると、ゆっくりではあるが足は右を向く。喫茶店を話をしていても、左側にいる団体の会話が気になれば、肩が少しだけ左のほうを向く。その場の「身体の動きを見ると、この人、この話に興味なさそうだなとか、違うこと考えているなとか、わかるんですよね」
田淵は、その特技を活かして潜入調査を行うことが多い。対象者が小さな居酒屋やバーに入ると、田淵も店内に入り、他のお客さんを巻き込んで場で場を盛り上げる。自分が話の中心になり、対象者が寄ってくるのを待つのだ。対象者がこちらに興味を示すと、「お兄さん、すごくかっこいいっすね。女の人、何人もいるでしょ?」という感じで近づいていき、指の動き、肩の動き、足の動き、目の動きを注視しながら、家庭環境や仕事内容、プライベートな情報まで聞き出す。
「俺の話がうまいほうですし、元々口が軽いようなものなので、そういう役回りが多いですね」
田淵はカバンの中からトランプを取り出して、いきなり手品を披露してくれた。場慣れしているようで、巧みな話術と器用な手さばきが見事だった。専門学生時代には、小銭を稼ぐために路上で手品もしていたそうだ。中学生の頃に趣味で手品にはまってから、本やユーチューブを見ながら練習した。心理学に興味を持ったのも手品がきっかけだった。
常にトランプを持ち歩いているのは、キャバクラで女の子の気を引くための小道具だといって、いたずらっぽく笑っていた。
居酒屋やバーなどで、近くにいる人に手品を披露して、その場を掌握する。まわりの人たちが驚けば、人の孤独は癒されなくなたとき、逃げるように騒がしい場所を求めて街に出る。居酒屋に一人で入って、初めて会った人と仲良くなって無駄に騒ぐ。駅前でストリートマジックを披露することもある。常に賑やかにしていないと、頭の奥底に重く沈殿した後悔の澱が滲み出て、田淵の心を蝕んでいく。
昔のことを何度も振り返っていううちに、「ああ、俺って嘘つきだったんだ。ペテン師だったんだ」と思えるようになった。三三歳の今になって、ようやく自分を見詰め直すことができた。
子どもの頃から自分に都合のいいことばかりをいって生きてきた。友だちから注目されたいがために、「おばけが出た」といった、実話であっても尾ひれを付けて話したり、習慣的に人を騙してきた。専門学生のとき、小銭ほしさに占い師の真似事もしたが、人を騙している感覚は希薄だった。仲間たちから怒られるのが嫌で、身を守るために小さな嘘をつくことも、歯を磨くのと同じくらい日常的だった。
嘘つきは、自分のことを「私は嘘つきです」とはいわない。以前の田淵も自分のことを嘘つきとは思っていなかった。ペテン師という認識も持っていなかった。仲間から指摘されても、怒られている理由がわからなかった。三〇歳を超えても、精神年齢は小学生のままだった。「楽しければなんでもいいじゃん」と思っていた。
仲間から金を奪って逃げたのも、悪ふざけの延長だった。遊びではあったが、誰もやらない馬鹿げたことをして、「あいつすげぇー」と思われたかった。クラス中から注目されたかった小学生の頃から何も成長していなかったのだ。ただ、その悪ふざけの度合いがすぎた。まわりの仲間は小学生ではない大人になっていたのだ。悪いことばかりする半グレ集団ではあったが、悪ふざけして無邪気に遊んでいた子どももはやいなくなっていた。
気付があれば、前に進める。失った時間と信頼は取り戻せないが、新しい自分になることは可能である。
まずは自分が嘘つきだと認めることから、田淵の新しい世界はスタートした。居酒屋やバーに行って、初めてましての人と知り合いになるし、自己紹介で「自分、ペテン師なんです」といえるようになった。バーのマスターが他の客に繋いでくれるときも、「こいつペテン師なんですよ」と紹介してくれるまでになった。先に自分からいってしまえば、相手は「どういうことですか?」と興味を持つてくれる。そこで手品を見せたりすることで、楽しい時間を過ごさせるのだ。
根っからの嘘つきは、探偵の仕事で嘘を暴くことの嘘を暴く仕事といい放つ。対象者は何かしらの嘘をついている。浮気をしている嘘もあれば、会社や婚約者、家族を騙している嘘もある。
自分の嘘を隠して、今や探偵も嘘つきであれば、対象者も嘘つきなのである。
田淵は、「自分にとっていまや嘘というのは武器ですね」と確信も持てるようになった。田淵に言わせると、嘘には善悪がなく、金と同じなのだ。金で銃を買うこともできれば、絵本を買うこともできる。嘘で人を殺すこともできれば、人を救うこともできる。金の使い道に善悪があるように、嘘の使い方もに善悪がある。
「嘘をつくことで人を笑顔にできるんだったら、それでいいかなって思ってます」
今の田淵は、大げさな話をしたり手品をしたりして、まわりの人が笑顔になってくれることが喜びになっている。自分も他人も幸せにできる嘘がある、ということだ。
過去のトラウマを乗り越えたように見えても、悔恨の根は彼の地中に何重にも張り巡らされたままだ。
「何をしていても、いまだに昔のことに繋がるんですよ。服を着た瞬間に「ああ、あのときもこの服を着ていたなあ」とか、ペットボトルのラベルを見て「昔、仲間に殴られた後に飲んだなあ」って思うんですよね」
食べ物、飲み物、服、車やバイク、音や匂い、味、手触りといった生活のすべてが昔を思い出すトリガーになるというのだ。人前で手品をするのは、昔の仲間の前で手品を披露したことがないからだった。
「昔の仲間に結びつかないことをしていないと、自分がダメになっちゃうンですよ」
それほど昔の仲間との決別は、田淵にとって大きな意味を持っていた。自分にとって大事なことは、いまだって失ってから気付くのである。トラウマを克服するには、まだ時間がかかりそうだ。
田淵はもう何年も実家に帰っていない。仲間を裏切って以来、地元に足を踏み入れたことはない。父親も母親にも会っていない。実の姉が二人いるが、連絡先すら知らないという。ただ、探偵の仕事で地方に行ったとき、田淵はその地域の特産品を実家に送るようにしている。生きていること、元気でいることの証を送っているのだ。
「北海道から送られてきたと思ったら、一カ月後には福島から送られてくる。種子島から送ったこともあるんですけど、絶対〝あいつ、何やってんだ?〟ってなってると思いますよ。探偵をしているのは、たぶん知っているとは思うんですけどね」
家族の反応を想像して楽しんでいる様子が、田淵の表情から見えた。根っからの嘘つきは、根っからのエンターテイナーでもある。相手の驚いた顔を見たいという欲求には、ときに羽目を外すことがあっても、相手に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいという純粋な気持ちが根底にあるのだろう。
「探偵になって居場所ができました。居場所を失って出てきたわけですからね。なんというか、まっとうに笑っていられる場所があるってのは幸せです」
田淵は今も、自分を匿ってくれた彼女と一緒に暮らしている。
都内の大学病院で張り込んでいると、対象の女医が出てきた。三〇歳手前くらいのいかにも、清楚な雰囲気を漂わせている。男は調子に乗っていた。元々調子がよく、人を食ったようなところがある。
女医は「正面から撮れる」と勇み足で踏む。二メートルくらいの距離に近づいても「イケる、イケる」と根拠のない自信があった。
ところが、ビデオカメラのモーター越しに女医と目が合ってしまう。相手はカメラに気付いたかもしれないが、そのまま通り過ぎていった。探偵は「見られたかもしれない」という思いもあったが、持ち前の楽観的な性格で「大丈夫、大丈夫、イケる、イケる」と再び自分にいい聞かせた。
行動を共にしていた社長は、無線で対象に見られた可能性を伝えたが、警戒行動を取る様子がないことから尾行を続行。病院を出て夜の街に繰り出す女を追いかけた。
警戒行動は、対象者が尾行を警戒しているときに起こす行動のこと。「同じ場所をぐるぐる回ったり、同じ道を行ったり来たり、何度も後ろを振り返ったりする行動は、「見られているかも」と対象者が警戒している信号である。電車の場合だと、ドアが閉まる直前にホームに降りたり、停車した駅で一旦ホームに降りて別の扉から同じ電車に乗ったりするのも警戒行動である。
午後八時、女は銀座四丁目の交差点で信号待ちをしていた。一〇メートルほど後ろにいた探偵は、人が多くなってきたため、対象者との距離を詰めていく。人混みの中だと近づいても気付かれることは、まずない。
ところが、近づこうと思った瞬間、女は振り返り、こちらに向かって歩いてくる。探偵は慌ててスマホを取り出し、メールを打つフリをする。顔を上げず、対象者の足だけを見ていた。女の足は探偵のすぐ横を通り過ぎていった。「道を間違えたのか、急に用事ができたのか」とほんの少し安堵しながら振り向くと、真後ろで女は探偵を睨みつけていた。
女は探偵の腕をつかみ、「撮ってるよね?」と、怒りと芸術に満ちた形相で問い詰めてくる。
探偵は「はぁ〜?撮ってるって何?あんた、自意識過剰なの?」とごまかすが、女は恐ろしい眼つきのまま「じゃあ、警察に行きましょうよ」と、さらに詰寄ってくる。警察を呼んでください、誰か警察を呼んでください!」と女が叫び出したところで、探偵になって三カ月の男は、頭が真っ白になった。
社長から無線で指示が出る。「腕を振り払って、とにかく逃げてください」と。探偵は強引に腕を振り払い、何も考えずに走り出した。女はピンヒールを履いていたので、逃げ切れる自信はあった。だが、彼の頭は人でごった返しているため、全力疾走ができない。
女は「助けてください!あの男を捕まえてください!」と大声で叫んでいる。必死で人混みをかき分けて走る探偵に誰もが注視し、近くにいた男たちも次々と追いかけ始めた。二〇分ほど逃げても、男たちは追ってくる。探偵は逃げ足に自信があったが、追いかけてくる連中も足が速く、簡単に振り切ることができない。カメラや変装用の服など、探偵道具が入ったリュックが、ここにきて重荷を増したかのように思われた。
探偵の息が上がってきた。冷静に考えれば、駅に向かって電車に乗ったり、タクシーに乗り込めばよかったのだが、パニックに陥った頭では、走って逃げることしか考えられもしなかった。探偵は小さな路地に入り、小刻みに曲って逃げ切ろうとする。目に付いたダンボールやポリバケツを騒がしさも気にせず、追っ手の走りを妨害する。ところが運悪く、探偵は袋小路に入ってしまった。
逃げ道はない。観念しかない。探偵は喧嘩にも自信を持っていた。二〇代の頃は暴走族にも所属し、喧嘩に慣れていた。三人の男と向かい合った。どの男も屈強な体つきをしている。ここまで追いかけてきただけのことはある。それでも探偵は、最初に向かってきた男を一発で倒す。他の二人は一瞬怯み、どちらが先にいくか目配せし合っている。狭い路地なので二人同時に殴りかかることは難しいのだ。
探偵は先に動いて二人の男の腹を蹴り、その隙に袋小路から抜け出した。しかし、探偵の足はすでに限界を迎えていて、足が動いてくれない。心臓の鼓動は痛みを感じるほど激しく、呼吸困難に近い状態だった。
それでも小さな交差点を右に左に曲って逃げた。追っ手の気配が遠ざかった頃、前にヒョロリとしたスーツ姿の男の背中が見えた。邪魔だなと思いながら横を通り過ぎようとしたときだった。スーツ姿の男は探偵のほうを振り返り、胸ぐらをつかんで足を払った。探偵の身体はふわっと浮いて、地面に叩きつけられた。探偵は、追いついてきた連中に取り押さえられ、まるで稚魚のように担ぎ上げられた。男たちは、探偵の両手両足をしっかりと持って、「捕まえたぞ!捕まえたぞ!」と勝どきを上げている。
探偵の耳には、パトカーのサイレンが聞こえてきた。誰かが警察に通報したのだろう。二台のパトカーが来て、探偵は警察官に引き渡された。盗撮犯と間違えられたのか、その場で持ち物をすべて調べられた。
自分が探偵であることを警察官に伝えた。カバンの中から出てきたビデオカメラや発信機、無線機などの機材を見れば、警察官には探偵だと察しがつくはずだが、名刺すら持っていないために証明することができず、現行犯で逮捕。探偵は留置場に入れられた。社長の姿はなく、助けを求めた無線は無線のままだった。
これはドラマや映画のワンシーンではない。探偵に起きた実話である。
探偵の名は田淵介、一九八八年生まれの三三歳。取材時、二〇二一年である。話を聞かせてもらったのは、池袋にあるカラオケボックスだった。
平日の午前一一時の池袋駅北口は、まだ目覚めていない肉食動物のような雰囲気に包まれていた。のんびりとあくびをしているが、日が沈むと狩りの時間になる。慎重に獲物を見定めて、ゆっくりと近づき、射程距離に入ったところで一気に噛みつく。獲物は確実に仕留められ、骨の髄までしゃぶられる。
池袋駅北口の改札を出たあたりで編集者Kと待ち合わせし、地上に出る。みずほ通りを西に向かい、西一番中央通りを越える。取材場所として使う予定のカラオケ館で立ち止まる。中を見ると、待っている人はいないので、すんなり入ることができそうだ。
待ち合わせの時間まで、編集者Kと雑談して時間を潰す。私と編集者Kは、以前同じ出版社に勤めていた仲だ。部署は違ったが、回りほど年上の編集者Kには、何度も遊んでもらった。会社に勤めていた当時は、夜遅くまで飲み歩いていた。別々の出版社に勤め、私はフリーで仕事をするようになった。別々になっても年に二度は顔を合わせていたが、私が実家のある京都に戻ったことで、ここ数年は疎遠になっていた。
共通の知人の葬儀で久しぶりに会うと、典型的な中年男性の関係だったが、今回一緒に仕事をすることで、二人の間に新しい関係が生まれようとしていた。そう、編集者Kと一緒に仕事をするのは、同じ出版社時代を含めて、初めてのことだった。
互いの近況報告をしつつ、昔の同僚がどうしているのといった与太話をしているうちに、取材相手である田淵介が現れた。
五〇代の編集者K、四〇代の私、三〇代の田淵、世代の違う男三人で午前中からカラオケボックスに入る。店員は不思議に思っているのだろうが、疑念を顔に出さない。池袋という土地柄、複雑な事情を日常的にのだろう。ドリンクとポテトフライなど、簡単につまめるものを注文する。取材の意図や聞ききたいこと、今後の流れなどを説明していると、「お待たせしました!」といってドリンクを持った店員が入ってくる。誰も歌っていないし、誰もタッチパネルで曲を探してもいない。部屋のそんな異様な光景でも、店員は不審な顔色一つ見せず、ドリンクをテーブルの上に置いていく。
こちらのほうが居心地の悪さを感じたが、気にせずにミックスピザと唐揚げを追加で注文した。午前一一時三〇分を回っている。少し早いが昼食に向けて、腹の虫どもが騒ぎ出していた。
ウーロン茶を一口飲んでから、まずは田淵の経歴を聞いた。
田淵は、千葉県南部に位置する小さな町で生まれ育った。多くの土地を保有していた豪農の家系で、本家は地元の有力者だった。地元の議員が挨拶に訪れるほどで、小学校には田淵の名字が刻まれた記念樹が何本も植わっている。
田淵の祖父は本家の分家にあたるのだが、田淵の父親が家のあとを役だったこともあり、地元では発言力があった。職を転々としたが、父が亡くなった父親は、若い頃、放浪していた時期もあったそうだ。放浪について、父親はあまり話さなかったが、田淵曰く「たぶん、碌でもないことをしていたんだと思う」とのこと。日本中の方言を、そして少しだけ英語も話せるという。どういう放浪の旅をしてきたのか本人に聞きたいところだが、それは別の機会に期待したい。
田淵家は、信心深い家系でもあった。父親は毎日、朝食前に仏壇に線香をあげて拝んでいた。毎朝、起きたら神棚の水を替えて「おはようございます」といい、夜寝る前には「おやすみなさい」と神様に挨拶をしていた。父親の真似をしていた田淵少年も、信心深くなっていった。
「よく神様のいるのかって話になると、空の上には宇宙が広がっているわけで、どこにも神様はいないですよね。でも、俺の中にはいるから、俺の中にはいるよっていいますね」
田淵は子どもの頃から日本の歴史や文化に興味を持っていたが、中でも神話に心を惹かれた。
「古事記や日本書紀って、神様の話から人間の話にだんだんすり替わっていくんですよね。最終的には天照大神の子孫が天皇になるんですが、そういう話が好きだったんですよ」
田淵が小学生だった一九九〇年代半ばにかけては、オカルトブームの時期でもあった。ノストラダムスの大予言で地球が滅亡するとされていた一九九九年の七月が近づいてきたことも要因の一つだ。各テレビ局はノストラダムスの特集番組を組んだり、宇宙人やUMAと呼ばれる未確認生物を扱った番組を数多く放送していた。超常現象を扱ったアメリカドラマ『X-ファイル』も世界的な大ヒットを記録した。日本では、一九九五年に放映された映画『学校の怪談』がスマッシュヒットし、その後シリーズ化され、合計五作品が制作された。
近所に「おばけが出る」という噂のトンネルがあり、田淵は数人の友だちと一緒にいったことがある。最初は面白半分だったが、すぐに逃げ出す羽目になる。ひんやりとした不気味な空気が田淵を飲み込み、凍りつくような寒気が背筋を走り抜けていった。田淵は悲鳴を上げて逃げ出した。一緒にいた友だちも後を追って逃げたのだが、イヤな感覚に襲われたのは田淵だけだった。友だち、はみな、田淵が大声を出したことに驚いたのだ。
こういった霊の類いは、人によって感度がまるで違う。何も感じない人もいれば、田淵のように霊感が強い人もいる。誰も信じなかったが、田淵はばけの存在を確信したのだった。この一件以来、神話好きも相まって、オカルトにのめり込むようになった。
田淵はいつも、学校の同級生たちに「おばけがいた」「一生懸命が浮んでいた」「UFOを見た」といった、半分は本気で半分は冗談だった。実際に、女性の首が浮んでいることで有名な橋も近くにあった。本人には悪意が一切なく友だちを楽しませたいと思ってのことだった。面白いことをいって、友だちから認められたいという子ども心だったのだろう。
「俺はどっちかというと、いじめられる側なんですよ。でも、バカだったんでしょうね。バカで変なやつがいると、みんな面白がってくれるんです。いつも騒ぎの中心にいたから、まわりにヤンチャなやつらが集まってくる。スポーツ万能のグループにも入れないし、勉強が得意なグループでもない。ヤンチャのグループとか、自分の居場所がなかったんでしょうね」
また、田淵は中国の文化も好きだ。ジャッキー・チェンのファンで、『酔拳2』は何度も繰り返して見た。カンフーにも憧れるようになり、近くにあった少林寺拳法の道場に通い始める。少林寺拳法は、戦後日本で創始された新興の武道で、中国の少林拳とは昔からあった古武術などが融合して生まれたものである。僧侶の武術として生まれた経緯を知るにつれ、寺にも興味を持ち始めた。
近くの寺に何度も出入りするうちに、小坊主のように寺の仕事を手伝うようになる。墓の掃除をしたり、読経したり、座禅を組んだりもした。本人にとっては、修行というよりも、修行という意味合いが強かった。
友だちからは「あいつ、頭がおかしいんじゃないか」ともいわれたが、田淵はそういうやつだからと認めてくれる者もいた。興味を持ち出すと何でものめり込む性格だった田淵少年は、小学生時代を無邪気に過ごした。
中学生になると、ヤンチャな仲間たちと少しずつ悪いことを手を染め始める。中学二年生の頃には暴走族に憧れるようになり、ヤンキー街道を時速一〇〇キロで突っ走るようになった。仲間たちと夜な夜な灯りを鳴らしながら、実際地元の一〇〇キロの単車を走らせていた。単車もいかついデザインに改造して、派手な塗装を施した。地元のヤンザの下部組織、さらにその下の組織といった存在にあり、一度警察の世話にもなった。
高校卒業後、田淵は暴走族を辞めて専門学校に通うことにした。単車を改造したり、塗装したりしていくうちに、好奇心の塊である田淵は、デザインに興味を持ち、新宿にある美術の専門学校に入学したのである。
田淵は実家通いではあったが、初めて地元から離れた。
「小さな学校なんですけど、講師の人が活躍している人ばかりで、『すげえな』って思いました。俺、こういうキャラクターなので、よく飲みに連れていってもらいましたね」
人懐っこい田淵は、絶妙の距離感で、こちらの懐に入ってくる。話を振らなくても、話題に欠くことなく、いつの間にか話に引き込まれてしまう。サービス精神が旺盛なのか、人から認めてもらいたいのか、田淵なりの処世術なのか。それわに違いがあるのかも、私にはわからない。さまざまな理由や環境、性格が相まって、田淵という人物像が作られているのだろう。飲み会に田淵がいると、盛り上がるに違いない。講師たちに重宝がられることだけは、よくわかった。
「歩いている人を時間ほど見ていると、いろんなことが見えてくるんですよ。ワイシャツの襟が黒くなっている人、何度も行ったり来たりしている人、おそらく会社で嫌なことがあった人…」。歩き方を疲れてそうな、精神的に弱っている人ってわかるんですよ」
そういう人を見かけると、「すみません、最近お疲れですね」と声をかける。相手が「わかります?」と返してきたら、こっちのものだ。田淵は祈祷のことで何でもいい。「お話だけでもどうですか?」と、菖蒲を繋いだり、雑誌を渡したりするという人も多いのか、占ってもいないのに、五〇〇円や一〇〇〇円を置いていく。中には、五〇〇〇円もくれる人がいた。「占い師といっても、詐欺ですよ。占いなんてできませんから」と弁解していたが、このくらいであれば、かわいいものである。
そんな変わり者な田淵であっても、専門学校の講師たちの失った感覚を目の当たりにして、デザインの世界の厳しさを実感していた。田淵は卒業後、千葉の地元に戻って工場に就職する。華やかなデザインの仕事ではなく、地道だが堅実な工場の仕事を選んだのだ。工場では掃除機のモーターを作り続ける日々が延々と続く。毎日、同じことの繰り返しで、退屈でどうにかなってしまいそうだ。
退屈は新しい文化を生むという格言はないが、田淵は暇つぶしにアクセサリーのデザインを考えるようになった。父親が大工なので、家にはたくさんの木の切れ端があり、彫金や漆を塗る道具なども揃っていた。父親の影響もあり、田淵は子どもの頃から立体のモノづくりを得意としていた。専門学校の卒業制作では、木を削って漆を塗り、簪を作った。自分でも納得できる作品に仕上げることができた。
「家には材料がずいぶん余っていたんで、遊び感覚で簪を作り始めたんですよ。それをオークションに出してみたら、売れたんですよね」
いくつも制作して、その収入で生活ができるほどになった。実家暮らしだったのので、それほど人が多くなくても生活ができたのだ。田淵は退屈だった工場を辞め、アクセサリー製作を本業にしようと考えた。美術の専門学校を卒業してから一年ほどが経った二三歳晩春のことだった。
父親が、整備の仕事をしていた時期もあり、自宅の敷地内に整備工場があった。田淵が物心つく頃には廃業し、埃をかぶった状態だった。そこには車が三台ほど入るスペースがあり、一角に檜風呂を扱うための六畳ほどの小部屋がある。田淵は、その小部屋を整理して、自分のアトリエに改装した。
自分のアトリエがあると、まるで秘密基地のような感覚で、自然と仲間が集う場所になってくる。中学や高校時代の仲間たちと夜通し酒を飲んだり、衝動的に海に行って、真夜中にもかかわらず花火をしたりして騒いだ。好きなこと、やりたいことをしている仲間がまわりには多く、学生時代のような楽しい時間を過ごしていた。
ある日、探偵になったという仲間の友人から「お前、こういうの好きだろ?まだ募集してるんだけど、一緒にやらない?」と誘われた。アクセサリーの製作はすべて一人で行っていたため、時間は融通が利く。「余裕があるときだけなら」という軽い気持ちで探偵社の門を叩いた。
探偵という職業に興味を惹かれたというのもある。男の子なら誰もが持っている感覚かもしれないが、田淵は幼い頃から秘密警察みたいなものに憧れてもいた。探偵という言葉の響きには、それと同じ匂いが漂っていたのだ。
千葉市にある小さな探偵社に在籍し、それから一年ほどアクセサリー製作と探偵という二足の草鞋を履く生活を送った。しかし、二つの仕事を掛け持ちでこなすのは容易ではない。遊びだった探偵のほうが忙しくなり、本業だったアクセサリー製作に支障が出てきたのである。
デザインから制作、商品の発送まで、田淵はすべて一人でこなしていた。簪は、浴衣を着る夏に人気といった売れるシーズンがある。その時期を過ぎると、ほとんど売れないため、田淵は指輪やブレスレットなどの製作にも手を広げていた。
「今から思えば、バイトでも雇えばよかったんですけど、誰かに任せることができなかったんですよね。自分の技術が一番だという自信もあったし、誰かに教える時間もなかった。自分で作らなきゃいけなかったので、結局、手が回らなくなってパンクしちゃった感じです」
結局、田淵は本業を畳み、探偵業一本に絞り込んだ。一緒に探偵の道に踏み出した友人は、早々に転職していた。その友人は結婚したばかりで、すでに子どもがいた。彼らが勤めたところは下請けの下請け(つまり孫請け)の探偵社で、家族三人を養えるほどの給料はもらえなかったのだ。
田淵は、探偵になって初めての仕事を懐かしく思い出した。何人もの探偵に会ったが、みな初仕事のことは覚えている。「面白いエピソードはいっぱいあったんだけど、すぐに思い出せないんですよね。何かきっかけがあれば思い出せるのですが……」とみないうのだが、初仕事は特別なもの、具体的に覚えている探偵が多かった。私はよくライター業をしているが、最初の原稿は確かに覚えている。初仕事は、そういうものかもしれない。
田淵の初仕事は、群馬県の居酒屋で、浮気調査の張り込みだった。対象者の男が居酒屋から出てくるのを、探偵社の社長と二人で車の中で待っていた。社長は、当時三六歳で、「ロボットみたいな人」だった。インテリで、年下に対しても堅苦しい敬語で話すタイプである。小さい頃からじっとしているのが苦手だった田淵は、張り込みの長さに苦しんだ。
「三〇分くらいで出てくると思っていたら、初っ端から五時間ですからね。対象者が出てくるのをひたすら待つのがつらくてつらくて……。いつ出てくるかわからない緊張感でイライラするし、出てきたらどう動けばいいかもわからないし、苦痛だった記憶しかないですね」
社長は気遣っていろいろな話をしてくれたそうだが、内容はまでは覚えていない。些細な世間話だったのか、探偵の仕事についての話だったのか、どちらにしても、田淵にとっては気が紛れることはなく、社長の声は耳を素通りしていった。
ようやく出てきた対象者は、その後浮気相手に会うこともなく帰宅した。あれだけ我慢して待ったにもかかわらず、何の結果も得られなかった。田淵にとっての初仕事は、苦痛でしかなかった。
しかし、仕事をこなしていくにつれ、次第に探偵の面白さに目覚めていく。
「人の後ろを尾行して、悪の行為を突き止める。それはまさに秘密警察みたいなものかもしれないが、正義感だけではなく、人の裏側を覗きたいという正直な欲求もあった。人がひた隠しにしている裏を暴いたときの高揚感は、何味味わっても病みつきになる中毒性を持っている。そこまで疑いをかけたのだから。
人通りの多いところであればあるほど、達成感も興奮度も高まっていくのだ。
人の行動に興味があった田淵は、対象者の行動も気になった。対象者の情報は、ある程度依頼者から知らされる。財布の中からラブホテルのポイントカードが出てきたという情報があれば、会社の位置、ホテルの位置、自宅の位置から考えて、どのようなルートで行動するかを推測し、調査の作戦を練る。想定したとおりに対象者が動くと、人を掌握できたかのような万能感を味わえるのだ。
田淵は、人の相関関係も面白いという。別の浮気調査で、ある男の対象者を追いかけていた。四日間調査しても、対象者の怪しい動きは何もなく、五日目に尻尾を出したのだが、相手の女性が意外な人物だったのである。
会社の張り込みをしていると、会社の人間関係がおぼろげながら見えてくる。肩を寄せ合うようにして会社から出てくるカップルがいれば、社内恋愛しているんだという程度には認識する。恋人か同僚かの違いは、女性の表情や二人の距離感を見ればわかるものだ。
調査五日目に対象者の男と一緒にホテルに入った女性が、その数日前に別の男と社内恋愛をしていると見受けられた女性だったのである。女性は未婚だったため、ダブル不倫ではないが、社内で互いに浮気をしていることになる。
「そういう人の裏を見るのって、面白いじゃないですか?」
会社から一緒に出てきた男のほうが本命で、おそらく社内では周知の関係なのだろう。浮気相手である男(対象者)も、当然ながら彼氏がいることを知っている。浮気相手と彼氏が同じ職場にいるので、片方が知らずに、もう片方はすべて知っている。どういう会話が繰り広げられるのか、そのときの互いの心情を妄想するだけで、女性の胸の内に思いを巡らせたりするのは、確かに面白い。
田淵はうってつけの職業だったが、二五歳のときに一度、探偵を辞めている。
二四歳のとき、田淵は千葉の小さな探偵社から都内の大きな探偵社に転職した。そこは勤めていた探偵社の元請けだった。大手に行けば、また違った依頼があるのかと期待したが、給料が少しよくなっただけで、仕事内容はほとんど変わらなかった。多くの人に共通することだが、働き始めて三年ほど経つと、仕事についてすべてがわかった気になる。表面的なことしか見えていないのだが、業界を把握したと錯覚してしまうのだ。調査に乗りやすく飽きっぽい性格の田淵は、転職して一年で「もう探偵はいいか」と思った。真面目に働くのがバカらしくなってきたのもあった。それは、まわりの仲間の影響も大きかった。
「ヤンチャだった昔の仲間は、見事に誰も更生しなかったんですよ。誰一人として、まともな道を歩いていませんでした。そのうち怖い人たちとツルむようになり、半グレみたいになって、金も回ってくるようになった。ずっと地元にいると、後輩が勝手に増えてくるわけです。顎で使えるやつらが何人もいるから、だらけてしまったんでしょうね」
田淵は、友人と二人で千葉県の地元に一軒家を借りた。そこを仲間の拠点にして、いかがわしい仕事をするようになる。地元のヤクザの下っ端として、回ってきた仕事を請け負ったりもしていた。中には、怪しい仕事もあった。
ある商店街で、一五メートルだけ小売を運ぶという仕事。それだけで五万円もらえるというのだが、その一五メートルだけが、想像するだけでも怖い。誰が運ぶのか、田淵の家の話し合いながら、仲間同士で賑やかに暮らしていた。田淵も半グレではあっても仲間たちの地元愛は強く、金が貯まると地元でイベントを開催した。田淵の世代は、ヒップホップが盛り上がった世代でもある。有名ラッパーを呼び、人が集まれば、地元に金が落ちる。商店街の肉屋のコロッケを屋台で販売したり、地元の小さな印刷屋でチラシやTシャツを作って物販もした。飲食店にも客が入るようになり、個々の店に金が行き渡れば、少しずつ町は活性化していく。田淵たちは、裏では悪いことで稼いでいたが、地元の将来についても真剣に考えていた。
「自分たちの町をどうにかしたい、ってのは本気で思っていたんですよ。生まれ育った町が廃れていくのって、やっぱり寂しいじゃないですか。政治の話もするようになりましたし、議員さんは議員さんで頑張っている。俺たちにできることは何かっていったら、人を呼ぶことだったんです。人を呼べば、金も動きますからね。すると、金の匂いを嗅ぎつけてくる悪い輩が出てくるんですよ。すべてがうまくいくわけではない。
地元のヤクザと付き合っていた背景には、そういった持ちつ持たれつの関係もあった。世の中は綺麗ごとだけでは動かないのだ。
とはいえ、田淵は自分のことしか考えていない自己中でしたね。自分の快楽だけで生きているものと振り返っているように、他の仲間よりも幼稚なところがあった。一緒に暮らしていた友人から「お前そういうところを直せ。仲間なくすぞ!」と何度も怒られた。ときには殴られたこともある。
田淵らがしていた仕事は犯罪に近いものばかりだったため、警察に目を付けられないようにはしなければいけなかった。人が捕まると、芋づる式に仲間が炙り出されてしまう。万引きや車上荒らしのつまらない犯罪はもってのほか、犯罪なのでしてはいけないことではあるが、田淵らにとっては、仲間と絆が及ぶという意味合いも持っていた。
ところが、田淵はつい安い犯罪に手を出してしまう。しかも、平気で嘘をつく。見慣れない財布を持っている仲間の人が「それ、どうしたんだよ?」と聞くと、田淵は「落ちてたんだ」と答える。後になって、他の仲間の友だちが誰かに飛ばされて、財布取られていったてんまつだ、という話で、犯人が田淵ということがバレる。つまらない犯罪をしたこと、嘘をついていたことがバレて、仲間からの猛烈な反感を買うことになるのだった。
そういうことが度々あり、田淵を見限る仲間もいた。そんな中、一緒に暮らしていた友人だけは、「お前は仲間だから」と親友を失って叱ってくれた。親友がいなければ、それらの言い訳すべてが自己中心的な幼稚な考えだと理解できるが、当時は「なんで俺だけ文句をいわれなきゃいけないんだ」と思っていた。
そんな思いが募って親友との間に決定的な亀裂ができた。最後まで信用しようとした友人にとって、田淵の裏切り行為は許せなかっただろう。いや、許せないというよりも、悲しかったのかもしれない。友人の心情は想像するしかないが、少なくとも他の仲間の手前、田淵とは縁を切るしかなかったのは間違いないだろう。
親友との仲間たちは、田淵の彼らのアパートまで追ってきた。
親友の午前二時過ぎ、田淵がまどろみで彷徨っているとき、聞き慣れたバイクのエンジン音が近づいてきた。意識が半分しか起きていない田淵は、懐かしい音が聞こえるなあとしか思っていなかった。爆音が近づくにつれ、田淵の意識も覚醒していく。「ヤバイ、ヤバイ」と思っている間に、彼女のアパートの前で数台のバイクが止まる。田淵は布団を蹴り上げて、慌てて逃げる準備をする。荷物をまとめて、裏の窓から外に投げた。玄関の靴を持って、いつでも飛び降りられるようにベランダでスタンバイする。
昔の仲間たちは、部屋のドアをドンドンと叩いた。彼女は「どうする?」と聞くので、「いないってことにしてくれ」と手振りで伝える。彼女が扉を開けると、怒りで血走った仲間たちが「いるでしょ?」と聞いてくる。仲間たちは彼女も知り合いなのだ。「私も全然連絡が取れないんだけど…」と彼女は目を切る。「いや、絶対いるでしょ!」「いないってば!」と軽く揉めている。田淵は、そのやり取りを聞きながら、ベランダから外を覗いた。腕力が自慢の仲間も何人も連れてきているのが見えた。喧嘩では絶対に勝てない。向こうはバイクなので、飛び降りても逃げ切れる可能性は低い。四面楚歌の如く追い詰められていた。
しかし、仲間たちは「じゃ、帰るわ」と意外にも簡単に引き上げていった。そこにいることを確信してのことだろうが、押し入ってはこなかった。田淵は九死に一生を得た心地だったが、それは仲間からの最後だったのかもしれない。
田淵によると、彼らが怒っているのは金を持ち逃げしたことではないそうだ。仲間を裏切ったことへの怒り、の二つであるが、それよりも田淵が持っている情報を危惧していた。その情報が警察に突き出せば、何十人もの仲間が捕まってしまう。
二六〇〇万円は大金ではあるんですけど、彼らにとっては一カ月もかからずに稼げる金額なんですよ。それよりも俺の持っている情報が危なかったんです」
仲間たちが彼女の家まで来たのは、「お前、その情報を警察に売るな」という脅しだったというのだ。痛めつけることも可能だったが、やりすぎると警察に逃げ込まれる。だから、顔だけ見せて簡単に引き上げていったのである。
その後も彼女の部屋に隠れていた田淵だったが、近くのコンビニやスーパーに出歩くこともある。すると、すかさずスマホにメッセージが送られてくる。「お前、〇〇にいただろ?」「赤色の服着ていたの、あれお前だろ?」と。田淵が妙な動きを見せないか、見張っていたのである。
その後すぐ、彼らは拠点を変えた。誰一人でも逮捕されたり抜け駆けしたり、すべての拠点を移すというルールがあるからだ。もう彼らは田淵のことを見張ってもいない。親友だった友人にもう顔もない。仲間を裏切って金を持ち逃げした事実は、その後の田淵の人生に大きな影響を与え続けることになる。
半年ほどは彼女の家に隠れ、ヒモ状態の生活が続いていた。奪ってきた金も底をつきかけていた。
今後のことを考えると、何かしら金を得なければいけない。
「何かしようにも、俺、何も持っていなかったんですよ。資格を持っているわけでもないし、学もない。いまだに足し算も引き算も怪しいですからね」
自信のあったモノづくりをしようにも、実家がある地元には近づけないので、材料もなければ工具もない。「もう俺、マジメに働かなきゃマズイ」となったとき、選択肢は探偵しか残されていなかった。田淵は地元の千葉県から距離を置きたい気持ちもあり、東京の探偵社に就職した。田淵は再び探偵の世界に戻ってきたのである。
三年ほどのブランクがあったため、ゼロからのスタートに近かった。以前の感覚を取り戻せず、思いどおりに頭が回らない苛立ちを抱えながらの再スタートだった。
探偵に復帰してから一年近くが経ち、以前の感覚を取り戻してきた頃、会社からリストラが宣告された。資金繰りが芳しくなかったようで、人員削減を余儀なくされたのだ。大手の探偵社だったため、探偵たちは三つのグループに分けられていて、そのうち一つのグループが解散になった。探偵たちの能力に関係のない、無慈悲の解雇である。
私が最初に就職した会社も同じようなことがあった。情報誌を発行している会社だったのだが、「今後はウェブに力を入れていく」という経営方針により、編集部自体が解散になったのである。リストラではあっても、自分の責任ではないという思いから、精神的な苦痛はなかった。友だちに「クビになっちゃったよ」と笑い話にしていたくらいだ。ただ、次の仕事を見つけるのには苦労した。
田淵も同じ思いだったかはわからないが、話している姿から悲壮感はなかったように感じた。すぐに転職先が見つかったことも大きいのかもしれない。同じグループにいた探偵が見つけてきた探偵社に、田淵も就職したのだ。
現在も田淵は、その探偵社で働いている。
探偵の仕事で失敗したエピソードを聞いたところ、冒頭の女医に気付かれてしまって銀座の街を疾走したエピソードを話してくれた。対象者に気付かれることは、探偵の失敗としてはよくあることだが、街中で通行人を巻き込んでの捕物劇が繰り広げられるのは珍しい。ベテランの探偵に話すと、「お前、それ伝説だよ」といわれるそうだ。
依頼内容は、三〇代前半の女性からの「夫が浮気をしている証拠を押さえてほしい」というものだった。対象者である夫は、大手広告代理店に勤務しており、江戸っ子でEXILEのHIROに似たイケメンだ。依頼者は離婚寸前とており、すでに別居をつかんでいた。夫のスマホから撮り動画が出てきたからである。ハメ撮りとは、撮影しながらセックスをすること。その動画だけで十分な証拠になるのだが、相手の素性を把握したいという要望があったのだ。
そのハメ撮りに写っていた女性が例の女医なのだが、調査してみると、他にも浮気相手が何人も出てきた。気の迷いで浮気をしてしまったのではなく、常習的に浮気をしている男には、何人も女性がいることがある。それだけ魅力もあるのだろうが、モテるための努力も欠かさない。女性を口説くためには、評判のレストランを調べたり、服装や髪型に気を配ったり、肉体を鍛えて若さを保つ努力も必要だ。対象者も身体を鍛え、日サロに通っているようなワイルド系の男性だった。
銀座四丁目の交差点で腕をつかまれ、「撮っているよね?」と迫られたときの女医の目を田淵は忘れられない。怒りと憎しみ、嫌悪、侮蔑、不安、悲壮といった感情が入り混じった眼は、一つの純愛としても今の田淵の脳にこびり付いている。
「何度も夢を見るんですよ。あの目で睨まれる夢です」
留置所に入れられた田淵は、警察署内で「探偵が捕まった」と少し話題になった。事情聴取を受けていると、暇そうにしていた警察官も覗きに来た。「マル暴(暴力団担当刑事)のようなパンチパーマで体格のいい警察官が「探偵が捕まったよな」と笑いながら田淵の聴取をしていた。
関係者として、女医の警察署に来ていた。田淵が警察と一緒にトイレに行くと、その女医と見かけたのだが、HIRO似の男性(第一対象者)も側にいた。予想どおり、その二人が接触する日だったのだ。おそらく彼女を迎えるに来たのだろう。男性は、トイレに向かう田淵をずっと睨みつけていた。
逮捕された翌日、ようやく社長が迎えに来てくれた。途中で電話も無線も繋がらなくなった社長は、逃げていたわけではなく、それまでに撮影した映像データを隠したり、元請けの探偵社に事情を説明していたという。
警察署を出るとき、玄関まで見送りに出てくれた警察官と握手をした。彼も警察官になりたてで、田淵と同じ歳だった。二人は「お互いに頑張ろう」と言葉を交わして別れた。誰とでもすぐに親しくなれる田淵ではないが、警察官と逮捕者が意気投合するのは珍しいに違いない。他人の懐に入っていくつ田淵の人懐っこい性格は相当なものである。
新人だった頃は違い、今の田淵は中堅といえる経験と技術を兼ね備えた探偵である。彼の尾行テクニックを少しだけ教えてくれた。
「人の後を追いかけるって、いっちゃえば簡単なんですけど、突然振り返ったり、立ち止まったりとか、不測の事態があるものなんです」
対象者が振り返る理由にもいろいろある。単純に道を間違えることもあれば、忘れ物に気付いて対象者が振り返ることもある。そういったとき、対象者と目が合ったり、こちらに一瞬でも不自然な動きがあると、気付かれる危険性が高まる。
探偵によっていろいろな方法があるそうだが、田淵は常に対象者の踵を見るようにしている。踵を見ていると、振り向くときは片方の踵が急に振れるのだ。踵が急に振れた瞬間、スマホを操作するフリをする。すれ違うときも踵の動きを見るようにする。そうすれば、対象者と目が合うリスクを回避できるのだ。
田淵は独学で心理学をかじったことがあるそうで、探偵のテクニックにも心理学を応用している。人間は、歩いていて右のほうに行きたいと思っていると、ゆっくりではあるが足は右を向く。喫茶店を話をしていても、左側にいる団体の会話が気になれば、肩が少しだけ左のほうを向く。その場の「身体の動きを見ると、この人、この話に興味なさそうだなとか、違うこと考えているなとか、わかるんですよね」
田淵は、その特技を活かして潜入調査を行うことが多い。対象者が小さな居酒屋やバーに入ると、田淵も店内に入り、他のお客さんを巻き込んで場で場を盛り上げる。自分が話の中心になり、対象者が寄ってくるのを待つのだ。対象者がこちらに興味を示すと、「お兄さん、すごくかっこいいっすね。女の人、何人もいるでしょ?」という感じで近づいていき、指の動き、肩の動き、足の動き、目の動きを注視しながら、家庭環境や仕事内容、プライベートな情報まで聞き出す。
「俺の話がうまいほうですし、元々口が軽いようなものなので、そういう役回りが多いですね」
田淵はカバンの中からトランプを取り出して、いきなり手品を披露してくれた。場慣れしているようで、巧みな話術と器用な手さばきが見事だった。専門学生時代には、小銭を稼ぐために路上で手品もしていたそうだ。中学生の頃に趣味で手品にはまってから、本やユーチューブを見ながら練習した。心理学に興味を持ったのも手品がきっかけだった。
常にトランプを持ち歩いているのは、キャバクラで女の子の気を引くための小道具だといって、いたずらっぽく笑っていた。
居酒屋やバーなどで、近くにいる人に手品を披露して、その場を掌握する。まわりの人たちが驚けば、人の孤独は癒されなくなたとき、逃げるように騒がしい場所を求めて街に出る。居酒屋に一人で入って、初めて会った人と仲良くなって無駄に騒ぐ。駅前でストリートマジックを披露することもある。常に賑やかにしていないと、頭の奥底に重く沈殿した後悔の澱が滲み出て、田淵の心を蝕んでいく。
昔のことを何度も振り返っていううちに、「ああ、俺って嘘つきだったんだ。ペテン師だったんだ」と思えるようになった。三三歳の今になって、ようやく自分を見詰め直すことができた。
子どもの頃から自分に都合のいいことばかりをいって生きてきた。友だちから注目されたいがために、「おばけが出た」といった、実話であっても尾ひれを付けて話したり、習慣的に人を騙してきた。専門学生のとき、小銭ほしさに占い師の真似事もしたが、人を騙している感覚は希薄だった。仲間たちから怒られるのが嫌で、身を守るために小さな嘘をつくことも、歯を磨くのと同じくらい日常的だった。
嘘つきは、自分のことを「私は嘘つきです」とはいわない。以前の田淵も自分のことを嘘つきとは思っていなかった。ペテン師という認識も持っていなかった。仲間から指摘されても、怒られている理由がわからなかった。三〇歳を超えても、精神年齢は小学生のままだった。「楽しければなんでもいいじゃん」と思っていた。
仲間から金を奪って逃げたのも、悪ふざけの延長だった。遊びではあったが、誰もやらない馬鹿げたことをして、「あいつすげぇー」と思われたかった。クラス中から注目されたかった小学生の頃から何も成長していなかったのだ。ただ、その悪ふざけの度合いがすぎた。まわりの仲間は小学生ではない大人になっていたのだ。悪いことばかりする半グレ集団ではあったが、悪ふざけして無邪気に遊んでいた子どももはやいなくなっていた。
気付があれば、前に進める。失った時間と信頼は取り戻せないが、新しい自分になることは可能である。
まずは自分が嘘つきだと認めることから、田淵の新しい世界はスタートした。居酒屋やバーに行って、初めてましての人と知り合いになるし、自己紹介で「自分、ペテン師なんです」といえるようになった。バーのマスターが他の客に繋いでくれるときも、「こいつペテン師なんですよ」と紹介してくれるまでになった。先に自分からいってしまえば、相手は「どういうことですか?」と興味を持つてくれる。そこで手品を見せたりすることで、楽しい時間を過ごさせるのだ。
根っからの嘘つきは、探偵の仕事で嘘を暴くことの嘘を暴く仕事といい放つ。対象者は何かしらの嘘をついている。浮気をしている嘘もあれば、会社や婚約者、家族を騙している嘘もある。
自分の嘘を隠して、今や探偵も嘘つきであれば、対象者も嘘つきなのである。
田淵は、「自分にとっていまや嘘というのは武器ですね」と確信も持てるようになった。田淵に言わせると、嘘には善悪がなく、金と同じなのだ。金で銃を買うこともできれば、絵本を買うこともできる。嘘で人を殺すこともできれば、人を救うこともできる。金の使い道に善悪があるように、嘘の使い方もに善悪がある。
「嘘をつくことで人を笑顔にできるんだったら、それでいいかなって思ってます」
今の田淵は、大げさな話をしたり手品をしたりして、まわりの人が笑顔になってくれることが喜びになっている。自分も他人も幸せにできる嘘がある、ということだ。
過去のトラウマを乗り越えたように見えても、悔恨の根は彼の地中に何重にも張り巡らされたままだ。
「何をしていても、いまだに昔のことに繋がるんですよ。服を着た瞬間に「ああ、あのときもこの服を着ていたなあ」とか、ペットボトルのラベルを見て「昔、仲間に殴られた後に飲んだなあ」って思うんですよね」
食べ物、飲み物、服、車やバイク、音や匂い、味、手触りといった生活のすべてが昔を思い出すトリガーになるというのだ。人前で手品をするのは、昔の仲間の前で手品を披露したことがないからだった。
「昔の仲間に結びつかないことをしていないと、自分がダメになっちゃうンですよ」
それほど昔の仲間との決別は、田淵にとって大きな意味を持っていた。自分にとって大事なことは、いまだって失ってから気付くのである。トラウマを克服するには、まだ時間がかかりそうだ。
田淵はもう何年も実家に帰っていない。仲間を裏切って以来、地元に足を踏み入れたことはない。父親も母親にも会っていない。実の姉が二人いるが、連絡先すら知らないという。ただ、探偵の仕事で地方に行ったとき、田淵はその地域の特産品を実家に送るようにしている。生きていること、元気でいることの証を送っているのだ。
「北海道から送られてきたと思ったら、一カ月後には福島から送られてくる。種子島から送ったこともあるんですけど、絶対〝あいつ、何やってんだ?〟ってなってると思いますよ。探偵をしているのは、たぶん知っているとは思うんですけどね」
家族の反応を想像して楽しんでいる様子が、田淵の表情から見えた。根っからの嘘つきは、根っからのエンターテイナーでもある。相手の驚いた顔を見たいという欲求には、ときに羽目を外すことがあっても、相手に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたいという純粋な気持ちが根底にあるのだろう。
「探偵になって居場所ができました。居場所を失って出てきたわけですからね。なんというか、まっとうに笑っていられる場所があるってのは幸せです」
田淵は今も、自分を匿ってくれた彼女と一緒に暮らしている。