我々の浮気は、複数を同時に愛する「ポリアモリー」とはまったく違う
2025年11月19日
浮気とは「午前4時の赤信号」である。
すずきB
あなたは「ポリアモリー」という言葉をご存知か?
恋愛は「1対1」で行われてこそ誠実という価値観に一石を投じる新たな恋愛の形が、複数の人と合意のうえで関係を築く「ポリアモリー」という概念だ。
「浮気性」「あしだち」「不道徳」という言葉を連想し、嫌悪感を抱く人もいるだろう。しかし、ポリアモリーは複数の相手と「誠実」に向き合うことを重んじ、隠れて行う浮気や不倫とは一線を画しているという。
アメリカに生まれたそんな概念が、昨今、日本でも上陸しつつあると聞いて、我々浮気おじさんは、ニヤけてしまった。
「なんだそれ、いいじゃないか? ついに我々の時代が来たか(笑)」と。
しんじょう、どんな事情はちょっと違った。
ポリアモリーが、浮気や不倫と大きく違うのは、「すべての関係者が状況を知ることができ、全員がすべての関係に合意している」ということ。
ある女性ポリアモリーさんは、A君とB君、2名の男子とポリアモリー関係にあり、なんと3人でグループカレンダーを共有しているという。つまり、いつどっちとデートするか、泊まるか(Hするか)がガラス張り。彼女がA君とデートした帰り、楽しかった、じゃあねとバイバイしたら、即座にB君に「今から行くね」とメールし、B君の家に向かう。それって、その女の「股じゃん!」と思うのだが、違う。B君は、彼女がA君とデートしていたことを知っている。彼女が家に来てキスした時、さっきまで彼女が会ってたA君のタバコの臭いがしてもイラっとしない。嫉妬しない。それがポリアモリーなのだ。
つまり、仮に、おじさんに3人の彼女、いや大人フレンド(P154)がいたとしたら、月子、火子、水子、3人すべてが情報を共有してるということ。
そんなの、おじさんは御免だ。月子と付き合ってるとことなど、火子に知られたくない。ただ月子は、うすうす他の誰かともデートしてることはわかっている。わかっているが、それが誰か特定できていないし、あえてしないことが、我々浮気おじさん的には醍醐味なのだから。
だから、浮気おじさんの浮気スタイルは、流行りのポリアモリーとは全然違うのだ。もっと大きな違いを言うなら、既婚者のとあるポリアモリー夫人は、ポリアモリーであることも嫁も知っていて、すべて了承しているという。それは何だか気持ち悪い。我々とはやっぱり考え方が違う。
我々の恋は、嫁に隠れてコソコソやってるからスリリングで楽しいのであって、全部許可されてしまっては、20歳をとっくにすぎた大人が体育館裏でコソコソ喫煙してるようなもので、未成年で本当はダメだからドキドキするのに、何ともねんて感じだ。
では、我々浮気おじさんのスタイルや精神状態が、ポリアモリーと違うとしたら、何に近いのだろう?
しいてたとえるなら「3人のかわいい娘を持つ父親」の心境に似ている。僕にも中2の娘がいるが、娘を持つ父親というのは実に複雑で、娘がブスならブスでモテなそうで心配だし、美人なら美人でいろんな男が寄ってきそうで、どっちにしろ心配なのだ。
仮に今、おじさんに、月子、火子、水子、3人の彼女(いや大人フレンド)がいるとしてよう。「月子」は人妻だ。しかし「火子」はアラフォー独身、結婚したくてウズウズしていて、そんな「火子」をなんとか結婚させようと、おじさんがいろんな出会いを作り、また結婚哲学を叩きこんで「結婚筋肉」をつけている。お見合いもしている。そして「水子」は結婚願望は今のところなく、嫉妬することなくおじさんとの恋を心から楽しんでいる。
と言いつつ、おそらく「水子」には彼氏がいる。
ると言いつつ、おそらく「水子」には彼氏がいる。我々浮気おじさんも3人の彼女(いや大人フレンド)の幸せを願っている。そしてある日、娘に嫁ぐ日が来るように、おじさんにも別れが訪れる。
「火子」のお見合いが実を結んだ。本来、彼氏として嫉妬を感じるところかもしれないが、おじさんは本気で喜び、拍手で見送る。そこが「娘を持つ父親」と「浮気おじさん」が似ている所以だ。
そうこうしていると、人妻「月子」も巣立つ時が来る(つまり疎遠になる)。詳しい事情は知らない。「月子」がまだ遊びに戻ってくるのを信じて。そこも娘を持つ父と似ている。
さて、残る「水子」だが、ある日突然、「水子」のFacebookからプライベート写真がすべて消えた。きっと、誰かが束縛しているのだろう。投稿もしなくなった。こちらと何かあったというわけでもないのに、LINEは既読スルーに。仕事の事情かもしれない。また
は環境や心境の変化。しかしこれも、浮気おじさんにとって「娘が嫁いた日」のようなもの。
静かに送り出してあげる。人知れず目を潤ませながら。
そう、娘を持つ父は、どこか背中に哀愁を感じる。それと同様、我々浮気おじさんも、哀愁を背負って生きている。
だから我々は、背中に哀愁のかけらもない、アメリカ生まれの「ポリアモリー」とは違う。そして、どんなに「ポリアモリー」が認知されオシャレになろうとも、カッコつけて「ポリアモリー」を掲げて正当化するつもりも、さらさらない。
正直、我々は、ただのスケベでダサい、浮気おじさんなのだから(笑)。
恋愛は「1対1」で行われてこそ誠実という価値観に一石を投じる新たな恋愛の形が、複数の人と合意のうえで関係を築く「ポリアモリー」という概念だ。
「浮気性」「あしだち」「不道徳」という言葉を連想し、嫌悪感を抱く人もいるだろう。しかし、ポリアモリーは複数の相手と「誠実」に向き合うことを重んじ、隠れて行う浮気や不倫とは一線を画しているという。
アメリカに生まれたそんな概念が、昨今、日本でも上陸しつつあると聞いて、我々浮気おじさんは、ニヤけてしまった。
「なんだそれ、いいじゃないか? ついに我々の時代が来たか(笑)」と。
しんじょう、どんな事情はちょっと違った。
ポリアモリーが、浮気や不倫と大きく違うのは、「すべての関係者が状況を知ることができ、全員がすべての関係に合意している」ということ。
ある女性ポリアモリーさんは、A君とB君、2名の男子とポリアモリー関係にあり、なんと3人でグループカレンダーを共有しているという。つまり、いつどっちとデートするか、泊まるか(Hするか)がガラス張り。彼女がA君とデートした帰り、楽しかった、じゃあねとバイバイしたら、即座にB君に「今から行くね」とメールし、B君の家に向かう。それって、その女の「股じゃん!」と思うのだが、違う。B君は、彼女がA君とデートしていたことを知っている。彼女が家に来てキスした時、さっきまで彼女が会ってたA君のタバコの臭いがしてもイラっとしない。嫉妬しない。それがポリアモリーなのだ。
つまり、仮に、おじさんに3人の彼女、いや大人フレンド(P154)がいたとしたら、月子、火子、水子、3人すべてが情報を共有してるということ。
そんなの、おじさんは御免だ。月子と付き合ってるとことなど、火子に知られたくない。ただ月子は、うすうす他の誰かともデートしてることはわかっている。わかっているが、それが誰か特定できていないし、あえてしないことが、我々浮気おじさん的には醍醐味なのだから。
だから、浮気おじさんの浮気スタイルは、流行りのポリアモリーとは全然違うのだ。もっと大きな違いを言うなら、既婚者のとあるポリアモリー夫人は、ポリアモリーであることも嫁も知っていて、すべて了承しているという。それは何だか気持ち悪い。我々とはやっぱり考え方が違う。
我々の恋は、嫁に隠れてコソコソやってるからスリリングで楽しいのであって、全部許可されてしまっては、20歳をとっくにすぎた大人が体育館裏でコソコソ喫煙してるようなもので、未成年で本当はダメだからドキドキするのに、何ともねんて感じだ。
では、我々浮気おじさんのスタイルや精神状態が、ポリアモリーと違うとしたら、何に近いのだろう?
しいてたとえるなら「3人のかわいい娘を持つ父親」の心境に似ている。僕にも中2の娘がいるが、娘を持つ父親というのは実に複雑で、娘がブスならブスでモテなそうで心配だし、美人なら美人でいろんな男が寄ってきそうで、どっちにしろ心配なのだ。
仮に今、おじさんに、月子、火子、水子、3人の彼女(いや大人フレンド)がいるとしてよう。「月子」は人妻だ。しかし「火子」はアラフォー独身、結婚したくてウズウズしていて、そんな「火子」をなんとか結婚させようと、おじさんがいろんな出会いを作り、また結婚哲学を叩きこんで「結婚筋肉」をつけている。お見合いもしている。そして「水子」は結婚願望は今のところなく、嫉妬することなくおじさんとの恋を心から楽しんでいる。
と言いつつ、おそらく「水子」には彼氏がいる。
ると言いつつ、おそらく「水子」には彼氏がいる。我々浮気おじさんも3人の彼女(いや大人フレンド)の幸せを願っている。そしてある日、娘に嫁ぐ日が来るように、おじさんにも別れが訪れる。
「火子」のお見合いが実を結んだ。本来、彼氏として嫉妬を感じるところかもしれないが、おじさんは本気で喜び、拍手で見送る。そこが「娘を持つ父親」と「浮気おじさん」が似ている所以だ。
そうこうしていると、人妻「月子」も巣立つ時が来る(つまり疎遠になる)。詳しい事情は知らない。「月子」がまだ遊びに戻ってくるのを信じて。そこも娘を持つ父と似ている。
さて、残る「水子」だが、ある日突然、「水子」のFacebookからプライベート写真がすべて消えた。きっと、誰かが束縛しているのだろう。投稿もしなくなった。こちらと何かあったというわけでもないのに、LINEは既読スルーに。仕事の事情かもしれない。また
は環境や心境の変化。しかしこれも、浮気おじさんにとって「娘が嫁いた日」のようなもの。
静かに送り出してあげる。人知れず目を潤ませながら。
そう、娘を持つ父は、どこか背中に哀愁を感じる。それと同様、我々浮気おじさんも、哀愁を背負って生きている。
だから我々は、背中に哀愁のかけらもない、アメリカ生まれの「ポリアモリー」とは違う。そして、どんなに「ポリアモリー」が認知されオシャレになろうとも、カッコつけて「ポリアモリー」を掲げて正当化するつもりも、さらさらない。
正直、我々は、ただのスケベでダサい、浮気おじさんなのだから(笑)。