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探偵の知識

成田離婚しそうになった夜、お小遣い制になった

2025年11月19日

浮気とは「午前4時の赤信号」である。
すずきB

世の中、「共働き」もいれば、「専業主婦」もいる。
厚生労働省のデータによると、1997年に「共働き世帯」の数が「専業主婦世帯」の数を上回り、共働き夫婦が年々増えている傾向のようだ。
奇しくも、僕らが結婚したのは、1998年、そんな端境期だった。
結婚する時、すでに収入もそこそこ貯金もあって、自分の給料で養える将来安泰な男なら、「結婚したら仕事やめて専業主婦になっていいよ」と言えるだろう。しかし僕の場合、鬼の追い込みによって、安定収入も貯金もないまま結婚させられた。当時、僕は28歳で鬼29歳。そんな状況では、せめて子供ができるまでは鬼も仕事を続け、共働きでやっていくものと信じていた。しかし……。
「結婚したら仕事やめて専業主婦になるって、もともと結婚する前から決めてたから」

このセリフをなんと結婚直後、新婚旅行の旅先であるハワイのホテルで初めて聞いた。
「はあ? そんなの聞いてないし! 俺の収入が安定するまでは仕事、続けてよ」
「いや、専業主婦になるために結婚したから。結婚しても仕事続けさせられるんじゃ、結婚した意味がない」
いやいやいやいや、どう考えても、それは金持ちと結婚する時の発想だろう。互いに譲ることなく、新婚旅行2日目の夜にして険悪なムードに。さらに追い討ちをかけるように、鬼は鬼のようなことを言いだした。
「で、これからは、あんたの給料、全部私が管理するから……」
(当時の鬼はまだ自分を「私」、僕のことを「あんた」と呼んでいた。のちに自分を「オレ」、僕のことを「お前」と呼ぶようになるのだが)
「はあ? 何、勝手に決めちゃってんの? 俺の給料を? 管理? 意味わかんねーし!」
「いや、だって、私、専業主婦だから。つうか、あんた請求書出したり青色申告したり、自分でできないでしょ? 経理を雇ったら金かかるから、私が経理、やってやる。それが私の仕事。だからあんた、お小遣い制ね、月いくら要る?」
新婚旅行先のハワイで、真珠湾攻撃のような鬼の奇襲爆撃が行われた。

実は、僕が鬼と結婚してもいいかな? と思った理由の1つに「結婚しても合コンしていく。仕事につながる合コンに行け」というのがあった。職業柄、「あいつ、結婚してからつまんなくなった」なんて言われるのも嫌だし、僕は合コンが趣味みたいなところがあったのでこれはいいなと。
なのに「お小遣い制」とか、ありえない。「合コンに行ってって言っておきながら財布の紐が完全に握られてるなんて、『合コン行け行け詐欺』じゃないか! サラリーマンになるのが嫌で、自由で破天荒な生き様に憧れて放送作家になったのに、「お小遣い制」なんて、1円単位でやりくりするバンクロッカーみたいで、カッコ悪すぎる。
「専業主婦になるのはいいよ、でもお小遣い制だけは無理だって!」
僕は顔を真っ赤にして反対の火で反撃するも、それに負けじと鬼も譲らず応戦は続き、深夜のミッドウェー海戦は激化するばかりだった。
「こんなんじゃ、もう無理だな、うちら……」
別れ話が出始めた。
これまで、そんなのウソでしょ、と思っていた「成田離婚」は、こうして起こるのか、そうか、なるほど、と頭をよぎった。
着地点が見つからぬまま戦闘は続く。

一晩寝て休戦したら考えも変わるかも……。鬼はベッドで、僕はソファで、別々に寝ることにした。しかし、もし朝起きて、鬼が帰国してたら本当に成田離婚が成立してしまう。
披露宴に来ていただいた業界の諸先輩がたに申し訳ない。
僕はガバッと起き上がり、鬼と共有していたセキュリティボックスの暗証番号を別のに変え、寝直した。パスポートさえ出させなければ鬼が一人で帰国することもないだろうと。
翌朝、鬼が起きてくると、僕への〝無条件降伏〟をこんな形で要求してきた。
「現金、月いくら要るかは、過去の領収書集めればだいたいわかるだろ? それのちょい多めの金額を、小遣い口座に毎月、振り込んでやるから。で、付き合いでキャバクラ行くとか予想外の出費があるとか言ってたけどさ、そんなのはクレジットカードでいいだろ? カードは使っていいから。それで文句あるか?」
ぐうの音も出なかった。たしかに、これまで毎月使っていた金額の現金がお小遣いとして振り込まれ、クレジットカードが自由に使えるのなら、今までと変わらぬ金銭感覚で暮らせる。文句は言えない。だが、僕としては、たまには鬼に内緒でソープに行ったりデートしたりもしたい。しかし、それをカードで払ったら鬼経理にすべてバレてしまう。自由に遊べないじゃないか。大いに葛藤したものの、仕方なくそこは、鬼のポツダム宣言を受諾。成田離婚は免れたのだった。

あの⽇から約19年。年末を迎えるたびに、経理の鬼は、僕のカード明細をチェックし、会計作業をしながら時折叫ぶ。
「おい! この店はどこの安っすいキャバ嬢と行ったんだ?」「この女、タクシーで送っただろ?」「6千円ってことは、芝浦の女か?」「この空白の2時間はどこ行った?」
明細に出ている店の名前やタクシーの降車時間と金額から、その日の僕の行動を、まるで刑事のように読み解く。そして見抜いている。
鬼は賢い。僕をいつも鬼のように追い込んでくる。しかしそこには、母のような器の大きさも感じられる。良妻賢母ならぬ、鬼妻賢母。
泳がせてもらいながら、プールの監視員の目が光っている。だから溺れずに生きてこれたのか。我が浮気おじさんにとって、背中から響く「ピーーーッ」という笛の音は、ウザいようで大切な、ライフガードなのかもしれない。